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母のこと #10

3月4日月曜日

肺癌を患いホスピスに入院していた母が亡くなりました。
突然だったけど、去年余命宣告を受けて「もって年内いっぱい。年を越せるかどうか。」と言われてたのが、新年を迎えて3月になった。
気持ちの準備をする時間はたくさんあったし、私の仕事柄母と似たような状況の利用者様をみてきたので「当事者の家族」ではなくどこか仕事の時のような一歩下がったところから関わってました。

だから一報をもらった時、驚きはしなかったけどショックは受けた。

驚かなかったのは、亡くなる1〜2週間前から少し体調を崩してたし身体の痛みが増していて、なんとなくそろそろなのかなと感じていたから。

ショックを受けたのは、4日に面会に行こうとしていたから。
本当は2日前の土曜日に「会いに行くね」と連絡を入れていたんだけど、その日は私の体調が悪くて月曜日に面会に行くことにした。
それを母に伝えたくて電話したけど、母はもうなかなか電話に出られなくなっていて予定を変えたことを伝えられていなかった。
母本人に直接ではなくても、毎日面会に行ってる父に伝言を頼んでもよかったのに私は母に直接伝えることにこだわってしまって、日曜日にも母に電話した。起きてるタイミングだったら、今日はちょっと調子が良かったら電話に出られるかもとほんの少し期待して電話してた。
もちろんこの日も母は電話に出られなくて、月曜日に会いに行こうと準備していたら亡くなったと連絡が来た。

母からしてみたら私は予定をすっぽかしたことになる。
なんで伝言でもいいから母に「ごめん土曜日は私の体調悪くて会いにいけないから、月曜日に行くからね」って伝えなかったんだろうか。
予定をすっぽかして最期に会えなかったことがショックでした。



私、母が亡くなってショックを受けるなんて予想外でした。

というのも、まず「当事者の家族」ではなく仕事の時のように一歩下がって関わっていたのと、母のことを信頼していなかったので、母が亡くなってショックを受けるとは思っていませんでした。

娘の立場で言わせてもらうと、正直母はひどい母だったと思う。
私は5人兄弟姉妹で歳の離れた姉が2人いて、姉達と集まればよく自分たちの幼少期のことを話して本当に母はひどかったなと、笑い話しにしながら(いや少し恨み節もこもっているかも)話していました。
そんな母でも恨んでお前の面倒なんかみねぇからな!って気持ちになったわけじゃない。
でも、私は信用や信頼はしていなかったかな。
好きか嫌いかで言ったら、嫌いな方かな。

…なのにショックでした。

ショックを受けてしまったことに動揺してしまって、母が亡くなって数日少し落ち込んでいました。

それで、なんでこんなにショックなのかなーって考えてみた。

もし、4日月曜日に母が息を引き取る前に会えていたら何を話したのかな。
もうこの後息を引き取るって知っていたら何を伝えたかなって考えてみた。

「お母ちゃん、今までありがとうね。大好きだよ。」

って想像上の私は母に向かって言っていたの。


え!!!!
今大好きって言った!?

えぇーーーー!

いや、自分の想像なんだけどまさか思ったことがないような言葉出てきて驚いた。

でもすごく自然にそう伝えてた。
そんでもって、そう伝えた後に少し気持ちが軽くなった気がした。

どうやら、私は母のこと好きだったのかな。
母として信頼できない人だったけど、感謝を伝えたかったのかも。

それができずに無念なのかな。


でも確かに、母のことは信頼してないけど母の故郷の話しは好きだった。
母は幼い頃に両親と兄を亡くして親戚の家を転々としていたらしい。そんな思い出だから全てが良いものではなく辛い話しもあったと思うし、母自身も辛かったこともあったと言っていたと思うけど、故郷での暮らしを自慢するように話していて、私はその暮らしの話しが好きだったな。

基本的に家にいないし、帰ってこなくなるとずっと帰ってこない母だったけど、幼い私はいつも母の帰りを待ち侘びていた。早く会いたいとずっと思っていた。
帰ってきたからと言って話を熱心に聞いてくれる人ではなかった。
でもたまに聞いてくれる時は褒めてくれていたなと思う。

あまり家にいなかった母なのに、私は母の影響を受けているなと感じることがある。ネガティブな面もポジティブな面も。

私が覚えていないだけで、母から愛情を受けていたのかもしれないなって少しだけ思えた。

そう思うと尚更最期に会えなかったことが無念でならない。

会って最後にいろんな話しがしたかったな。


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