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「鬼棲む冥府の十の後宮」第三話


 結局公開処刑は行われず、冤罪だった鬼は解放されて終わった。折角集まったというのに実施されなかったことが不満なのか、人々の「何よあの女」「ただの鬼殺しのくせに生意気な」といった紅花の悪口があちこちから聞こえてくる。
 紅花はそんな言葉は全く気にせずに処刑場を出た。
 すると、いつの間に移動していたのか、出口付近の通路に飛龍が立っていた。待ち構えていたかのように壁に背を預けてこちらを見ている。

「身分の低い者も、衣装次第で立派に見えるものだね」

 早々に厭味を言ってくるので、無視して通り過ぎようとした。が、二の腕を掴まれ引き戻される。

「よくできた花鈿《かでん》だ。魑魅斬に描いてもらったの?」

 花鈿というのは、今紅花の眉間に描かれている花模様のことだ。冥府では化粧をする際によく描かれる。

「そうだけど」
「ふうん。いいじゃん、可愛い。その姿の君なら抱いてやってもいいよ」
「はあ?」

 思わず素っ頓狂な声が出た。

「何その嫌そうな顔。可愛げねえなあ」

 飛龍はくっくっと低く笑う。
 何だかぞわぞわと鳥肌が立ってきた紅花は、飛龍の手を振り払ってそそくさと立ち去ろうとした。そんな紅花に向かって、後ろからからかうような声が聞こえる。

「もう少し身分が高ければ側室にしてやれたのに、残念だ」

 紅花はぴたりと立ち止まり、振り返る。

「天愛皇后は元奴隷だと聞いたけど?」

 少しの仕返しのつもりだった。身分だの何だのと散々下に見てくるそちらは、元奴隷の女性を愛して正妻にしただろう、と矛盾を突いてみせたのだ。
 飛龍が少し驚いたような顔をする。

「……それも花に聞いたの?」
「ええ。花は噂好きだからね。でも意外だったわ。遊び人の割に本気で后を愛しているのね」

 冥府には、およそ数千年前まで奴隷制度があったらしい。その制度を廃止させたのが今ここにいる飛龍だ。きっかけは、奴隷だった天愛皇后を愛してしまったこと。王が奴隷を後宮に迎えることはできない。だから、制度自体を廃止させてしまったのだろう。
 冥府についての決議には十王過半数の賛成が必要だ。飛龍は他の王たちを説得し制度の変更に至った。それほど天愛皇后のことが好きだったものと思われる。

「失礼な。俺がそんな薄情な男に見える? 俺は妻に選んだ人間は側室も含めてとびきり愛すし、愛しすぎて体調を崩される程だよ」

 飛龍は薄く笑いながら肯定した。
 それもどうなのかと思ったが、早く冷宮に戻らねばならなかったことを思い出し、今度こそ立ち去った。
 長話は嫌いだ。

 ■

「それで、休暇はいつから取らせてもらえるのかしら?」
「取らせるわけねーだろぉぉーーー!」

 冷宮に、魑魅斬の大きな声が響き渡った。
 上階で寝ている玉風を起こしてしまうのではないかと心配になる。

「どうして? 公開処刑をすれば暇をくれると言ったじゃない」
「公開処刑を遂行すればっつったろ。嬢ちゃん、できてねぇじゃん」
「仕方ないでしょう、相手は犯人じゃなかったんだから」
「あのなぁ~~~皇后が主催した行事だぞ? そんなことで中止していいと思ってんのか。しかも、俺は今回嬢ちゃんのことを鬼殺しの代表として処刑場に送ったんだからな? 既に関係各所から鬼殺しに対する文句の書が山程来てんだわ!」

 どさりと目の前に置かれたのは、文らしきものだった。紅花は字が読めないので内容は分からないが、字の勢いから怒りのような感情は感じ取れる。
 しかし、それでも紅花は自分の行いが間違っていたとは思えなかった。

「皇后様が主催されたのは公開処刑であって、罪のない鬼を殺す行事ではないでしょう」
「いやまぁ、そうだけどよぉ……普通、犯人じゃないって分かってても殺すんだよ、あーいう時は。中止した方が面倒なことになるだろ。皇后の気分次第で鬼と嬢ちゃん両方殺されててもおかしくなかったぞ」
「おかしいことをおかしいと言えない人間にはなりたくないの」

