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【12】私の考えるスマホ作家、あるいは文章を書く手段としてのスマホ論

そもそもの始まりは天邪鬼なのだが、人はどこまでスマホだけで長文を書き続けられるかに、私の興味と関心は渦巻きまくっている。

きっかけはちょっとしたつぶやきである。

ネットから作家デビューする投稿者と編集者のやりとりで、編集者は、投稿者の文章が全てスマホで書かれたと知るとビックリ仰天して、即座に投稿者をパソコン投稿へ切り替えさせた、というわけだ。

おわかりいただけるだろうか?

作家がスマホで書き続ける? ちょっと何言ってるかわからない。見たことも聞いたこともない。っていうか、そもそも有り得なくない? みたいな本音が見え隠れしたりしなかったりしている。

もちろん現実的には、

  1. パソコンがメインでスマホが補助となり、

  2. 文字入力デバイスのデジタルメモ「ポメラ」と連携したり、

  3. スマホ用キーボードと文字入力モニターを組み合わせたり、

といった感じになるだろう。

しかしである。

誰がどう考えても書く手段が何かより、書かれた内容が魅力的である方が重要だし、ぶっちゃけ読者にとってはどうでもいいに決まっている。だからこそ挑む意味がある。敢えて制約下でゲームを楽しむやりこみプレイに通じる、極秘ミッションなのだ。

考えても見てほしい。人は生まれ持った何かと生まれ落ちたどこかという制約下の中で自分だけの自由を確保していくもので、完全な自由には耐えられない。だったらひとつくらい制約が増えたって構うまい。今まさにリアルタイムで野球 ≒ ベースボールの常識を塗り替えている大谷 翔平 選手のような新しい歴史を作る道は、もしかしたらすぐそこにあるとしたら?

そりゃまあ、弘法大師 様が両手両足と口に咥えた五本の筆で書くような、例外がないことはないのだが。

さて、どうでしょう?


壁l・ω・) 壁l)≡サッ!!