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「鬼棲む冥府の十の後宮」第十話


「あらあらあらぁ、奴隷の下に付いている、可哀想な方々じゃない」

 長子皇后の侍女たちは、口元を隠しながら一斉に笑い合う。それは明らかに嘲笑だった。

「天愛皇后様はもう奴隷ではないわ。生まれがどうであれ、あの方の素晴らしさが分からないなんて、人を見る目がないこと」
「……こちらが節穴だと言いたいの?」

 長子皇后の侍女の一人が、天愛皇后の侍女の言葉にぴくりと眉を寄せた。その顔からは一瞬にして笑みが剥がれ落ちる。

「私達は、閻魔王様の皇后様であらせられる、長子様直属の侍女よ? 奴隷の下にいる分際で、私達にそんな口を叩いていいと思ってるのかしら」
「私達だって、宋帝王様の皇后様の侍女よ!」
「はぁ? 奴隷を皇后の座に置いているような品格のない区域の王など取るに足りない。その区域で働いている貴女たちもその程度の存在ということよ」
「自尊感情があるのはいいことね! けれど、自分のところの皇后様が好きだからって、こちらの区域を馬鹿にするような物言いは浅慮なのではなくって? 育ちのいい長子皇后様と違って、貴女たちはろくな教育も受けていないようね?」
「あら~~~? そちらは私達のことを何も知らないようねぇ? 長子皇后様は血筋からして完璧だから、その辺の雑草を傍に置くことなんてしないわ。かくいう私は後宮で一番才のある侍女とされていて――」

 言い争いは苛烈なものになっていく。双方一歩も譲らず、その顔はどちらもまるで鬼のように恐ろしい。
 きっと以前であれば、天愛皇后の侍女がこのように反論することもなかったはずだ。彼女たちが心から天愛皇后を誇りに思うようになったからできている。
 以前馬鹿にされた時は、心のどこかでその通りだと思っていたから、言い返せなかったのだ。良い変化のように思われた。

「それだけお偉い長子皇后様は、お体を愛でることはできるのかしら?」
「……は? 体?」
「天愛様は夜の技も格別よ。さすがはあのほぼ男にしか興味のない宋帝王様を物にしただけあるわ」
「な、な、何であんた達がそんなこと知ってんのよ。まるで経験したことあるみたいな……」
「天愛様はお優しいの。とっても……。だから、私達のような下の者のことも可愛がってくださるのよ……」
「は、はぁぁ? 急に何の話よ、何の!」

 ぽうっと頬を染めながら語る天愛皇后の侍女たちの艶めかしい声を聞いて、長子皇后の侍女たちの顔が耳まで真っ赤に染まる。いや本当に何の話をしているのだろう。

「王のお通いがない長子皇后様には、そのような技術もないのでは?」

 それは最大限の侮辱だった。夫である閻魔王が一度も長子皇后の宮殿を訪れていないのは事実である。逆に言えば、それだけが長子皇后の弱点と言えるだろう。痛いところを突かれた長子皇后の侍女たちは沸騰するのではないかと心配になる程顔を赤くして怒り狂い始めた。

「あんた達、なんてこと言うの!? 今は確かにお通いがないかもしれないけれど、それは閻魔王様がお忙しいからで……ッ」
「宋帝王様も閻魔王様と同程度に裁判があるけれど、合間を縫って長子皇后様の元に通っているわ!」
「だから何よ! 長子皇后様は、夜の技術なんて淫らな取り柄しかないような下品な人とは違うわ!」

 そこではっとした。いつの間にか、紅花の隣から飛龍がいなくなっている。
 視線を横に移動させると、長子皇后の侍女の真後ろに彼がいた。

「――虎の威を借る狐って、君たちみたいなのを言うんだね」

 振り返った侍女たちは、宋帝王である飛龍の姿を見て頭から水を浴びたようにぞっとした顔をして硬直する。

「…………」
「何黙ってるんだよ。ああ、頭悪いから分かんない? 権勢を持つ者に頼って威張る小者って意味なんだけど」
「……あっ……あ、ああ、う」

 恐ろしすぎて言葉にならないのか、口をぱくぱくさせながら後退る様子が見えた。

「天愛を侮辱するっていうのは、すなわち俺を侮辱するってことだけど――それが何を意味するか、分からない程愚かじゃないよね? 〝長子皇后様の侍女〟ともあろう女が」
「……っ……ぅ」
「他区域の王や皇后になら何を言ってもいいと思ったかな? 俺らからすれば、道端に生えている雑草よりも価値のない君たちが」

