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アヴァロンシティ図書館(+視聴覚室)

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不肖「信頼出来ない語り手」明智紫苑のおバカ書評! ついでにボヤキ! 読む読まないはあなた次第です。 当シリーズは、書評だけでなく、音楽や映画・演劇・舞台芸術などについての感想も載… もっと読む
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記事一覧

その刑事はあまりにも ―きたがわ翔『刑事が一匹…』―

その刑事はあまりにも ―きたがわ翔『刑事が一匹…』―

 私は現在、新作長編小説を執筆しているが、それと並行して重要人物のキャラクタードールを製作中である。この小説は女性がマジョリティーの世界観のものであり、ほとんどの女性たちは「男の七光り」には頼れない非情な世界である。そのような世界観の物語に欠かせないのが、いわゆる「ダークヒロイン」である。そのための参考資料として、私は『マッド・マックス 怒りのデスロード』や『肉体の門』、『キル・ビル』などの映画を

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あたしは不死身の花嫁だ! ―クエンティン・タランティーノ『キル・ビル』―

あたしは不死身の花嫁だ! ―クエンティン・タランティーノ『キル・ビル』―

 私は「戦う女たち」を描く小説を書くための参考資料として、『マッド・マックス 怒りのデスロード』や『肉体の門』などの映画を観た。なぜなら、『ウマ娘』などのように性善説的な「シスターフッド」を描く作品を参考資料にするだけではまだまだ不十分だからである。やはり、「女」の怖さや醜さや汚さや愚かさなどを描く作品こそが、私自身の小説の参考資料にふさわしい。
 そこで私は、クエンティン・タランティーノ監督の映

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中華を旅する「女教皇」 ―陳舜臣『秘本三国志』―

中華を旅する「女教皇」 ―陳舜臣『秘本三国志』―

 タロットには「女教皇」というカードがある。「女帝」にバビロニアの女神イシュタル並びにフェニキアの女神アスタルテのような大地母神的なイメージがあるのに対して、「女教皇」にはもっと知的・精神的に研ぎ澄まされた女性のイメージがある。「女帝」が「赤」のイメージならば、「女教皇」は「青」のイメージである(ならば、『ウマ娘』の「女帝」エアグルーヴは、外見的にはむしろ「女教皇」に近いイメージのキャラクターかも

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サブカルチャーの「魔女」たち ―海野弘『魔女の世界史』―

サブカルチャーの「魔女」たち ―海野弘『魔女の世界史』―

 私は鏡リュウジ氏の『魔女術』に続いて、もう一冊の「魔女本」を読んだ。海野弘氏の『魔女の世界史 女神信仰からアニメまで』(朝日新書)だが、こちらは近現代のサブカルチャーにおける「魔女」イメージをテーマにしている。しかし、内容自体は面白く興味深いが、どうも本全体の構成に難がある。後半は様々なジャンルでの「魔女」イメージを紹介しているが、単なるメモに毛が生えているだけのような手抜きに思える。多分、新書

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「金色の暴君」橘カラ ―山崎紗也夏『サイレーン』―

「金色の暴君」橘カラ ―山崎紗也夏『サイレーン』―

 私はメインブログで何度となく『ウマ娘』版オルフェーヴルの人物像の設定を批判しているが、それはあくまでも、史実のオルフェーヴルのイメージとかけ離れた人物像だからである。インターネット上でのオルフェーヴルについての様々な記事を読んでいる限りでは、実馬の方のオルフェーヴルは「項羽の皮を被った韓信」という印象である。しかし、ウマ娘オルフェーヴルの人物像には、現時点では項羽的な要素しかない。
 むしろ、曽

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『アヴァロンの霧』に対してさらにイチャモンつけるぜ

『アヴァロンの霧』に対してさらにイチャモンつけるぜ

 私はマリオン・ジマー・ブラッドリー氏の『アヴァロンの霧』を再読したが、この小説のグウェンフウィファル(グィネヴィア)がモーゲンと敵対する理屈(自らの狭量さをキリスト教の信仰で正当化している)はきちんと描かれているんだな。海音寺潮五郎の『孫子』の龐涓(孫臏に対する好意が嫉妬心に変わりつつある過程の描写)もそうだ。それに対して、宮城谷さんの『楽毅』の燕の恵王の人物造形は前述の二人と比べると手抜きでし

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「女教皇」の名誉回復、そして「女文士」の失墜 ―マリオン・ジマー・ブラッドリー『アヴァロンの霧』―

「女教皇」の名誉回復、そして「女文士」の失墜 ―マリオン・ジマー・ブラッドリー『アヴァロンの霧』―

 マリオン・ジマー・ブラッドリーの小説『アヴァロンの霧』(ハヤカワ文庫)は、アーサー王伝説をフェミニズムや多神教優位論の観点から語り直した内容の作品である。その点においては、バーナード・コーンウェルの『小説アーサー王物語』シリーズ(原書房)の先駆けである。主人公モーゲンはいわゆる「モーガン・ル・フェイ」であり、アーサー王の異父姉だが、彼女は古い部族の巫女の血筋を引く娘である。
 トマス・マロリーの

