トイレがピンクの粉に包まれた日 -笑う古民家暮らし-
それは、あっという間の出来事だった。
日はすっかり暮れていたと思う。
なんならもう、寝支度をしていたかもしれない。
古い家の端っこにあるトイレの、薄っぺらい扉を開けたらクモがいた。
手のひらよりは少し小さい、でも思わず「あ゛ー!!」っと大声をあげるには十分な大きさのクモだった。
布団でくつろいでいたピーター氏(以下P氏)が「僕の助けがいる?」と聞いてくる。
これは、説明するより見てもらう方が早いだろう。
トイレにやってきたP氏も「Oh…」と立ちすくむ。
コスタリカのジャングルや、ニカラグアの火山湖のほとりで暮らしてきたわたしたちにとって虫や蛇に出会うのは日常茶飯事だけれど、トイレのクモというのはやはりおっかない。
ホウキで掃き出すか、それともお椀か何かで捕獲して外に出すか・・・
なんてことを考えている横でP氏が消化器を持ってきた。
「えっ!?それ、何が出るの!?」
「泡が出るのかな。その後の掃除どうするんだろう…」
なんてことを高速で考えるのより早く、消化器の栓が抜かれ、
シャーっという音とともにピンクの粉がトイレに立ち上った。
トイレがピンクに染まるのに一瞬で十分だっだけれど、粉は止まらず、困ったP氏は消化器の先を廊下の外の庭に向ける。
外の床も、ピンク色に染まる。
やっぱり…。
このあとどうするんだ…。
「消化器なんて使って、掃除はどうするの」
「やっぱりやめておけばよかった」
などと言うのは簡単だけど、言って状況が変わるものでもないし、
消化器を使ったらどうなるか、実際に使ってみた人にしか分からない。
怪我もしてないし、掃除して済むんだったら
ピンクのトイレを見て楽しめばいい。
なんてことを考える間もなく、わたしたちは笑っていた。
「人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇だ」と、チャップリンは言ったらしいが、まさにこれは喜劇である。
ピンクの粉に包まれたトイレは、もはや、現代アートのようでさえある。
笑いながらも急いで他の部屋との間の扉を閉める。
しかし、時すでに遅し。
いくつかの部屋はぼんやりとスモークのようなものが立ち上っている。
その中で、わははと笑う。
もともと古い家だ。ガタがきているところもたくさんある。
今より悪くなることはそうそうない。
ピンクの粉がなんだ。
わはははは。
そして思い出す。
そうだった、トイレに行きたかったのだ。
とりあえずトイレの床に敷いたタオルの上を、サンダルを履いて歩き、
息を止めてピンクの粉の積もったトイレのフタを開ける。
・・・・・・
翌朝、いつにもなくサッと布団を出たP氏はせっせとピンクの粉を拭き取っていた。
その間に朝食を作ろうかと仮でこしらえてあるキッチンのカウンターの前に立って棚に置いてあるゴボウの袋を見ると袋の中のゴボウの上に大きなムカデがのっていた。
「あ゛ー!!」
「今度は何!?」
雑巾片手にP氏がやってくる。
・・・・・・
田舎暮らし。
古民家をDIY。
と聞くと、「なんか良さげ」と思う人もいるかもしれない。
実際は毎日がキャンプのようだ。
朝は寒いし昼間は暑い。
「新しい(いや、せめて普通の)家に住めばこんなこともないのに」、と思うことだって少なくない。
そんな中、ピンクの粉に包まれたトイレを思い出すと笑えてくる。
人生は喜劇だ。
起こったことは、わははと笑えばいい。
こうしてわたしたちは今日も、古い家での暮らしを楽しんでいる。
このページをご覧くださってありがとうございます。あなたの心の底にあるものと何かつながることがあれば嬉しいです。言葉と言葉にならないものたちに静かに向き合い続けるために、贈りものは心と体を整えることに役立てさせていただきます。