 飛龍に冷たい目で見下ろされた侍女たちの足ががくがくと震えている。
 ――あれは、この後どうなるか分からないな。紅花のように鬼殺しにされてしまうかもしれない。最終的には長子皇后が間に入って守ってくれるだろうが、それ程思い入れのない侍女ならあっさり飛龍に渡す可能性もある。

 怖い怖い……と想像しながら、天愛皇后に見入っているうちに冷めてしまった小籠包を咥える。すると、隣の帝哀が話しかけてきた。

「昨夜は何をしていた?」

 自分の区域の皇后の侍女が危険な目に遭っているのに、そちらには見向きもしていない。全く興味なさげだ。

「後宮内のあちこちを動き回っていただろう」

 帝哀には紅花の位置が分かる。昨夜紅花が妙な動きをしていたことくらいお見通しのようだ。

 ――聞かないでほしかった。帝哀に聞かれてしまえば、嘘がつけない。

 躊躇ったが、そこでふと思い出す。帝哀は――長子皇后が助けを求めたら助けてやってくれと頼んできたことがある。もしかしたら、長子皇后の望みを帝哀は全て知っているのかもしれない。

「……帝哀は、どうして長子皇后様がご自分を嫌いだと思ったのですか?」
「…………」

 帝哀が黙り込む。そして一拍置いてこう言った。

「俺が、あいつの愛していた男を死に追いやったからだ」
「……ご存じだったのですね」
「お前こそ、何故知っている? あの長子が話したのか」
「長子皇后様に、自分を死罪に追い込むよう持ちかけられました」
「……そうだろうな。あいつはずっと、今でも俺の父上が好きなんだろう」
「止めないのですか」
「それがあいつの幸せならば。こう見えて幼い頃は家族ぐるみで仲良くしていたんだ。あいつの大切な者を奪った人間として、あいつの望みは叶えてやりたい」

 自身の正妻が死ぬかもしれないというのに、帝哀の態度は冷静だった。

「……長子皇后様とは、今日、十王の元に幽鬼と狂鬼を送る約束をしています」
「っはは、あいつらしい。滅茶苦茶なやり方だ」
「……怒らないのですか? 帝哀を危険に晒すような計画なのに」
「守ってくれるんだろ?」

 試すような笑みを浮かべながら覗き込まれた。
 その顔の近さにどきどきと心臓が高鳴る。

「……は、い。勿論です」
「なら、お前を信じる」

 人間など信じていないと言った帝哀が、紅花を信じてくれている。ただそれだけで、一億倍頑張れる気がした。



 日が暮れてきた。最後の主要行事である、各区域の妃たちの舞いの時刻が近付いている。元宵節で唯一、十王が一箇所に集まる機会。長子皇后の計画を遂行するなら数年に一度のこの時期しかない。

(食べすぎた…………)

 そんな重要な事柄を任されておきながら、夕刻まで普通に元宵節を楽しんでしまった。心なしか食べすぎてお腹が痛くなってきた。ただの緊張かもしれないが。

「大丈夫か? 薬を持ってくるから休んでいろ」

 顔色に出ていたのか帝哀にまで気を使われてしまい情けない。
 帝哀が近くを歩いていた薬草売りに話しかける。薬草売りはまさか閻魔王に直接声をかけられるとは思っていなかったのかあたふたしていた。

「食い意地張ってるからだよ」
「……うるさいわね」

 隣の飛龍ににやにやとからかわれたため、軽く睨みつける。
 そこでふと、彼なら大きな力になるのではないかと気付いた。

「飛龍様、お願いがあるのだけど」
「君が俺にお願い? 珍しいね」
「これから十王会議が行われるかもしれない。その議題がどんな内容でも賛成してほしい。そして、他の王たちも賛成するような流れを作ってほしい」
「……何を企んでるんだか。そーいうのは大好きな帝哀に頼めばいいんじゃない? 今日ずっといちゃいちゃしてたじゃん」

 飛龍はやる気なさげだ。それどころか、何故かいつもよりむすっとしているようにも見える。
 しかし紅花は食い下がった。

「今回ばかりは貴方にしか頼めない」
「……ふうん?」
「帝哀は、周囲の人を寄せ付けないでしょう。普段から他人に対して冷たい態度を取っているようだから、他の王たちがそんな帝哀の言うことを聞くと思えないの」

