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コラム『自ずと然るべき道を歩む』

自然。この言葉を私達は日常茶飯に使っている。
だが「自然とは何か?」と具体的に問われると、多くの場合、山や川や海、植物や動物といったものを想像しがちなのではないだろうか。

それはそれで間違いではない。
ただ「自然」という漢字は「しぜん」とも「じねん」とも読む。この読み方で若干の違いが生じる。
自然を「しぜん」と読んだ場合、私達人類が誕生する以前から、地球上に存在するものであり、人為的につくりあげることが出来ない存在を指す。先に記した山や動植物などがそれだ。

しかし一方の自然を「じねん」と読む場合はどうだろうか。

「じねん」というのは、あるがまま。随神(かんながら)。人の作為や努力といったものでは越えられない大いなる力。大いなる流れをいう。

故に、自然と書いて「しぜん」を理解できない人は少ないだろうが、「じねん」を理解できる人は多くはないのかもしれない。

自然(じねん)は逆らえないのだ。

太陽の暦、太陽信仰は、およそ5000年前ほどに世界同時多発的に起こったと推測されている。イギリスのストーンヘンジをはじめ、アイルランドのニューグレンジ、時代が数千年下るがマチュピチュ遺跡やマヤ遺跡などは太陽の動きと巨石が深く結びついているといっても過言ではない。

日本各地にも太陽や月の満ち欠け、星の動きも含めて宇宙の動きと神事が密接な関係にあるものもある。

しかし、先に記したようなストーンヘンジやニューグレンジのような巨石の組み合わせで、太陽の動きを図り知る遺跡は残念ながら見つかっていなかった。

しかし、二十数年前、一人の一般男性がたまたま子どもの頃から遊場として使っていた巨石群の中に、何やら気になる文様を見つけた。その後、話を聞いて夢中になった女性カメラマンと共に発掘調査を続け、ついに、その巨石群の泥を掘り起こして、春分、秋分に陽が差し込む磐座(いわくら)、夏至の磐座、冬至の磐座をも発見した。

発見の年から現在まで、その中で今も太陽観測を行い、巨石群が間違いなく太陽の暦と関連しているという事実にたどり着いたのだとか。

しかし日本の様々な学会に、この発見を報告したのだが、ほとんど相手にされなかったらしい。そこで今、世界の権威、世界のアカデミーと組み、研究が進んでいるという。世の中が驚く日もそう遠くないのではないかと思う。

彼らに限った話ではないが、自ずと然るべき道を歩むことは、なかなか一般的には理解してもらえないことも多い。時にジレンマを感じることもあるだろう。

突き動かされる思いに動かされ、社会常識の枠に囚われることなく、自らの前に起こる真実とただ素直に向き合って生きることは、簡単なことではない。

しかし自ずと然るべき道を歩める人は、真に幸福な人といえるだろう。

私はそう信じている。

aya tenkawa

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