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「鬼棲む冥府の十の後宮」第二話



「ちょっと、何してんの。さっさと残骸を片付けてよ」

 後ろから歩いてきた飛龍に言われ、はっとして顔を上げる。
 紅花はこんなにも頭が痛いのに、近くにいたはずの飛龍はけろっとしているので何だか腹が立った。

「……うるさくなかったの?」
「は? 何が?」

 ――聞こえないのか、宋帝王でも。
 やはり紅花のこの力は変わったものらしい。おそらく言っても理解されないであろうことが不便だ。

「……いいえ。何でもない。少し幽鬼の臭いにやられただけよ」

 紅花は痛む頭を押さえながら立ち上がった。

「後は私がやるから、高貴な飛龍様はご自分の宮殿にお戻りになったらどうかしら?」

 目の前には、幽鬼の亡骸らしき白い液体が広がっている。だんだんこの独特の臭いにも慣れてきてはいるが、もしかしたら嘔吐する可能性もある。飛龍も今日出会ったばかりの女のそんな醜い姿は見たくないだろう――そう気遣ったというのに、飛龍は何故か面白そうに目を細めた。

「随分と俺に対して冷たいね? 無理やり連れてきて、こんな仕事押し付けちゃったから嫌いになった?」
「当然それもあるけれど、私、元々閻魔王様以外の王には敬意を持っていないの」

 ふむ、と興味深そうに頷かれた。

「何でそんなに帝哀が好きなの?」
「人に痛みを与える責任を取っている唯一の王だからよ」

 紅花は即答する。
 死者を裁く責任を一人で追い、裁いた分だけ地獄の苦しみを味わっている閻魔王。そんな彼に、紅花は一兆年以上尊敬の念を抱き続けている。

「ふーん……。でも、実際に喋ったのは一度きりなんでしょ?」
「あの時は涙が止まらなかった。それほど感動したの」

 初めて会った時、あの焼け爛れた顔が愛おしかった。

「私の生前の罪は親殺しだったようでね」
「ああ、よくあるやつね」
「生前のことはもう全く覚えていないから記録を見て知ったことだけど、私、親には酷いことをされていたのだと思うわ。心が散り散りになるほどの酷い行いを。けど、私の心を壊した親は責任など取ってくれなかった。だから、私は人を罰し、罰するだけでなく自分にも罰を与える閻魔王に感銘を受けたのだと思う。罪の責任を取るというのは、誰にでもできることではないから」

 どうやら飛龍はここを立ち去るつもりはないようなので、そのまま屈んで幽鬼の亡骸を回収する。白い液体を掬って箱に入れる動作を繰り返す紅花を、飛龍は立ったまま馬鹿にしたように見下ろした。

「それ、親に得られなかったものを帝哀に求めているだけじゃない? 残念だけど、帝哀という男は、君が求めているものを与えてくれるような心優しい王ではないよ。帝哀は極度の人間嫌いだ。おそらく、十王の中で最も人間を憎んでいる」
「……どうして?」
「人間は彼を裏切るからさ。罪を軽くしようと嘘をつく。けれど嘘なんて帝哀には簡単に分かってしまうから、嘘をついた分罪を重くしなければならなくなる。そして、帝哀が受けなければならない罰も重くなる」
「…………」
「帝哀だって、王として君臨した当初から人間が嫌いだったわけじゃないだろう。でも、年月が経つにつれて、嫌でも分かってしまったのかもしれないね。――人間は醜い、って」

 紅花は、死体を入れた小箱の蓋を閉じて紐で括り、立ち上がる。

「では、私が帝哀様の希望になりたい。彼を裏切らない人間もいるのだと教えてあげたい」

 飛龍を真っ直ぐ見つめてそう言った。飛龍は紅花の言葉にぽかんとする。
 しばらくしてようやく言葉の意味を咀嚼したのか、ぷっと噴き出して眉を下げ、厭味ったらしく笑った。