 帝哀は基本的に誰も信じていない。それは他の王に対しても同じことだ。十王のうち、定期的に交流しているのは飛龍だけだと言っていた。王達が十王会議で帝哀の出した意見に流されるとは思えない。
 対して、そんな帝哀と唯一打ち解けている程の社交性を持つ飛龍であれば、他の王たちともそれなりに仲が良いに違いない。加えて人に圧力をかけたり丸め込んだりすることもうまそうだし、これ以上ない適任だ。

「事情も説明せずにこんなことを頼むのは無理があると分かっているわ。でも……」
「君が毎夜俺の相手をしてくれるって言うなら、考えてやらないこともないよ」

 飛龍の整った顔がずいっと紅花に近付いてくる。薄く笑う彼の表情は妖艶で、思わずごくりと唾を飲んだ。

「な……何よそれ」
「分かんない? 交渉するならこっちにも餌を寄越せよ。無償で王を動かせると思うな」
「……それもそうね。でも〝俺の相手〟っていうのは…………闘茶のお相手って意味じゃないのでしょう?」
「俺の妾になれって言ってんの」

 僅かな希望をかけて確認してみたが、やはり違ったようだ。

「知らなかったわ。そんなに私のことを気に入ってたのね。私の浴を何度も覗いているうちに、私の女体に惹かれてしまったということ?」
「人聞き悪いこと言うなよ。単純に君のことを手に入れたくなった。……というより、柄にもなく焦ってるって言う方が正しいかな。このままじゃ君は本当に、帝哀の物になっちゃいそうだから」

 飛龍が、先程までより真剣な表情で言う。
 紅花に対しても所有欲を抱いているということらしい。
 どうしたものかと思った。この男には行動力も交渉力も、狙った獲物を逃さない狡猾さもある。かつて奴隷の女に特例的に皇后の称号を与えたくらいなのだから。
 ここで普通に断ったところで受け入れてもらえない気がした。であれば、痛いところを突くしかない。

「――――なら、私のことを貴方の区域の皇后にしてくれる?」

 目を見開いた飛龍の瞳が僅かに揺れた。
 答えは分かっている。こんな意地悪な質問をしたのは、わざとだ。

「私、欲張りだから、妾じゃ嫌なの」
「…………」
「できないでしょう。貴方には絶対に。貴方の〝一番〟は今も昔も天愛皇后様ただ一人なんだから」

 正妻の座も、高貴妃の座も貴妃の座も絶対に揺らがない。今いる妻たちを何より大切にしている飛龍が、その妻たちに悲しい思いをさせることなど絶対にない。
 言い返すことのできなくなったらしい飛龍を、ふっと鼻で笑ってやる。

「あれもこれも欲しいなんて傲慢ね。悪いけど私は、妾なんて立場に甘んじるような安い女じゃない」

 だから最初から、紅花が奪おうとしているのは帝哀の皇后の称号なのだ。妥協をするつもりはない。
 不意に、飛龍が大きな声を上げて笑った。

「ふっ、は、ははははははは! そう来たか! いいねえ、確かに、そう言われたら俺は君をこれ以上求めることはできない。考えたね」
「貴方の天愛皇后様溺愛っぷりはよく知っているからね」
「っは、やっぱ君はいい女だよ。ますます欲しくなっちゃった」
「欲しくなられても困るのだけど……」

 一通り笑った後、薬を持った帝哀がこちらに戻ってくる折に、飛龍が言った。

「俺の妻たちを害するような事柄でなければ賛成してあげるよ」
「え?」
「十王会議、やるんだろ。過半数どころか全会一致させてあげる」
「……随分あっさり手伝ってくれるのね。ありがとう」

 後で代償を要求されないが少し怖いが、礼を返す。

「惚れた女には優しくする主義なんでね」

 くっくっと低く笑いながら冗談か本気か分からないようなことを口にする飛龍を横目に、帝哀が持ってきてくれた薬草を潰して呑んだ。

 ■

 徐々に舞いが行われる広場に人々が集まっていく。人々の流れに逆らって、反対方向に走っていくのは紅花ただ一人のみだ。
 やることは、花たちと打ち合わせをすることと、昨夜位置を確認した幽鬼たちに会いに行って舞いが行われている広場まで誘導すること。広範囲の移動をしなければならないので、鬼の協力が必要だ。この時のため、あらかじめ脅して言うことを聞かせた運び鬼がいる。
 しかし――約束の場所に向かっても、その運び鬼はいなかった。

