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あのね帳(日記の宿題)について考える①

娘の通う私立小学校では、日ごろの宿題がかなり少ない。

というか、少なくとも1年生においては、ほとんどないようなものなのだが。

唯一レギュラーで出る宿題は、毎週月曜に提出する「あのね帳」というノートだ。



1年の秋ごろに「あのね帳」が1人1冊配られ、先生から、これから毎週末に最低1つは何かを書いて休み明けの月曜に提出するよう言われるらしい。

一応型としては「あのね」から書き始め、その週末だったりに起こった出来事や、思ったことを書く。

もちろん「あのね」から始めなくてもかまわないのだが、低学年の子にとってはどうやって書き出すかが大きなハードルとなるので、あえて「あのね」というパターンで始め、先生にお話するような感覚で書けるように、という手法のようだ。

ある程度書くのに慣れてくれば、自然と「あのね」から卒業して自分なりに書きだせるようになると、授業見学に行ったとき、国語の先生が教えてくれた。

(娘の小学校は、保護者が好きな時に自由に見学できる)


ようするに1年生は「守破離」でいう「守」の段階で、あのね帳を書くことで文章を書く「型」を身につけてほしい、との意図があるのだ。

提出する文章のボリュームはとくに決められておらず、短く書く子もいれば、何ページも書く子もいる。

あのね帳は1年生用のノートで、マス目が大きめなので、「私は今日どこで誰と何をした。こんなことがあった。こういう風に思った。」と3文くらい書けば1ページが埋まってしまう。

娘はなかなかの読書家なので、この宿題はけっこうスラスラできてくれるんじゃないかと私は当初期待したが、ところがどっこい、いつも書く時は「あのね」に続く言葉をどうしたらいいかでつまってしまい、「ママ~、なに書いたらいいの?」となっている。

仕方ないので、たいてい私が横に座って、「まず何のできごとを書く?昨日なにしたっけ?」と話しながらテーマを決めて。

「それはいつどこで誰と何をした?」「どんなことが特によかった?」「その時どんな気持ちになった?」と5W1Hを娘にいったん言葉にさせる。

ある程度書く内容を口で言えたら、「じゃあそれを書けばいいんじゃない。」と横で見守ってると、それなりに自力でなんとか書き上げることができる。

だいたい出来事の感想は「うれしかった」「楽しかった」「おいしかった」になりがちなので、表現力が乏しいような気もするけど、1年生レベルならこんなものなのかしら。


娘にもう少し表現力をつけてほしくて、私が始めた工夫がひとつあるのだが。

教科書などを出版している、光村のサイトで公開されている「言葉の宝箱」というものをプリントアウトして。

「せっかくだし、普段使ってない表現を使ってみたらどう?今日あのね帳に書くことで使えそうな言葉を、この中から1つ言葉を選んでごらん。」

と促すようにしている。

娘はけっこうな天邪鬼なので、私が言うとわざと反発することも多く、素直にこの中から言葉を選んでくれることもあれば、「いやだ」と拒否することもある。

今まで娘に採用された表現は、「うどんがおいしくて満足した」とか「家に帰ってほっとした」とかそんな感じだ。

まぁ子どもの宿題にあまり口出しもしたくないので、私のいいと思うやり方でも娘が乗り気じゃないならあまり強要はせずに、内容は単調でもとりあえず1ページくらい何かしら書いて埋められたら良しとしている。


旅館でも隙間時間に本を読む

娘は暇さえあれば、小説も漫画もけっこうな量の本を毎日読んでいて、語彙力も年齢のわりには結構あるはずなのだが…なぜアウトプットはこんなに苦戦するんだろう?と不思議に感じたこともあったが。

よく考えてみれば、私も小学生の時は読書好きではあったが、別に作文は全然得意ではなかったし、自分の書いた文章を褒められたことも全くない。

高校生の頃に、小論文を書くのはわりと得意かも、と気づき。

長女を出産してから育休中にブログを書き始め(当時はアメブロを1年ほど熱心に書いてたが、すでに削除済み)、それから私は文章で表現することが好きで得意だなと自覚するようになったのだ。


ちなみに夫は小さい頃から作文を書くのが大の苦手で、夏休みの最終日には読書感想文が書けなくて泣いてたらしい。

小1の彼は父親に怒られながら、「しょうがないから、もう俺が言うとおりに書け!」と言われた通りに書いたら、なんとその読書感想文が入賞したというエピソードがある(笑)

夫は私や娘と違って、幼少時からぜんぜん本を読む習慣がなかったらしく、国語も得意ではなかったとのこと。(ちなみに私は読書のおかげか、昔から勉強しなくても国語の成績はそこそこ良かった)

しかし、そんな彼もなぜか大人になってから、自分の専門分野に関して本を出版することになり、自分で最初から最後まで書き上げたものと監修した本を合わせれば、今では10冊近く著書がある。

読書をそんなにしていなくても(夫は大人になってから、必要に迫られて専門書は結構読むようになった)、作文が苦手でも、作家になれるもんなんだ?とすごく不思議ではあるのだが。

まぁ彼の書いてる本は、難しい専門知識をわかりやすく咀嚼して伝えるタイプのもので、小説などと違って、創造性や高い表現力を必要とするわけではないため、これはまた話が別なのかな。

とりあえず、そんな夫と私の遺伝子を受けついだ娘なので、文章力の開花に関しては遅咲きなのかも?と思いながら、できるだけあたたかく見守りたいとは一応思っている。


つづく


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