 紅花の言葉に魑魅斬はぐっと口籠った後、俯いて吐き捨てるように言った。

「割り切るんだよ、そこは」

 彼もこれまで鬼殺しとして生きてきて、正しくないことを強要されたことが数多くあったのだろう。そんなことを察せられる表情だった。
 魑魅斬は、気を取り直すように顔を上げて話を変えた。

「というわけでだ。嬢ちゃんには真犯人を見つけてもらわないと困る。鬼殺しの名誉のためにも」
「分かったわよ。……迷惑かけてごめんなさい」

 間違ったことはしていない。でも、魑魅斬や他の鬼殺しへの後宮での印象を悪化させてしまったのは事実だ。そう思って謝罪すると、魑魅斬は感動したような顔をした。

「嬢ちゃん、謝れたのか…………」
「私を何だと思ってんのよ。どいつもこいつも」

 紅花は不機嫌になりながら、重たい髪飾りを外すのだった。

 ■

 最初は簡単だろうと思っていた。天愛皇后の宮殿付近の花々から情報をもらえるだろうと甘く見ていた。しかし、花に聞いても目撃情報は一向に出てこない。盗みを働いていそうな者はいなかったと言うのだ。

「本当に見てないの?」
『ダカラ 言って るジャン 怪しいヒト 誰も いなかったッテ』
「じゃあ、鬼は? 人じゃなくて怪しい鬼はいなかった?」
『アナタが冤罪と言ったオニ 草を持って出てきた』

 後に聞けば、処刑されそうになっていたあの鬼は、たまたま宮殿内の清掃を任された清掃の鬼らしい。宮殿の玄関にある観葉植物の付近に生えていた雑草を抜いて外へ出ていたのを目撃され、その時持っていたのが花だったのではないかと疑われたとのことだ。後宮という場所は、疑わしきを積極的に罰するので納得できる。

(今日も手がかりなしか……)

 日に日に焦ってくる。このままでは閻魔王に会えるどころか、会う前に打ち首なのではないか。

(次の作戦を考えよう)

 焦る気持ちを落ち着かせるため、天愛皇后の宮を離れ、御花園へ向かう。あまり表には出していないが、紅花は花を眺めることが好きだ。話し相手としてだけでなく、その美しさを観察し癒やしを得ることができる。

(癒やしではあるけど、御花園って何故かよく幽鬼や狂鬼が来るのよね。鬼たちも花が好きなのかしら? 今日は来ないといいけど)

 色とりどりの花々が咲き誇る御花園。休憩がてら彼女たちを座って眺めていると、しばらくしてざあっと風が吹いた。
 花々が大きく揺れる。誰かが来たことを知らされ、眠りそうになっていた紅花は振り返った。

 圧倒的な存在感を放つ、一人の王が立っている。
 紅緋色の短髪と、深緋色に輝く瞳。ぞっとする程整ったその顔には、罪を与える罰として負ったであろう深い火傷の痕がある。

 ――第百五十代閻魔王、帝哀《ティーアイ》。

 誰よりも恋焦がれていた男がそこにいた。

 心臓が張り裂けるのではないかと思う程、緊張した。

「……お前」

 帝哀がゆっくりと口を開く。

(私を見てる。私に向かって言葉を発してる)

 どきどきと高鳴る心臓の音がうるさい。

「飛龍の養心殿の場所を知っているか?」

 何かと思えば、道に迷っているらしい。

「分か……ります」

 やっとの思いで絞り出した声は、物凄く小さかった。

(というか、宋帝王の養心殿ってこの区域で一番大きいから見えてるし、すぐそこだけど?)

 地図に弱いのかもしれない、可愛い、とときめいているうちに、「連れて行け」と短く指示される。

「彼に何か御用ですか?」

 少しでも会話を続けたくてそう聞いた。

「誘われたんだ。共に茶を飲まないかと」

(帝哀様、お茶をお飲みになるのね……!!)