「身の程知らず」

 身の程知らずでも構わない。
 この冥府の王を手に入れたい――紅花はそのためにここにいる。

 ■

 飛龍と別れた後、紅花は小箱を抱えて冷宮へ向かった。靄のような状態だった時は随分と大きく見えたが、亡くなるとこんな小箱に収まってしまうほどの液体になるなんて意外だ。

(ごめんね)

 小箱に向かって心の中で謝罪した。
 幽鬼を放っているのは同じ人間だ。殺したところでまた湧いてくるだろう。
 せめて向こうに交渉することができる程度の冷静さがあれば、元の場所に戻ることを提案するのだが――さっきの様子を見ると、意思疎通ができても話を聞いてくれる感じはなかった。そもそもの発生源が憎しみなのだから、冷静さなど欠いていて当然かもしれない。
 とはいえ、獄吏の仕事よりはずっとあっさりしていて気が楽だった。これなら続けていけそうだ。

「嬢ちゃん、早かったな」

 冷宮の中へ入ると、魑魅斬が鍋で何かを煮込んでいた。紅花が離れているうちに換気が行われたのか、死体の臭いはいくらかましになっている。代わりに、料理の良い香りがする。近付いてみれば鶏肉の煮込み料理のようだった。

「……あなた、もしかしてここに住んでるの?」
「何言ってんだ。鬼殺しは皆ここに住んでる。嬢ちゃんもここに住むことになるぞ」
「臭すぎて眠れそうにないのだけど……」
「すぐに慣れる」

 はっはっはと大きく笑った魑魅斬が、紅花から箱を奪って中身を確かめた。

「おお、ばっちりじゃねぇか。初めてにしてはよくやったな」
「この剣はどうしたらいい?」
「しばらくは貸してやる。幽鬼の血は特別な水じゃねーと取れねぇから、後で案内してやるよ」

 桃氏剣に付着している白い液体は、一応は血という扱いらしい。

「疲れたから、ご飯を少し分けてもらってもいい?」

 紅花が剣を床に置いて煮込み料理を指差すと、魑魅斬は何故か驚いた顔をした。

「お、おお……いいけど」

 紅花は椅子に座り、皿に煮込み料理を入れる。汁を啜ってみると想像していたよりも熱かった。少し冷めるのを待とうと思い一旦皿を置く。
 ふと顔を上げると、魑魅斬がにやにやしながら紅花を見ていた。

「最初来た時はどうなるかと思ったが、嬢ちゃん、意外と向いてるかもな」

 謎にご機嫌だ。不気味に感じて眉を寄せてしまった。

「普通、初めて幽鬼や狂鬼を見たら恐ろしくて倒れるんだよ。なのにお前はけろっとしてるだろ。初めての鬼殺しが終わった後にすぐ飯を食おうとする奴は初めてだ」
「元は人間から発生したものと、鬼が死んだものなのでしょう。正体が分かっていて何が怖いの?」
「正体が分かってても、話の通じない奴とやり合うのは怖いもんなんだよ、普通」

 魑魅斬は自分の分の皿も用意すると、紅花と向かい合って座った。

「罪人の獄吏、しかも貧相な娘を宋帝王様の気まぐれで押し付けられたと思ったが、これは意外と一人前になるかもな」

 確かに、飛龍の言っていたように汚くて臭い仕事ではあるが、獄吏の仕事をせずに済むうえ後宮にいられるという意味では、以前よりも幸せだ。

 狂鬼と幽鬼の殺害。この日からそれが、紅花の新たな仕事になった。


 ■

 後宮で過ごすようになってしばらくが経った。

 紅花は、隙を見て閻魔王の区域に入りたいと常に計画している。しかし現段階では、鬼殺しの仕事が忙しすぎてとてもそれどころではない。玉風の分も仕事をすると言った手前、獄吏の仕事のように放棄することもできないのだ。
 起きている間は、ほぼ一日中鬼殺しを行っている。狂鬼も多いが、幽鬼の数はそれ以上に多い。
 後宮の治安維持のため身を粉にして働いているというのに、鬼殺しという職業は後宮の娘たちからは敬遠されている。紅花が通る度、歩いていた下女たちはぎょっとして鼻を袖で覆う。鬼の悪臭はやはり紅花にも移っているようで、中には紅花が近付くと「くっさ!!」と大きな声で叫ぶ者もいた。

