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結局「妥協」からは何も生まれない。

(2022.01.28執筆)

スペインに来て約5ヶ月。1学期のテストが終わり2学期のスタートを目前にしてこれまでの振り返りをしていた時に感じたこと。

「どうせ」という表現は様々な場面でよく使われるが、どうもネガティブな印象が強い。

「どうせ1年だけだから。」
「どうせ帰国する時には持って帰れないから。」

スペインに来てからというもの、そんなことを言い聞かせて日々の生活を少し豊かにしてくれるようなものや欲しいものを買うのを躊躇っていた。

慣れない環境での授業や課題、テストに心の余裕を失っていたことも関係していただろうが、意図せずともこの「どうせ」の思考が染みついてしまっていたのかもしれない。

1学期のテストが終わり、少し余裕ができ、2学期をどのように過ごそうか、残りの貴重な留学の期間をどんな時間にしようか、するべきなのか。それを考える時間を設けた。

たどり着いた結論は、

「直接経験」を充実させる期間にする。

ということ。


「直接経験」があればもちろん「間接経験」もある。

これは高校時代の恩師が授業中に話してくれた考え方で、その後の大学進学、短期留学、そして現在の長期留学において私にとても大きな影響を与えることとなった。

「間接経験」は何かの媒体を介して学びを得ること。つまり本を読んだり誰かに聞いたり、今の時代であればインターネットで検索をしたり。その手段はたくさんある。
対して「直接経験」とは、実際に肌で感じる経験。つまり自らその場所を訪れることでしか成し得ないのである。
恩師の教えは、この「間接経験」「直接経験」の2つの経験の相互作用でより知識に深みが増し、人としてもより成長できるというものだった。

少し話が逸れかけたが、「直接経験」は「保証された学び」ではないと考えている。つまり、これは思いがけず得ることのできる経験で、「○○に行けば△△という学びが得られる」などと断言することはできないのである。「直接経験を充実させる」という目標の意図は、「直接経験を経て得た気付きと間接経験を経て得た知識を結びつける経験をより多く得たい」ということで、その為には視野を広げて1つのものを見た時にできるだけ多くの気付きを得たい。その為には心の余裕がある程度必要だと考えた。

ここで始めの話に戻る。
こう思って今まで躊躇っていたものたちを思い切って揃え始めてみた。すると生活自体は変わらずとも自然と気持ちの余裕が生まれ始めた。

この例だけではお金の使い方の話になりかねないが、そうではない。これはこの気付きを得ることとなったきっかけの小さな一例であって、題名にもあるとおり焦点を当てたいのは「妥協」である。

時間やものの使い方、行動の選択、好奇心など、何においても「自分に対する妥協」など何も生まないということを痛感した。例えその「妥協しないこと」が自分にとって厳しい道への選択であろうが、自分を労わるような選択であろうが。

この貴重な留学の残りの時間、ことの大小に関わらずもう1つも妥協をしないと決めた。自分に妥協していなければ、その結果が成功でも失敗でも新しい何かを自分に与えてくれるし、それすらかけがえのない経験になると思うから。

残りの留学中、一番素直になりたい部分は好奇心だ。しかし実はこれが一番難しい要素かもしれない。とにかく自分の見たいもの、行きたいところ、やりたいことに妥協せず、「直接経験」を可能な限り充実させたい。

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