 心の中で叫んだ。飛龍が羨ましい。同じ机を囲んで、一緒に茶を飲むなんて。嫉妬で狂いそうなくらいだ。

「ご案内しますね」

 丁寧にそう言い、養心殿へ向かってできるだけゆっくりと歩いた。一緒にいる時間を少しでも長くしたい。
 嗚呼、今自分は臭くないだろうか。今日は真犯人捜しに時間を使っていたから一体しか鬼を殺していないが、それでも酷い悪臭がしているはずだ。どうせ好きな人と会うことになるのなら、早めに川で身を清めていれば良かった。

 何か話したい、存在を覚えてもらいたいと思っているうちに、あっという間に宋帝王の養心殿に着いてしまった。

(今からでも養心殿、ここから遠ざかってくれないかしら……)

 悲しい気持ちで目の前に聳え立つ宮殿を見つめる。
 そして、もしかするともうしばらく見ることができないかもしれないと思い、帝哀の顔をじっと見つめる。

「何をじろじろ見ている?」

 その視線はすぐに気付かれてしまった。

「お顔が……お美しいなと思いまして」
「は?」

 帝哀が眉を寄せた。その不可解そうな顔もかっこいい。
 感情のない瞳でしばらく紅花を見ていた帝哀は、ふっと興味を失ったかのように視線を外し、養心殿の入り口へと歩いていく。

「あのっ……」

 その背中に声をかけた。

「――一兆六千億年間、貴方のことが好きでした」

 人に愛を伝えるというのは、物凄く緊張することらしい。
 けれどこれは、ずっと伝えたいと思っていたことだ。地獄の辛い日々を乗り越え、意思を保ったままいられたのは、閻魔王という希望があったから。

 ゆっくりと、帝哀の顔がこちらに向けられる。

「地獄を卒業した元人間の、獄吏か」

 ――その目は、予想していたよりも酷く冷たかった。この前の天愛皇后の視線の方がいくらか優しかったと思える程に。

「俺は人間など信じていない。勝手な発言も許可した覚えはない。失せろ」

 紅花にとっての一世一代の愛の告白は、あっさりと一蹴されてしまったのだった。

 紅花は帝哀の不機嫌を感じ取り、さっと身を低くした。

「大変申し訳ありません。好きという気持ちが抑えられなくて。何分一兆年以上、貴方に会いたかったので」
「…………」

 紅花のことなど相手にせず立ち去ろうとする帝哀に向かって名乗る。

「私! 紅花といいます」
「不要な発言は許可していないと言っている」
「申し訳ございません! でも、覚えておいてください。私、絶対に貴方を手に入れます」
「…………」
「今は信じてもらえなくても構いません。何度でも伝えますから」

 帝哀は紅花の言葉を無視し、宋帝王の養心殿へ入っていってしまった。

 ■

「はあ……」

 御花園に戻り、大きな溜め息を吐く。
 ――うまく伝えられなかった。
 帝哀の境遇を考えれば人間からのいきなりの告白など信用できなくて当然だからだ。大方、帝哀の目には紅花が、王に気に入られたくて媚び諂ってくるみっともない女に映ったことだろう。

『くすくす』
『クスくすクスクスくす』
『ウマくいかなかったのね』
『フフフ、失恋』

「うるさいわね……」

 御花園の花たちがからかってくるので、軽く睨み付けた。

 少し会えただけでも喜ばしいことだ。今はまだ、多くは望まない。

「これからよ。これから必ず帝哀様を振り向かせてみせるんだから、見てなさい」

 そのためにも、早く真犯人捜しは終わらせて休暇を取らなければ。
 そもそも花たちも怪しい者を見ていないというのはどういうことなのだろう。夜咲く花に聞いても見ていないと言っていた。花が眠っている間に犯人が宮殿から抜け出したということもなさそうだ。
 となると。

(天愛皇后が育てていた花は、まだ宮殿内にある……?)

 そもそも外には持ち出されていない可能性がある。
 この仮説を確かめるためには天愛皇后の宮殿の中に入る必要がある。しかし、ただの鬼殺しが皇后の宮殿に立ち入るなど決して許されることではない。