 紅花の日々の情報源は、御花園の花たちだ。宋帝王の后たちには花を愛でる趣味があるらしく、植えろと指示したのも彼女たちらしい。紅花にとっては仕事をする上でとても有り難いことだった。

「狂った鬼はどちらへ向かった?」

 こうして追いかけている鬼の情報を花から聞き出すことができる。花から聞いた通りに進めば、簡単に狂鬼の居場所を特定することができた。

 仕事が終わった後は、冷宮付近を流れる川で体や髪を洗う。本来身を清める頻度は身分に比例するものだが、鬼殺しはあまりに臭いため、後宮の侍女たちよりも高頻度で体を濯ぐ決まりがあるらしい。冷宮付近の川には特別な薬剤が含まれており、狂鬼の返り血も洗い流してくれる。
 しかし、水の温度はあまりにも冷たい。毎度入る度に身震いするほどだ。黒縄地獄の付近にある温泉が懐かしい。後宮で温泉に入れるのは、王や皇后たちだけである。

「はぁ~……今日も疲れたぁ……」

 川に浸かりながら空を見上げ、思わず弱音を呟くと、後ろから男の声がした。

「どう? そろそろ帰りたくなった?」

 久しぶり、と言える程久しぶりでもない。養心殿の近くで会った以来の飛龍がそこに立っていた。
 紅花は暗い川から頭と肩だけを出した状態で言う。

「見れば分かると思うけど、私今、体を清めているところなの。裸だから離れてくれない?」
「俺は妻以外の女性の裸には欲情しないから安心していーよ」
「そういう問題じゃなくて。私が見られるのが嫌だって言ってるの」
「なんだ。君にも恥ずかしいという感情があったんだ」

 飛龍がよく知らぬ生物の新たな生態を発見したかのような顔で見つめてくる。
 どうやら退く気はないようだ。紅花は大きな溜め息を吐いた。

「身分が低いとこんな冷たい水にしか入れなくて可哀想だね」
「馬鹿にしに来たのかしら」
「いや? そろそろ音を上げる頃かなと思って様子を見に来たんだ」

 宋帝王の座にいながら、暇なのだろうか。
 紅花は呆れながら答える。

「魑魅斬に褒められるくらいにはうまく仕事をこなしているつもりだけど?」
「魑魅斬が褒めた? 冗談だろ」
「私、結構見込みがあるみたい。一日の仕事をより早くこなせるようになれば時間ができて、閻魔王の区域に向かうこともできるかもね」

 悪巧みを打ち明ければ、飛龍はははっと乾いた笑いを漏らす。

「まだそんなこと言ってるの? 例え会えたとしても、帝哀は君になんて見向きもしないよ。皇后や皇貴妃のことも放置しているような色恋の分からない男だからね。遊び相手にもなれないんじゃない?」
「へえ、帝哀様は皇后様にもご興味がないのね。良いことを聞いたわ」

 帝哀が誰かを寵愛しているのであれば付け入るのは難しかっただろう。まぁ、例えそのような状態だったとしても、どんな手を使ってでも振り向かせるつもりではあったが。

 紅花は水から上がり、木にかけてあった毛巾を手に取った。いきなり素っ裸で隣に立たれた飛龍は面食らったのか凝視してくる。

「……恥ずかしいんじゃなかったの?」
「恥ずかしいけど、こんなところで足止めを食らい続ける程暇でもないわ。この後魑魅斬が夕食を用意してくれているしね」

 そう言うと、少しむっとした様子で腕を引っ張られた。紅花は濡れたまま、間近にある飛龍の整った顔を怪訝に思いながら見上げる。

「……何?」
「随分危機感がないんだなって。俺は男が好きだけど、女もいけるってこと、忘れてない?」
「〝宋帝王様〟は冥府の最下層である獄吏には興味ないんでしょう」