「あの野郎……逃げやがったわね…………」

 やはり恐怖で他者を従わせるのには限界があるということだろう。いくら脅されたからといって、十王への反逆に誘われたら逃げるのも無理はない。心が読める紅花にちょっとした悪事をばらされるのと、反逆罪に問われるのとでは、後者の方がかなり危険性が高い。少し考えれば分かることだ。
 早速行き詰まってしまった。紅花の足だけで十区域を移動するのは不可能である。

(どうしよう……帝哀にお願いする……? いやでも、既に特別席に向かわれたようだし、話しかけるのは難しいわ。新しい鬼をこれから捕まえるにしても全員広場の方に行っちゃってるし、人目につく場所で交渉するのは避けたい)

 だらだらと汗が流れる。その時、後ろから聞いたことのある誰かの声がした。

「困ってんのか? 俺を使え!」

 ――あの時助けた掃除鬼だ。

「な……何でこんなところに。皆広場に向かったはずでしょう?」
「逆流していくお前が見えたからよ! また天愛皇后様にこき使われてんじゃねえかって……ったく、元宵節の日まで働かせるなんて天愛皇后様も意地悪だぜ」
「……今回は別件よ。でも、助かったわ」

 普段から運びをしている鬼と比べれば速力は落ちるだろうが、掃除鬼も立派な鬼だ。人より何十倍も体力があり、素早く動ける。

(反逆の準備だってことは言わないでおこう……)

「幽鬼を集めたいの。まずは、この区域の北端に向かってくれる? 御花園のすぐ隣なんだけど……」

 時間もないので前置きは抜きにして用件だけ伝えていると、また別の声がした。

「おーい、そこでこそこそ何してんだ?」

 ぎくりとして動きを止める。振り返ると、そこにいたのは魑魅斬だ。
 こっそり実行に移したかったのに、どうしてこうも邪魔が入るのか。

「……ナ、ナニモシテナイワヨ」
「嬢ちゃんが何か隠してんのはお見通しだ。どうせ、何かに巻き込まれてんだろ? 元宵節っていう喜ばしい宴の真っ最中に、後輩だけ働かせるなんてあっちゃならねえことだからな。手伝ってやる」

 得意げに先輩面してくる魑魅斬。何だかんだで世話焼きな彼は、紅花の様子が気になって後をつけてきていたらしい。
 魑魅斬の耳に口を近付け、こそこそと長子皇后との間で交わした約束について伝える。彼は案の定「はぁぁああ~~~!?」と大きな声を出してひっくり返りそうなくらい仰け反った。

「嬢ちゃん、それ、何しようとしてるか分かってんのか?」
「分かった上でやってるわ。これがうまくいけば長子皇后様は皇后の称号を剥奪される。こんな機会を逃すわけにはいかない」
「嬢ちゃんが帝哀様のことが大好きなのは知ってたけどよ……まさかそれ程とは……」

 魑魅斬は心底呆れたような声を出す。

「嬢ちゃんの力になってやりてぇところだが、さすがに反逆の手伝いをするのは無理だ。俺は帰らせてもらう」
「その方がいいわ。貴方をこんなことに巻き込んだら玉風姉様が怒りそうだし」
「……念の為確認だが、実際に王に攻撃するつもりはないんだよな?」
「ええ、あくまでも幽鬼が大量に現場にやってきたという事実だけが欲しい」

 そう言うと、魑魅斬は少し考えるような素振りをした後、観念したように言った。

「なら、俺は広場で幽鬼や狂鬼を迎え撃つ。王には掠り傷一つ付けねえようにするよ。鬼殺しとしてな」

 どうやら、王を守るという点では手伝ってくれるらしい。
 ぽりぽりと頭を掻きながら立ち去っていく魑魅斬の背中に向かって言う。

「私もすぐに行く。それまでよろしく頼むわよ」

 鬼殺しとしてずっと共に活動してきた、兄貴分の背中。そこに紅花は絶大な信頼を置いている。そんな彼が協力してくれる状況になったことで、少しだけ落ち着くことができた。

「おいおい、俺抜きで何の話してたんだァ?」

 掃除鬼が不思議そうに近付いてきたので、改めて地図を開きながら、連れて行ってほしい場所を伝えた。




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