「う~ん……どうしたものかしら」

 手詰まりだ。
 がくりと項垂れていると、こちらに歩いてくる足音がした。

「俺にも手伝わせてくれ」

 顔を上げるとそこにいたのは、角の生えた一体の鬼。
 彼は、紅花が処刑から救った鬼だった。

「ええっと……」
「掃除鬼とでも呼んでくれ。おめえは俺を助けてくれた。できることがあるならしてえんだ」

 心を読んでみたが、言葉に嘘はない。何か企んでいるというわけでもないようだ。思わぬ助け舟である。

「貴方、天愛皇后の宮殿に入ることはできる?」
「皇后様は盗みがあってからいかなる鬼も宮殿に入れてねえ。一度疑われた鬼なら尚更だ」
「……何だ、じゃあ要らないわ」
「待て待て待て、後宮では鬼殺しよりも俺の方が自由をきかせられるし、役に立つ場面もあるんじゃねえか!?」
「今のところないわ。ありがとう。気持ちだけ受け取っておく」
「待て待て待て!」

 立ち去ろうとする紅花を、掃除鬼はしつこく止めた。

「俺は長い間天愛皇后の宮殿の掃除係だった。宮殿内部の様子なら結構分かる」
「そう言われてもねえ……」
「――俺は、真犯人が天愛皇后の侍女じゃねえかと思ってる」
「何ですって?」

 侍女というのは、妃の近くで妃に仕える使用人のような存在だ。妃の信頼の厚い人物でなければ傍にはいられない。天愛皇后が信用している侍女が、そんなことをするとは思えないのだが。

「根拠は?」
「天愛皇后は侍女たちにあまり好かれていない」
「……何故? あんなにお美しいのに」
「奴隷出身だからだよ。人ってのは、そもそも身分が高く手の届かない人には〝憧れ〟を抱くが、自分と同等か下だった人間が成り上がって良い身分になっていると〝妬み〟を抱くらしい。特に、今の侍女たちは奴隷制度があった時代から後宮で働いている歴の長い者たちだ。奴隷への潜在的な差別意識がある。そういう教育を受けて育った世代だからな」
「だからといって皇后の私物を盗むかしら。発覚したら殺されるのに」
「大事になるとは予想していなかったんだろう。きっと、花を隠して少し困らせるつもりだっただけだ。しかし、思いの外天愛皇后が花のことを気にした。だから都合良く俺みてえな鬼を犯人に仕立て上げたんだ」
「侍女たちが盗んだ現場を実際に見たわけではないのでしょう?」
「花を盗んだ現場は見てねえよ。でも、日常的に天愛皇后の物を盗んで隠す嫌がらせをしてんのは見た」
「ふうん……天愛皇后はそれには気付いていなかったの?」
「さあな。あの皇后様の考えていることは分からん」

 今回の花の件も侍女たちがやった可能性がある。やはり宮殿内を確かめる必要はあるだろう。
 天愛皇后に嫌がらせの事実を伝えても、一度疑われた掃除鬼の発言など信じてもらえないことは目に見えている。先に決定的な証拠を押さえなければならない。

「こっそり宮殿に入れるような経路はある?」
「はあ!? そ、それは駄目だぞ。絶対駄目だ」
「手伝わせてくれと言ったのは貴方じゃない。誠意を見せて」
「勝手に皇后の宮殿に入るなんてのは手伝うの範疇を超えてる!」

 紅花はちっと舌打ちをした。
 しかし、掃除鬼の言うことはもっともだ。宮殿に勝手に入るというのは非常識な作戦であり、下手をすれば今度こそ打首だ。何か、宮殿に入るための口実ができれば。
 そこまで考えて、紅花はふと思い付いた。

「――狂鬼を送りつければいいわ」
「は!?」

 掃除鬼がぎょっとした顔をする。

「宮殿に幽鬼、あるいは狂鬼が現れれば、宮殿内の人々は鬼殺しを呼ばざるを得ない」
「いやいやいやいや……駄目だろ!」
「さっきから駄目駄目うるさいわね。四の五の言わずに協力してちょうだい。貴方が片思いしている相手に貴方の気持ちをばらしてもいいのよ?」
「は!? 何で俺の好きな子のこと知って…………まさか、」
「さっきから、『下手をして打首になったらあの子に会えない。折角何とか引き延ばせた命なのに』と考えてばかりだから」
「俺の心読むなよぉぉぉぉおおお!」