 わざと王としての名を呼んで煽ると、飛龍の笑みが深まった。

「強気な女は嫌いじゃない。鼻っ柱をへし折ってやりたくなる」

 ――その時、冷宮の方から魑魅斬の声がした。

「おーい、紅花嬢ちゃーん。いるか~? 今日は浴が長いな。文思豆腐《ウェンシトーフ》が冷めちまうぞ」

 飛龍にちらりと目線をやると、飛龍は黙って紅花の腕を離した。林の向こうの魑魅斬に向かって「今行くわ」と声を張って伝え、髪を絞って水分を落とす。

「残念。また今度ね、紅花」

 飛龍がひらひらと手を振って去っていく。
 あの人私の名前知ってたのか、と思った。

 紅花の部屋は、玉風と同じ冷宮の上階の一室である。宮殿とはいえ王の后たちが住むような立派な造りでは全くなく、外の風が吹き込むぼろぼろの部屋だ。雨の日は雨漏れしている。

「嬢ちゃん、やっぱり幽鬼を見つけるのが早いよな。殺しも問題なく遂行できてる」

 魑魅斬が今日の成果を見ながら感心したように言った。
 最近は、魑魅斬を部屋に招いて一緒に食事を取っている。玉風も少しは食べられるようになったが、まだ本調子ではないようで、すぐに眠ってしまう。実質、魑魅斬と二人の食事だった。

「よし。嬢ちゃんになら任せてもいい」

 何を?
 文思豆腐を食べながら続きを待つ。魑魅斬が囁くように言った。

「実は、宋帝王の皇后が宮殿で大事に愛でていた花を盗んだ鬼がいるらしい」

 なんと命知らずなことをするのだろう。花を盗んで得られる利益より、皇后の宮殿に入って罰せられる危険性の方が余程大きい。
 それに、八大地獄がこんなにも近くにあるというのに盗みの罪を犯すとは。愚か者のすることとしか思えなかった。

「皇后も、本来ならこのようなことでは大事にしなかっただろうが……盗まれた花は、生花の髪飾りを作るために大切に育てていたものらしくてな。捕まった鬼は公開処刑されることになった」
「公開処刑?」
「王や皇后への無礼を働いた者を、皆の目の前で晒し上げ、殺す行いだ。同区域の王だけでなく、皇后や皇貴妃、貴妃、后、侍女や武官たちも集まる。盛り上がるぞ」
「趣味悪……」

 思わず本音が漏れてしまった。

「貴きお方の考えることはよく分からない。罪人が殺されるところを見て何が楽しいの。娯楽にするべきことじゃないわ」
「まぁそう言うな。見せつけることで後宮内の治安維持にも繋がるんだよ」
「それは分かるけど……」
「そんで、ここからが本題。――嬢ちゃん、お前今回の処刑人をやらないか?」

(処刑人!?)

 聞き間違いかと思い魑魅斬を凝視する。その様子がおかしかったのか、魑魅斬はけらけらと笑った。

「公開処刑を受ける者が鬼の場合は、鬼殺しが処刑を実行することになっている。いわば鬼殺しの大仕事だな。身分の高い后たちのお目にかかれる喜ばしい仕事だ」
「うーん……」
「っはは、嫌そうだな。ならこうしようぜ。この仕事を無事遂行することができたら、しばらく暇をやる」

