⑭大好きな、母の精神状態


母の職場が傾いているらしく、

母の上司は、社長に、「自分は自殺するから、出た保険金で何とか会社を経ち直してくれ。」

と託腐れていた。

上司は、「保険金が出た所で、たち直せれるかは、解らない。」


そして、もうこの会社は駄目だ!

共倒れになるなら、今退職金を貰って辞めた方が良いのでは?

母の上司から、この話しが出るようになってから、母は又食事を吐く様に、なる。

そして、横内医院の薬が飲めなくなった。

私は、昔かかりつけだった内科の院長が引退するので、
県外にいた、消化器科内科の長男を呼び戻すから、
合って見てくれて!と言われ、
長男の時期院長に、母のこれまでのいきさつを、お話に伺った。

何と、横内先生の事も、治療内容も理解している医者だった。


私は直ぐ、自宅で24時間点滴出来るかを、相談してみた。

ここは田舎で、医者の考えも古く、
指導は医療センターで受けないといけない事に、

少しがっかりもしたが、

週に1回チューブを変えるのは、その新院長が、
往診してくれると言うのでお願いした。

さっさと母を医療センターに入院させて、首から針を指してもらい、


今は知らないが、昔は(ヘパリンロック)をして、お風呂に入れて、


又点滴を流す。と言う訓練を受けた。

「これが出来ないと、帰れませんよ」
と嫌味をいうナースもいたが、
私は直ぐ覚えた。

あまりの手際の良さに、「あのー、もしかしてナースですか?」と言われてしまった。

「只の美容師です!」とツイ言い返してしまった。

母は直ぐ退院出来た。

点滴をぶら下げて、まだ仕事に行こうとする。


辞めるのも引き継ぎがあるからだ。

社長は、自分の二人の妹に、母の引き継ぎをさせたらしい。

横内医院の薬を、飲めなくなった為、熊本から祖母が、応援に来た。

寝込む事も多くなり、
社長の妹さんは、家まで仕事を習いに来てくれた。

横内医院の薬が飲めなくなると、ドンドン体調が悪くなった。

そして、私と叔母を呼び、
「もう疲れた。もう楽になったら駄目?」と泣いた。

私は生きて欲しかった。
でも母の人生、私にはどうする事も出来なかった。

その頃、独立型ホスピスを見つけた。
聖ヨハネ病院。


直ぐに行ってみて、本を買った。


医師が白衣を来てない。

ナースがアルプスの少女ハイジの様なドレスを着ていた。

このホスピスには、(ショートスティ)という、お泊りがあるのが
魅力だった。

母は、病気に疲れている。
私は介護に疲れていた。


この頃から心療内科には通っていた。

ホスピスと聞くと、もう個々で死ぬんだ。

と思う人が多いが、個々は、患者にも、家族にも一旦リフレッシュ出来ると言うのが、気に入って、

母を見学に誘ってみた。


私が、夜お酒を飲みだしたから、母は気になってたらしい。

「4日位、来てみようかな!」

と言うので、祖母、伯母が付き添う!と言い出した。

私も泊まりたいなら、泊まれる部屋もあった。

ナース一人と、ヘルパー二人が、一人の患者さんに付く。


来客が、来ると家族は、
下の清潔で
飲み物等出せる場所で、
来客をもてなせる。

色んな器具が置いてある。

私はその中で、酸素カプセルみたいなのに、入るのが好きだった。

トレーニングルームもある。


ホントにお城みたいな所で、

皆リフレッシュ出来た。


母は、鬱になっていた。


この時に、精神科に連れていくべきだった。

自分は行っていた癖に。

悲しくなる。

上司が、退職の手続きしてくれて、

母は、退職した。

それは母のゆいつの生きる希望を、無くした日だった。




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