 顔を真っ赤にした掃除鬼の絶叫が御花園に響き渡る。頭から生えた小さな角まで赤くなるのだから不思議だ。
 
「よく考えてみて。これでもし本当に真犯人が見つかったら、私も貴方も大手柄。貴方は好きな子にも見直してもらえるんじゃないかしら?」
「うっ、ううっ……け、けどよぉ~……」
「今のままじゃ脈なしなんでしょう。格好いいところを見せなきゃいけないわ。今のところ、貴方は罪を着せられてみっともなく怯えて震えてた鬼でしかないんだから」
「そんな言い方すんなよぉ!」

 一時間程の押し問答があった後、掃除鬼は諦めたように項垂れ、紅花に天愛皇后の宮殿の図を渡してきた。
 出入り口は少ないが、窓はいくつもある。
 紅花はある作戦を考え、にやりと笑った。

 ■

 川で身を清めていると、今日も飛龍がやってきた。
 こう高い頻度で来られると、女の浴を覗くのが趣味なのだろうかと疑ってしまう。

「帝哀に会ったようだね」

 しかし、そんな疑念は一瞬にしてどうでも良くなった。愛する人の話題を出されたからだ。

「帝哀様、私のことを話していたの!?」

 思わず川から立ち上がって食い付く。

「〝顔が美しい〟なんて言ってきた君のことを不審に思ったんだって。確かに帝哀の顔は整っているけれど、あの火傷痕のせいで普段は色々悪く言われているみたいだからね」
「帝哀様の悪口を言う人がいるなんて許せないわ」

 あの火傷痕は帝哀の勲章だ。紅花はそう思う。

「飛龍様のことが羨ましい。殺したい程に。帝哀様とお茶できるなんて」
「王に向かって殺したいって、無礼すぎるでしょ。誰かに聞かれたらただじゃ済まないよ?……あと、君は本当に男に対する危機感がないんだね。わざわざ釘をさしてやったのに」

 飛龍が視線を下行させ、紅花の裸体をじろじろと見てきた。

「一回見られたら何度見られても同じことだわ。それより、帝哀様はその他には何も言っていなかった? 私のこと」
「変わった鬼殺しが道案内をしてくれたと言っていたくらいだよ。あいつ、うちの区域に来たのは一度じゃないくせに、毎回迷ってるんだよね」
「帝哀様ったら地図に弱いのね」

 くすくすと笑う紅花に対し、飛龍は何故か不機嫌そうにむすりとした。

「何なの、俺が目の前にいるのに帝哀の話ばっかり。君みたいな女初めてだよ」
「……ああ、そういえば。飛龍様は何をしにここへ?」

 ふと疑問に思って問いかける。
 わざわざ冷宮の近くの川まで来るのには何か理由があるはずだ。今更ながら気になってきた。

「そんなついでみたいに気にされても嬉しくねーよ。あーあ、やっぱ君生意気だから殺すべきだったかなぁ」

 飛龍はさらっと恐ろしいことを言ってきた後、本題に入った。

「犯人捜しの進捗はどうか、聞きに来たんだ。天愛は生花の髪飾りを次の元宵節《げんしょうせつ》で使いたいらしい。それまでに犯人が見つかっていないと困るんだって」

 後宮の元宵節とは、提灯に火を灯してこれから一兆年後も冥府が滞りなく回っていくことを祈る祭りだ。これまで後宮にいなかった紅花は体験したことがないが、噂には聞いたことがある。絵画、陶磁器、漆器、刺繍などが現世から取り寄せられて販売され、鬼達が獅子舞や竜舞などの伝統舞踊を演じ、美味しい食べ物も沢山配られるらしい。
 元宵節の間はどの区域の王も張り切っており、区域ごとに雰囲気の違う飾りや遊びが用意される。普段は自分の区域でしか過ごさない妃たちも、この期間は他の区域に赴き楽しむと聞く。

 そこで、特に重要なのがそれぞれの妃の衣装や髪飾りなどの見た目だ。元宵節の時期は最も後宮内の人の移動が盛んになる時期で、妃が他の区域の者の目に触れる機会も多い。その時の姿がお粗末であれば、「あの王の妃は着飾る余裕もないのだ」と舐められるとのことだ。だから、妃たちはこの行事までにとびきりのお洒落の準備をする。

 確かに、その元宵節までに新しく髪飾りを準備したいのであれば、今から花を育てる必要がある。育てている途中でまた犯人が現れて再び髪飾りを盗まれでもしたら確実に間に合わなくなるだろう。