 紅花はぴくりと反応する。休みさえあれば閻魔王の区域へ向かうことができるからだ。

「本当?」
「おー。嬢ちゃん、後宮内を探検したがってたろ。最近の鬼殺しはお前のおかげで順調だし、この分なら休みもやれる」

 魑魅斬は、紅花が頻繁に地図を開いているのを見て探検したがっていると思っているらしい。実際は閻魔王の区域との距離を地図上で眺めては恋の溜め息を吐いているだけだが。

「……分かった。処刑、やってみるわ」

 紅花は力強く頷いた。


 ■


「……本当にこんな派手な格好で行くの? 祝い事でもないのに」

 処刑当日。
 紅花は、魑魅斬に裾がひらひらした赤色の襦裙を着せられ困惑していた。それだけでなく髪も一つに纏められ、金色の豪華な髪飾りまで装着されて、化粧までされている。白粉を叩き、頬に烟脂《えんじ》を付け、眉間に花模様を描いてもらった。冥府に来てから、このように着飾ったのは初めてのことだ。

「皇后の前で行う公開処刑は特別なことだからな。どうだ、俺、化粧うまいだろ?」

 化粧を施してくれた魑魅斬は得意げだ。

「確かに、いつも可愛い自分の顔がより美しく見えるわ……」

 鏡に映る顔を見て呟く。

「嬢ちゃん、自信あるな」
「まぁ、紅花は実際顔だけは整ってるからね……」

 苦笑いする魑魅斬の隣には、昨日から起きられるようになった玉風がいる。まだ本調子ではないようだが、食事もよく食べるようになってきた。

「顔だけって何よ」
「顔だけでしょーが! ちょっとは常識ってもんを身に着けなさい、あんたは」

 以前のように怒る元気も出てきたようで、ひとまず安心だ。

「さっさと終わらせて帰ってくるから、安静にしててね。玉風姉様」

 処刑のため特別に用意された蛇矛という武器を手に、冷宮を出た。

 ■

 灯された炎が赤々と燃えている。処刑場と呼ばれる円形の広場は、貴妃の宮の裏側にあった。地面の至る所にこびり付いた血の痕がある。ここでどれだけ多くの鬼や人が殺されたのだろう。
 円形の処刑場を囲むようにして数多くの観客席があり、皇后たちのいる観客席には特別な天幕が貼られている。皇后の隣には宋帝王である飛龍が座っており、こちらを見下ろしている。文字通り高みの見物だ。
 処刑場の中心に、酷く怯えた様子の鬼がいた。ぐるぐる巻きに縛られており、これから殺されることを恐れているように見える。

(……気分が悪い)

 悪人だからといって、こんな晒し者のようにする必要があるのか。
 観客席の下女たちがくすくすと楽しそうに語り合っているのが見える。きっと観客たちにとっては、悪者がやっつけられる喜劇を観ているのと同じ感覚なのだ。

(さっさと終わらせよう。こんな趣味の悪いことは)

 蛇矛を持ち直す。蛇矛は蛇のようにうねっている刃先が特徴で、刺されたら痛いのは当然として、傷の完治が遅いとして知られている。失敗して痛がらせるよりは一度で殺してしまった方が本人も楽だろう。
 鬼の急所は頭だ。頭を一発で潰しにかかろうとした、その時だった。

『どうしてどうしてどうしてどうして。俺は何もしていないのに――……』
「…………」

 蛇矛を持つ手が止まる。
 目の前の鬼の心の声が聞こえたからだ。

 紅花は手を下ろした。

「犯人、この鬼じゃありません」

 天幕のある特別席に向かって声を張って伝える。
 武官や侍女たち、他の観客がざわついた。処刑人が何の命令も受けずに突然処刑を中断したのだから当然だ。勝手な行動は、この処刑を主催している王や皇后に対しての無礼に当たるだろう。
 しかし、冤罪と分かっていて殺す程、愚かではない。

