自我の解放を試みて①


自然の法則を学んだおかげで
・全てをさらけ出す
・恥ずかしい自分と向き合う

これがどういうことなのか
なんとなく理解できてきたので
ちょっと挑戦してみます♪


頭の悪い私が
責任転嫁する事により
自分の状況を
把握出来るようになった。
その上で
自分自身を改善する作業を行います。

この為
今回は愚痴も不平不満も
ものすごく多いです。
ですから、不快な気分になりたくない方は
スルーする事をお勧めします。

私がnoteを始めた理由は
自分の現状を記録に残す … 50%
自分が学んできた学びを発表したい … 30%
書籍化・有料記事で収入を得たい … 20%
こんな感じです。

私には70歳になったとき
日経新聞の私の履歴書に掲載される!
という夢があるので
そのnoteは、予行演習も含めております。



まずは私の背景の説明から。


私が転職したのは2016年。
2023年12月末まで
ある会社にお世話になった。

親会社は県内の誰もが知る有名企業
私が入社したのは
その、子会社。

この子会社、派遣・嘱託併せて
総勢35名程度の小さな会社だった。

その中の常勤は25名。
この人数で、毎日過ごすと
もう、家族なの…(苦笑)

●●は、夫婦仲が悪いとか
××の息子が△高校に合格したとか
■の夫の勤務先はどこである
などなど。
社員全員で
その社員の家族の事まで
知らないことが無いほど
人間関係が密だった。

最初は
この人間関係が
うざいと感じていたのも事実。
しかし、人間とは恐ろしいもので
そのうち慣れてくるの(笑)

人間関係に慣れてくると
仕事でもその人の
やり方のクセを理解出来るようになり
各自の得意分野が明らかになってきた。
誰が指示を出さなくても
自発的に弱い部分のサポートをしたり
仕事を見つけてきたりして
みんな楽しく仕事をしていた。

親会社の人たちには

お前たちのやり方は商店だ!
会社じゃない!
と馬鹿にされながらも…(苦笑)



社内の雲行きが変わってきたのは
2021年、本社から一人、異動してきた時から。
→この人はSさん。

創業以来、現職の社員が
本社から子会社に出向するなんて初めて。

子会社へ異動してくるのは
本社で役員の派閥争いに負けた人。
常務だの専務だのという役職で
いつも1人で出向してきていた。

簡単に言うと天下りね。

なので、本社から出向している役員は
子会社の私達の事など興味ない。
黙っていれば役員報酬もらえるから。
3年程度で役員交代。
それが通例。


今回は現職だけど
今までと変わりはないよね…

と、出向してきた本人はもちろんの事
受け入れる子会社の私達も
同じように考えていた。

早ければ1年。
長くても2年。
それ以上はないだろうと
当時
グループ会社の全員が思っていた。

噂では
子会社への出向を承諾する代わりに
次は、東京支社長のポストを
要求したとか、しないとか。

だから
新しく異動してきたSさん
1年目は、いい人を装っていた。

でも、2022年に本社の派閥争いの
雲行きが変わった。

これにより
子会社のプロパー役員がクビになり
本社からの出向役員が3人になった。
本社からの出向はSさん含めて計4人。

同時期に
慶應の大学院卒の男子と
企画担当していた女子も
本社に出向という形で、飛ばされた。

慶應ボーイは、Sさんよりも学歴が高い。
企画担当女子は、取引先に媚売るのが上手。
他にも何かあったのだろうが
Sさんは、この二人と何度も何度も
意見がぶつかっていた。


いつもイライラして
瞬間湯沸かし器のSさん
次のターゲットは
営業部で一番売り上げの低い40代男性。

彼は、Sさんにイジメ倒され
とうとう鬱になり、投薬治療開始。
このため、Sさんは
自分のイライラをぶつける事の出来る
次のターゲットを見つけていた。


この頃の社内の雰囲気は最悪で
皆、借りてきた猫状態。

ファミリーのように仲良しだった
子会社から
おしゃべりと笑いは
いつの間にか無くなっていた。

そんな中で目を付けられたのが私だった。
理由は、ものすごく目立っていたから。
私はこの状況を打破したくて
いつもにこにこしていた。
大声で笑ったりもしていた。
そんな時
Sさん本人から言われた。


お前は
ただ居るだけでムカつく…と。

普通ならば
申し訳ないと謝ったり
Sさんに媚売ったりするのだろう。

でも、私はそれはしなかった。
だって、上司が私の事を嫌いでも
私の人生には全く関係ないから。

今思い返すと

それが本当に気に入らなかったのだろう。

それから2年間
パワハラされて
イジメられて
イジメられて
イジメまくられて
イジメ倒された。

2023年度は
私にとって史上最低な1年だった。

小さなミスをSさんに見つけられ
ものすごく大げさに
ものすごく大きく扱われ
反省文や顛末書を何回か書かされた。

私はもちろんのこと
社内の誰もが
「何でそんなことで顛末書?」
「そんなに大げさに扱うこと?」
と疑問を持っていた。

あまりにも理不尽なことばかりで
私は、労働基準監督署や
会社には
何度も何度も訴えた。


でも、どうにも改善する事はなく
とうとう、辞める決断をせざるを得なくなった。


自分で辞めると決めたものの
でも、心の底では、私は辞めたくなかった…

だって…
会社、楽しかったもの。
仕事、本当に面白かったの。


Sさんが異動してくる前まで
子会社ファミリーと言われるほど
私たちは、社員全員
とっても仲良しだった。
ものすごく居心地よかった。


だから、Sさんが異動すれば
Sさんさえ居なくなれば
すぐに元の状態に戻ると思っていた。


でも、オトナの事情は
そう簡単ではなかったらしく
2023年11月の終わりに
プロパー役員に頭を下げられた。

退職理由は、会社都合にする。
失業保険もすぐに貰えるよう手続きする。
だから、お願いだから辞めてくれと…。

ここで首を縦に振ってくれなければ
この部屋から出すことは出来ない

と、プロパー役員は目に涙を浮かべていた。
俺もまだ一番下の子どもが大学生だ。
どうしても学費を稼がなければならない。
自分の保身を優先した。
申し訳ない。
お願いだから、ここで首を振ってくれと
何度も何度も頭を下げられた。

もう、無理だ…

あの時の私には
首を縦に振る以外の選択肢はなかった。

私と同時期の12月末で退職したのは
私の他に2人。私を含め、合計3人。
2024年の2月に1人。
年度末の2024年3月で1人。
Sさんは、合計5人を辞めさせたらしい。


2024年度になっても
Sさんに異動辞令は交付されなかった。
多分、しばらくSさんは
本社に戻れないのだろう。
だから、私たちは辞めさせられたのだ。

以上が、私の目に映っていた事実。

私は2024年3月まで
この事実を
ずっと認める事が出来かった…


会社をクビになった自分を
恥ずかしいと感じていた…

私は、会社をクビになった…。

ハローワークに通っている自分は
とても惨めだと思っていた。




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