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あたらしい旅のはじまり 元移住促進プロジェクトプランナーのオランダ人パートナーとの移住先探し記1

確かあれはKindleで本を読んでいたときだったと思う。

その中に「九州移住ドラフト会議」の取り組みの紹介を見つけた。

「見つけた」という感覚が生まれたのは、一緒に旅をし暮らしているオランダ人のパートナーとの定住先を日本の中で見つけたいと考えていたからだ。

約3年前にオランダに移住し、個人事業主のビザを取得し、1度目のビザの更新の申請を終えた頃、今のパートナーに出会った。

そして数ヶ月後、一緒に旅を始めた。

感覚的に共通するものがたくさんあるけれど違うところもたくさんあって、使う言葉も身を置いてきた文化・慣習も違う中でぶつかることも多々あったけれど、それでも毎日一緒にいて、今も一緒にいる。

きっとこれからもなんだかんだ一緒にやっていけるだろう。

この数ヶ月の旅と暮らしを通じてお互いにそう思うようになっていた(はずだ)。

日本が大好きでこれまで何度も日本を訪れたことがある彼は日本で暮らしたいという想いをずっと持っていたと言う。

コロナでオランダから出られなくなってからは、日本に行くことは諦め、今後オランダ内で腰を落ち着けるために家を買おうとしていたらしい。

わたしはコーチという仕事柄、そしてわたし自身のパーソナリティからも日本の文化と日本語という言語環境から距離を置き、意識をクリアな状態に保つためにオランダで暮らすことを選んだ。

だけれども、数年間の自己探究の期間を経て意識や身体感覚が鍛錬されてきたこと、見える景色が変わってきたこと、そして日本好きなパートナーに出会ったことから、「日本に拠点を置く」ということはわたしの中でも現実的な選択肢の一つになってきていた。

いろいろな国を旅し、暮らしてきて日本の自然環境の豊かさとそれを守ることの重要さに気づいてきたということもある。

何よりも自分自身が「環境や社会から影響を受ける側ではなく、自らが環境や社会を築いていく主体となっていくことができるのだ」という意識を持つことができるようになったことが大きいだろう。

いろいろなことが重なり合って、わたしたちは「日本に拠点を置く」ということを考え始めたいと思っていた。

「拠点を置く」という表現を使うのは、仮にどこかに住まいのような場所を持ったとしてもときおり旅をすることを続けたいという想いがあるからだ。

「考え始めたい」と思っていたのは、現在日本に特別な事情のない外国人の入国ができないため、具体的に考え始める第一歩となる「まずは二人で日本に行く」ということができないでここまできたためだ。

そんな中、「九州移住ドラフト会議」の取り組みを知り、調べてみると「九州移住ドラフト会議2022」なるものが計画されていることが分かった。

彼に取り組みについて話すと「いいね!登録してみよう!」と返事が返ってきたので早速エントリーの登録をした。

それがちょうど、「九州移住ドラフト会議2022」のエントリーが始まった10月1日のことだった。

それから移住情報について探している中で見つけたSMOUTにも登録をした。

そして早速、移住者を歓迎する地域の人たちとのやりとりが始まった。


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福岡県上毛町こうげまち

人口1万人に満たないその町から「移住者が増えるような取り組みをしたい」と相談が来たのは2012年の確か春頃のことだった。

当時わたしは福岡R不動産というウェブサイトの運営をする会社で不動産再生や地域活性化のプランナーをしていた。

前年に始まった福岡県と筑後地域12市町で構成する「筑後田園都市推進評議会」が進める「ちくご定住促進プロジェクト」の一環であるちくごエリアでのトライアルステイの取り組みが好評だったことから上毛町からも相談が来たのだ。

限られた予算の中で、自分自身も知らなかった地域に移住者を呼ぶためのプロジェクトをつくる。

さて、どうしたらいいだろう。

同じ福岡県内とは言え、福岡市内から車で2時間近くかかる町に何度か足を運び、考えた末に辿り着いたのが「まずは誰かに来てもらって、その人たちに町の魅力を見つけてもらおう」というアイディアだった。

そして、「移住をするにあたってネックとなるのは仕事だろう。だったら、仕事をしてもらえるようにしてみよう」ということから「働く×暮らす」という取り組みを用意することにした。

そして始まったのが「上毛町ワーキングステイ」だった。

*この記事の中の2枚目の写真に写っています。
*記事で使っている言葉のボキャブラリーや雰囲気もあまり変わっていないかも…。

この取り組みを企画するにあたって考えたこと、悩んだことはいろいろあって、それは上毛町ワーキングステイの参加者の方が作ってくださった短編小説の中にも登場している。

*「騙して人を集めた女」というのがわたしをモデルにした話です。


今でこそ移住にまつわる取り組みやサービス・仕組みはたくさんあるけれどこのプロジェクトを企画した頃はまだ、東京R不動産が二拠点居住を提案し、房総トライアルステイを始めたばかりだった。

「ワーキングステイ」という言葉を使ったのは上毛町が初めてだったんじゃないかと思う。(少なくともわたしが企画をしたときには同じ名前の企画はまだなかったはずだ)

その後、約10年間の間に移住にまつわる状況は大きく変わり、移住を希望する人と移住者を受け入れたいエリアが出会うきっかけも随分と増えた。

そして、かつて移住促進プロジェクトのプランナーだったわたしが今度は自分の移住先を探すことになった。

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さて、これからどんな体験を経て、どんな地域に住まうことになるのだろう。

この先の物語はまだ全く分からない。

本当に今、始まったばかりだ。


だからこそ、現在進行形の出来事を綴り、残していこうと思う。

移住先を検討するにあたってぶつかった壁や自分たちにとって何が検討材料になったか、さらには日本では「暮らしやすい国」「多様性を受け入れる寛容な国」「子どもが世界一幸せな国」として知る人も多いオランダで生まれ育った彼がなぜオランダを離れたいと思っているのかなども綴っていけたらと思う。


最終的に日本が定住先になるかも分からないけれど、とにもかくにも、こうしてわたしたちのあたらしい旅は始まった。

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2021.10.8 モロッコ・エッサウィラにて

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