「何をやっているの? さっさと殺してしまいなさい」

 そう言ったのは、飛龍の正妻である天愛皇后だった。薄桃色の艷やかな髪と、金色の瞳。可愛らしい見た目とは裏腹に、周囲を凍りつかせるような冷たい目と冷たい声をしている。
 隣の玉座に座る飛龍も、足を組んだまま指示してきた。

「俺の愛する后がこう言ってるんだ。さっさと殺せ」
「でも、この鬼は真犯人ではないようなのです」

 普段飛龍に対して敬語などは使っていないが、ここには宋帝王に仕えている人々が大勢いる。下手したら石でも投げつけられそうなので一応敬語を付けた。
 処刑場内に沈黙が走る。観客たちは、紅花のことを信じられないものを見る目で見下ろしていた。気が違ったとでも思われているのだろう。傍から見れば王と皇后に意味の分からないことを言って逆らっているのだから。

「……なるほどねえ」

 長い沈黙の後、飛龍が面白そうに目を細める。

「あの時、言葉を発しない幽鬼に対して何で語りかけてるのかと思ったけど、ただの阿呆ではなかったわけだ」

 あの時。養心殿の近くの池で会った時のことを言っているのだろう。

「――――君、鬼の心が読めるんでしょ」

 言い当てられたのは初めてだ。幽鬼に話しかけるという行為は、余程違和感を覚えさせるものだったのかもしれない。

「はい。鬼と花の心が読めます」

 紅花は正直に肯定した。
 人間の心が読める獄吏は大勢いる。彼らは人の心を読み、その人間が最も嫌がる方法で苦しみを与えるのだ。
 しかし、紅花は元々適性がないためか、獄吏としての能力が歪んだ形で発現した。獄吏としては何の役にも立たない欠陥のような能力である。
 しかし、この能力があるおかげで紅花は鬼の獄吏の心を読み、弱みを握ることができた。そして、協力してもらって嫌な仕事から抜け出していた。玉風だけは元人間なので心を読めず、そのようにうまくやることはできなかったが。

「花?」

 質問を投げかけてきたのは、天愛皇后だ。

「花には意思があるのね」

 ふふっと笑うその顔はそれこそ花が咲くように美しかった。
 しかしその笑顔の真意は分からず、警戒してしまう。

(虚言だと馬鹿にされているのかしら)

 どうにかして信じさせなければと記憶を辿る。そういえば、以前御花園の花たちが天愛皇后について話していたことがある。

「宋帝王様の区域の花はいつも天愛皇后様のことを褒めております。お父上に利用されてなお己の人生を諦めない、聡明で強いお方であると」

 天愛皇后が、はっとしたように黙り込んだ。
 そして、しばらく黙っていたかと思えば、突然席から立ち上がって紅花に告げる。

「その者を解放なさい」

 どうやら信じてもらえたらしい。ほっとしながら蛇矛で鬼を縛っていた縄を切った。
 これで処刑は終わる――と期待したのだが、天愛皇后は続けて問うてきた。

「貴女、名前は?」
「……紅花……でございます」

 高貴なお方に名前を聞かれるとは思わず、畏まって回答する。
 もう二度と会わぬというのに名前を聞いてどうするというのか。

「では、紅花。わたくしの育てた花を盗んだ真犯人を見つけなさい」
「はい?」

 間抜けな声が出てしまった。
 後宮内での犯罪者の捜索は別の組織の仕事であって鬼殺しの仕事ではない。鬼殺しは殺ししか能のない職業である、と魑魅斬も言っていたはずだ。

「お言葉ですがそのようなことは私には……」
「このわたくしが命じているのよ。二度は言わせないで」

 相手は、後宮の宋帝王の区域で宋帝王の次に尊ばれている、天愛皇后だ。命令は絶対である。
 口答えなどできる立場ではない。それくらい、紅花にも分かった。

「……承知しました」

 長揖して命令を受け取る。
 ――引き受けた以上、犯人を見つけられなければどうなるか分からない。これはまた、厄介なことになってしまった。



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