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美しき黄金の島、大いなる黄金の大航海 ―宇月原晴明『安徳天皇漂海記』―

美しき黄金の島、大いなる黄金の大航海 ―宇月原晴明『安徳天皇漂海記』―

 私は近所の本屋で宮城谷昌光氏の『諸葛亮』上下巻を購入し、読み始めた。しかし、私は序盤の時点でこれを読むのをやめた。なぜなら、宮城谷氏の作風は「美し過ぎてかえって不快」だからである。まるで、良く出来た彫像のようであり、生身の人間のような魅力は感じられない。確かに宮城谷氏の作風は「美しい」。しかし、それは決して私自身が求める「美しさ」ではない。もっと色鮮やかで躍動感や生命力のある「美しさ」を、私は望

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The Natural Women ―桐野夏生『東京島』―

The Natural Women ―桐野夏生『東京島』―

 世の中には「サークルクラッシャー」なる概念がある。主に男性が多数派の集団における唯一もしくは少数派の立場にある女性が「男性ホモソーシャル」の結束力を弱める事態だが、この性別逆転版、すなわち唯一もしくは少数派の男性が「女性ホモソーシャル」の結束力を弱める事態は、前者と比べると目立たない。むしろ、某「ハーレムおじさん」の「妻たち」のように、女同士で団結する可能性が高い。
 桐野夏生氏の小説『東京島』

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「弱者女性」は「モダンガール」の夢を見るか? ―斎藤美奈子『モダンガール論』―

「弱者女性」は「モダンガール」の夢を見るか? ―斎藤美奈子『モダンガール論』―

 ツイッターで、ある人たちがこう言っていた。
《男は「根回し」「融通」「妥協」とかってのを大切にするから、サラリーマンに向いてるけど、女の仕事できる奴って、無駄に「正義感」「頑固一徹」だったりする。女って中間管理職は向かないけど、経営者には向いてるとおもう時がある。》
《むしろ「なぜ女性映画監督の”打率”が高いのか」って議論があって「性差別が根強い映画界で女性が監督になり監督であり続けるには半端な

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武器ではなく花を ―監督︰永野護『花の詩女 ゴティックメード』―

武器ではなく花を ―監督︰永野護『花の詩女 ゴティックメード』―

 ある小説投稿サイトに『秦の誓い』という題名の小説があった。それは中国・春秋戦国時代の秦国の歴史を語るものだったが、これから紹介する映画は、これにならって『フィルモアの誓い』という副題をつけるのがふさわしいだろう。

 映画『花の詩女 ゴティックメード』は、2012年に公開された永野護監督のアニメ映画である。そう、我が最愛の漫画『ファイブスター物語』(以下、FSS)の作者が制作した映画である。そし

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「俺たち」のパラダイス ―監督:五社英雄『肉体の門』(1988年)―

「俺たち」のパラダイス ―監督:五社英雄『肉体の門』(1988年)―

 私はこれから、女性が多数派・マジョリティーの世界観の長編小説を書く予定である。そのための資料として、色々な本を読んで参考資料にするのだが、映画も色々と観る必要がある。なぜなら、私がこれから書く予定の小説にはある程度のアクションシーンを描写する必要があるからであり、そのための参考資料として映画を観る必要があるのだ。
 女性がマジョリティーの世界観の作品として、メディアミックス作品『ウマ娘』シリーズ

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「負け犬」VS「人妻」、時々レズビアン ―本橋信宏『なぜ人妻はそそるのか? 「よろめき」の現代史』―

「負け犬」VS「人妻」、時々レズビアン ―本橋信宏『なぜ人妻はそそるのか? 「よろめき」の現代史』―

 私は思う。世間一般で最も性的な意味で「過大評価」されている女性の「属性」とは何なのか? 80年代であれば、深夜番組『オールナイトフジ』に象徴されるような女子大生がそうだっただろう。90年代であれば、「コギャル」という造語で象徴されるような女子高生たちがそうだった。しかし、彼女たち以上に「過大評価」されている「性的偶像」とはズバリ「人妻」である。
 いわゆる「人妻」の性的偶像化とはズバリ、いわゆる

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黄金の悪魔と人間たち ―馳星周『黄金旅程』―

黄金の悪魔と人間たち ―馳星周『黄金旅程』―

 馳星周氏といえば、昔はいわゆる「ノワール小説」を書いていた。確か昔、某雑誌でオウム真理教事件を題材にした小説の連載があったのだけど、当時は題材にふさわしくインド的な題名がついていた。しかし、後になぜか『煉獄の使徒』などというキリスト教的な印象の題名で単行本化(文庫化)されていた。その『煉獄の使徒』を改めて読もうかどうか、私は迷う。
 馳氏は2020年に発表した『少年と犬』で直木賞を受賞したが、こ

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