言葉と記憶のはざまで
旅をしていると、マイナー言語の話者で良かったとつくづく思う。
もちろん道を歩けば「ニホンジンデスカ」とか「コンニチハ」とか言われる場所もあるのだが、それは旅の中のアトラクションの一つのようなものだ。
だがもし、入った店でいつも日本の歌が流れていたらと思うとゾッとする。
ウブドはバリ島の伝統的な文化が残っている場所ということで欧米からの観光客も多く、そのせいかレストランやカフェでは英語の歌が流れていることが多い。
音楽を日常的に聞いているわけではないわたしでさえ聞き覚えがあるくらい世界的にヒットした、最近の、もしくは古い曲。
意識しなければ何が歌われているかはわからないのでBGMとしてはちょうどいいのだが、これがもし日本語だったら・・・。
「君よずっと幸せに〜」とか
「さ〜い〜ご〜の〜キ〜スは」とか
「見つめ合〜うと〜」とか
お願いだからやめてくれと思うだろう。
どれも今聴いてもいい曲だ。
だからこそ「あの頃」の自分が蘇ってくる。
日本での拠点を持とうと決めた嬉野は温泉どころで、まちの中心にある公衆浴場は特にリーズナブルな値段だったのだが、一度行ったきり足を運んでいない。
なぜだかひたすら1990年代後半のヒット曲が流れていたのだ。
香りは記憶を呼び起こすというが、中学生時代の甘くて苦い記憶は当時のヒット曲と強く結びついている。
あとで聞いたら、その時いる係の人によって選曲が違ってクラシックが流れていることもあるということだったが、せっかくのリラックスタイムは運よりも確実さを選びたい。
20歳の頃、25歳の人と数ヶ月間だけ付き合ったことがある。
デジカメ販売のアルバイトで派遣された電器屋で働いていた人だったが、これまで聞いたことがなかった洋楽を知っている彼はなんだかとても大人に見えた。
当時高校時代に付き合い始め同じ大学に進学したボーイフレンドがいたが、同じ世界をずっと見てきた人よりも、知らない世界を知っている人に惹かれた。
付き合ってみると思ったほど大人でもなくてすぐに別れてしまったけれど、それを知っている相手への期待が高まるほど、当時のわたしにとって日本以外の国の音楽は「未知の世界」だった。
馴染みのヒットソングは、記憶の扉を開く。
異国の音楽は、未知の世界への扉を開く。
旅先で聴きたいのは後者だ。
コスタリカからニカラグアの国境を歩いて越えた後、ニカラグアのローカルバスに乗ると陽気な音楽が流れていた。
言葉はわからなかったが、流れていたミュージックビデオから男が女に振り向いてもらおうとすることを歌っているのだと分かった。
乗客がマスクをしているか運転手が睨みをきかせていたコスタリカとはうって変わって、運転手はにこやかで乗り合わせた現地の人たちもリラックスしている。
開け放った窓から吹き込む風が気持ち良い。
土っぽさと潮風と太陽のエネルギーが織り合わさったようなラテン系の音楽が日常の中にある暮らしが心地よくて、ニカラグアではその後2回ビザを更新し、5ヶ月を過ごした。
ウブドでは夜な夜などこからか不思議な音楽が聞こえてくる。
独特の楽器とリズム、音階の調べが、眠りかけた意識を異世界へと招く。
意味の世界を抜け出て、記憶なき意識の中を漂う。
そんなふうにして今日もまっさらな自分で生まれ落ちている。
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