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思い出のラーメンを求めて

小さいころ、よく行くラーメン屋が二つあった。

一つは正統派のラーメンを提供しているお店。もう一つが、「三ちゃん」という街中華のお店だった。

しかし、10年以上前にどっちのお店も閉店となり、その思い出とラーメンは記憶の地層に埋もれることとなった。

そして今日、その記憶を掘り起こしに来た。

今、私は三鷹にある「三ちゃん」という店の前に立っている。


同じ名前のラーメン屋

三鷹に「三ちゃん」というラーメン屋がある。そんなことを知ったのは5年以上前のことだった。しかし、ちょうどいい機会がなくそのままになっていた。

そして今日、ちょうど三鷹に用事があった。しかも時計を見るとちょうど昼の12時だ。

めぐりあわせというものがあるのならば、まさに今日のことを言うのだろう。

いざ、三鷹・下連雀の「三ちゃん」へ。

二車線の通りの横の歩道を歩くと、「あまいけ」というスーパーマーケットがある。その横にちょこんといる2階建ての建物に、「三ちゃん」の文字があった。

暗い入口をガラガラを開ける。カウンターに座るおじいさんと目が合った。

「いらっしゃい」

立ち上がって厨房に向かうおじいさん。どうやらお客さんは僕一人のようだ。

店内はL字のカウンター席のみになっている。奥の方に座った。

低くなった視界にうつるのは厨房だ。厨房の右奥に目をやると、奥にもう一人いた。おばあさんだ。老夫婦の二人でお店を切り盛りしているのか。

「三ちゃんラーメンください」

人の記憶は、味覚や嗅覚と強く結びついているという。さて、ここからはラーメンと記憶の対話を始めよう。五感を使って味わえば、ラーメンスープの脂のように何か記憶が浮かんでくるはず。

あのころの三ちゃんの思い出、でてこい。


思い出のラーメン?

おじいさんがてきぱきと麺をゆでお皿を用意していく。

この背中に記憶が重なった。

私が行っていた三ちゃんは、カウンターとテーブル席の両方があるお店で、たいていは家族でテーブルを囲みわいわい食べることが多かった。

ただ、数回だけカウンターに座ったことがある。小さい身体でカウンターの椅子によじ登り、注文が届くまで眺めていたのが料理している後ろ姿だった。

たまに火柱があがって子どもながらにカッコいいと思ったものだ。


「三ちゃんラーメンです」

きた。見た目はスタンダードな醤油ラーメンだった。トッピングはメンマにワカメ、のりに煮卵(固いやつ)、そして長ネギとチャーシューか。

あのころ食べていたラーメンのトッピング、どうだったっけ。記憶を探るが、返事はなし。

いただきます。

すすっていく。いい意味で普通のラーメンだ。

家系とか天下一品とか味噌とかいろいろなラーメンを食べていくと、たまーに「とにかく普通のラーメン」が食べたくなるときがある。そういうときに行けば幸せになれるような、そんなラーメンが胃に流れていく。

ただ、食べながら首をかしげることがあった。

記憶がなにも湧いてこない。

グーグルで有名なはずのワードを検索したのに0件だったときの気持ちに今なっている。

必死に掘り起こす。

そうだ、一つあった。

かつての三ちゃんで初めて食べたものの一つ、それが「チャーハンの横についているやけにおいしい醤油スープ」だった。あのスープ、ほのか香るネギの風味が鼻に残ったものだった。

それに比べると、今回のラーメンはネギが少ない気がする。

それだけでない。記憶のラーメンには煮卵も入っていなかった。たぶん。

頭に疑問が渦巻く中、身体は勝手にするするとすすっていく。気づくとどんぶりの底が見えるようになっていた。


違和感の正体

テレビから聞こえるグルメ番組が奏でる笑い声、カウンターにある水槽が発するぴちゃぴちゃとした水の音、そして麺をすする音だけが部屋に響いていく。

結局、この三ちゃんラーメンは思い出の味だったのだろうか。わからないまま箸をおいた。


「三ちゃんってのれん分けしてるんですか?」

会計のときに思い切って聞いてみた。

「いや、知らない」

返ってきたのは予想外の言葉だった。

「店名は俺の名前から付けてる」

小さくうなずいた。それならば納得だ。このお店は思い出の店とは関係なかった。

お店を出る。振り向くと、そこには丸ゴシック体で書かれた「三ちゃん」の看板が目に入る。そういえば、昔の三ちゃんは「ポップ体」に近いフォントだった。

あとで三ちゃんを調べてみると、荻窪に一店舗あるという。しかも、こっちの看板はポップ体っぽいやつだ。

これは間違いないだろう。

思い出は振り返れなかったけど、手がかりには出会えた。


今日行ったお店は残念ながら記憶のお店とは無関係だった。

ただ、このお店も誰かにとっては思い出の味であるはずだ。それならば、その人のためにもできるだけ長く続いてほしい。そんなことを、カウンター席にあるおじいさんの飲み薬を見ながら思ったのでした。

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