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【神回】どうやって精神的安定を得たか①〜母親へのゆるし(統合失調症と診断された私が、結婚・出産し、公務員になった話その12)

私のお盆が終わり、14日から勤務が再開しました。まだ休みを取る人が多く、職場は人がまばらでした。私も三分の一くらい休み気分が残るまったりした状態の中、今日やるべきことはやって帰ってきました!

今年のお盆については、こちらの記事で!

今回は、今まで生きてきた中で、どうやって私が精神的安定を得られるまでになったかを書いていきたいと思います。

18歳で統合失調症と診断され、19歳で精神科病棟で3ヶ月の入院を経験。以後20年もの間、外来での通院を続け、今でも寝る前に一錠の薬を服用している私。

私が本当に精神的安定を得たのは、ここ最近のような気がします。近年は、赤ちゃんであった我が子を育てている時期に不安定なときはあったし、遡って旦那との新婚当初も、理想と現実のギャップから不安定なときがありました。公務員に採用されてからも、理想と現実の狭間で揺れていた時期もありました。だけど、近年のそれらは、少し休めば、少し落ち着けば、治まる程度の不安定さでした。

赤ちゃんから3歳くらいまでが
私には大変だった

本当に病気の症状から不安定だったのは、発症当初の18歳から20代前半の25歳くらいまで。26歳くらいからは病気からの不安定さはだんだんなくなっていきました。いろいろなアクシデントや節目に不安定になることはあっても、根本的な不安定さはなくなったというか、やはり少し休んだり、冷静になれば治まる程度となりました。土台となる安定さ、軸となる安定さが出来上がっていったのが26歳頃からでした。それではなぜ私が、26歳頃から土台となる精神的安定を得ていったのでしょうか。

それは、「両親、特に母親をゆるし、受容できたこと」「自分自身をゆるし、受容できたこと」。その二つが大きかったように思います。

この二つが究極的には
私の安定に繋がった

私は、今でこそ両親には本当にいろいろしてもらったと感謝していますが、若い頃は、両親に対して恨みつらみを抱いていました。私の両親は、わかりやすいストレートな愛情表現をするタイプではなかったこと、私に共感してくれる態度をあまり見せなかったこと、社会的な常識や、外からの評価を押し付けてくるようなタイプだったこと。そういったことから、私は両親に対して、不満を抱いていました。特に私は、母親に過度な期待をしていたのでしょう。父親より母親の言動で傷つくことが多かったです。そんな両親、特に母親に対して「ゆるし」というか、「受容」というか、今まであったことも、今あることも、これからあることも、全て受け入れられるようになるには、ものすごく時間がかかりました。今でも完全ではないかもしれませんが、すぐに安定を取り戻せるまでになりました。

今でも、ちょっとしたことで両親、特に母親に腹を立てることはあります。例えば、私が母親と買い物に行ったときのことです。私が1,080円の商品を購入しようと、お会計をしようとしたとき。小銭がたくさんあったので、80円を10円玉8枚で出そうと、10円をどんどん財布から出してたんですね。ピッタリ払いたかったし。そしたらあのBBAたら、途中からイライラし出して、私が10円を出し切るのを待てなくて、私を焦らせる態度を出しやがってきました。あのBBA‼️歳のせいか、せっかちになりやがりました。オバタリアン←平成wというかBBAというか、それくらい待てよ‼️と言いたくなります。後から思い出して、あのときほんとイヤだったな…とイラつくことも度々あります。だけど、今では笑い話にできるようになりました。母親がしたことにイライラするのは、私が自分を母親と同一化しているからだと気づいたのです。親子といえども違う人間なのに、親子だからって同一化していたのです。母親が何か自分にとって嫌なことをしたときに、自分もそんな嫌なことをする人間なのではないかと勝手に恐れ、勝手にイライラしてたのです。違う人間なのに。母親もしかりです。母親が私にイライラするのは、母親が勝手に私と同じ人間だと思い込んでるからです。先程の例のように、10円玉を出してる私がモタモタしてるとイライラしたのは、自分もモタモタした人間だと思われたくないからです。私だけがモタモタしてるのに、自分もモタモタしてると見られると思ってしまうのです。そこに母娘の怖さがあります。娘を自分と同一化してしまう母親。母親を自分と同一化してしまう娘。だけど、全く違う人間で、考え方だって嗜好だって違います。遺伝子レベルで似た部分はあれど、世代だって生き方だって違います。母親との間に一線を引くこと。同一化しないこと。それを心がけるようになってから、私は母親を受容できるようになりました。

平成時代のマンガで
オバタリアンってあったw

娘を産んだことも大きいです。小さい頃、あんなこともしてもらったな、こんなこともしてもらったな、と、娘を育てている過程で、母親にしてもらったことを思い出し、感謝と愛を感じることが増えました。

同一化してしまうのも、母親の愛情からくるもの。だけど、過度な同一化は、お互いを傷つけます。私は娘には過度な同一化をしないように、娘は娘として尊重し、いい意味で一線を引けるように心がけたいと思っています。

母親が嫌な言動をしても、同一化しないこと。それは母親の問題であり、自分の問題ではないと一線を引くこと。スルーすること。それができるようになってきたことが、私の精神的安定の大きな要因になりました。

もう一つの「自分自身をゆるし、受容できたこと」は、次の記事で書いていきたいと思います!

次の記事はこちら↓

この記事があなたにとって大切な気づきとなりますように。

親をゆるせるようになる日が
必ず来るよ

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