【社会人のための“教育ってそうなってるのか!”講座】ピアノ学び直しから気づいた「学びは誰のもの?」というギモン
子どものころに習っていたピアノを、やり直してみています。で、ちょうどこんな本を読み始めたところ、
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「個別最適な学びと協働的な学び」(奈須正裕/東洋館出版社)
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まさにドンピシャな内容が書かれていまして、
(まだ読み終わってないの)
「学びは誰のためのものか?」と向き合うことになってしまいました。
私は小学校卒業と同時に、ピアノ教室をやめてしまいました。
理由は「レッスンがつまらなくなったから」です。
ピアノって、伝統的(?)なカリキュラムがあって、
日本全国どこでも同じ教本使ってるんですよね。
バイエルから始まって、ブルグミュラー25番、
ツェルニー100番、ハノン・・・・と、
習ったことのある人ならこれが共通の話題にもなります。
あらためて当時の教本を取り寄せてみたのですが、
とても良くできたカリキュラムだったことに気づきました。
子どもの身体や手の大きさにあわせて
少しずつ難易度をあげていく練習曲の並び方とか、
「トリルの練習」「分散和音の練習」など、
目的も明確に定められてます。
大人の私がやり直すためには非常に参考になる。
しかし、子どものころって、
こういう目的みたいなものは全く意識しておらず、
「理由はともかくそれが必要だから」
やらされているだけになっていたのです。
大人も教えてくれなかったように思います。
もしかしたら先生も「理由はともかく必要だから」
と思っていたのかもしれません。
そりゃつまらなくもなるわ、と思います。
そこでハタと気づいたのですが、
これ、学校で同じことをしてきたんじゃないか、と。
キャリア教育コーディネーターや
もしかしたら学校の先生など、
カリキュラムを設計する人って、
「理由はともかく必要だからやらせる」思考に
陥ってないだろうか・・・?
学びはカリキュラム設計者ものなのか、というギモンです。
そこで、こちらなのですが。
「個別最適な学びと協働的な学び」(奈須正裕/東洋館出版社)
山形県天童市の小学校の、
「自学・自習」「マイプラン学習」「フリースタイルプロジェクト」という、
子どもたちが自立的に学び進める活動が紹介されています。
子どもたちは有能な学び手であり、
学びは学ぶ人のものであるという前提に立っており、
となると、
「教師は何のためにするのか」という問いが突きつけられる・・・
ピアノのやり直しも全く同じだなと思いながら、
読み進めています。
ピアノの練習も、自分でゴールを決めて、
今日は何をどうやるかを決めて取り組む方が、
圧倒的におもしろいことに気づきました。
いまはYOUTUBEで音源が聴けるのでゴールイメージも持ちやすいし、
手軽に録画ができるので「何ができて・できないか」を
客観的にセルフチェックすることも容易になった。
あんなにつまらないと思ってたハノン(ストイックな技巧練習)も
ゴールがあればちゃんとできるんです。
そうなると、ピアノ教室の役割って?教える人って何するの?
っていう疑問が生まれてきますよね・・・
教材づくり、カリキュラムづくりをする側としては、
本当に高い専門性が必要になるのだと思います。
カリキュラムが不要ということではなくて、
学びを促進するためにも、
有効な手順をどう示していくかというのも大切な要素。
ピアノ教本が全国(もしくは全世界)で
長いあいだ使われ続けているのも、
しっかりしたメソッドとノウハウがあるからなのだと思います。
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