「飛龍様にお願いがあるわ」

 紅花は川から上がり、布で体を拭きながら言った。

「今夜、天愛皇后様の宮を訪れてくださらないかしら」
「どうして今日どの妻を抱くかを君に決められなきゃいけない?」

 妃の宮に行くということは、そういった情事を行うということ。飛龍には他にも大勢の妻がいる。その中の誰の所へ行くかを他人に指図されるのは良い気がしないだろう。
 しかしそうしてもらわなければ、例え幽鬼を天愛皇后の宮に送り込んだとしても失敗する可能性が高い。幽鬼は元は、自分を裁いた王への憎しみから生まれているものだからだ。例え皇后の宮に幽鬼を呼び寄せたとしても、王がいなければ呆気なく宮殿から出ていってしまうかもしれない。実際、皇后たちの宮殿には幽鬼が滅多に寄り付かないと聞く。
 紅花は再度頼み込んだ。

「そこを何とか」
「君は俺に指図できる立場じゃないでしょう?」

 飛龍は冷たい目をしている。
 出過ぎた真似をしていることなど承知の上だ。しかしここは譲れない。じっと見返して意思を曲げないことを伝えれば、飛龍は薄ら笑いを浮かべた。

「……何を企んでる?」

 探るような視線を向けられる。
 さすがに、皇后の宮殿に幽鬼を送ろうとしているなどとは言えない。愛妻家のこの男に皇后を危険に晒すことを伝えれば、激怒するに違いないからだ。

「言えないわ」
「口を割らせてやろうか? 手段ならいくらでもある」
「地獄で一兆年以上の時を過ごした私が、少しくらいの拷問で口を割るとでも?」

 気の遠くなる程の時間を苦しみながら過ごしてきた。ちょっとやそっとでは折れない自信がある。
 しかし、飛龍はくすくすとおかしげに笑う。

「分かってないね」

 そして、紅花を木に追い詰めて囁いた。

「快楽地獄は味わったことないでしょ?」

「……は」
「俺、本来は罰する方が好きなんだよね。裁くだけじゃなくて。か弱い女の子が怯えながら俺の裁きを待ってる時、俺の手で罰したくてぞくぞくする。でも、王という立場じゃ判決を下すことしかできないからさあ。俺の日々の欲求不満、君が発散させてくれる?」

 こいつは本当に邪淫を裁く宋帝王なのだろうか。宋帝王として問題があるのではないか。
 心の内で色々考えている間にも飛龍の手がゆっくりと伸びてくる。このままでは本当に実行されてしまいそうな雰囲気だ。紅花は咄嗟に白状してしまった。

「真犯人が天愛皇后様の身近な人物である可能性がある。その真偽を確かめるために侍女たちにも抜き打ちで宮殿内を見たい。幽鬼を呼び寄せるために、貴方が必要なの」
「は?」
「皇后の宮殿は神聖なものとされているでしょう。余程のことが起こらない限りは私が立ち入ることを侍女たちも皇后も嫌がる。それに、正式に外部から宮殿に人を招くとなれば必ず侍女に知らせが行く……抜き打ちで行うには、侍女たちにとっても〝突然の異常事態〟を起こすしかない」

 作戦を暴露した後、おそるおそる飛龍を見上げる。愛する妻を危険に晒すなと激怒するだろうか――と悪い予想をしていたが、飛龍は思いの外、面白がっているようだった。

「そういうことかぁ」
「……止めないの?」
「俺が傍にいれば幽鬼が襲ってきても天愛のことは守ってやれるだろうから。そういう意味でも、今夜は天愛のところへ行ってやるよ。ついでに、幽鬼が現れたらすぐ鬼殺しを呼べと指示してあげる」
「随分協力的なのね」
「君がどう真犯人を捕まえるのか見たくなった。俺を楽しませられるように、頑張ってね」

 飛龍は不敵な笑みを浮かべて紅花から手を離す。
 その目が恐ろしく、ぞぞぞっと寒気が走った。おそらく飛龍にとっては未知の生命体がどう動くかを観察するのと同じような感覚なのだろう。

 目的は、宮殿内にまだあるかもしれない花を探し、花の声を聞いて犯人を特定すること。飛龍の協力も得られるようであるし、必ず成功させなければならない。




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