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津守真「子どもの世界をどうみるか」を読んで

今回の投稿では、津守真「子どもをどうみるか -行為とその意味-」のタイトル通り、「子どもの世界をどう見るか」を、本書の整理と共に、自分なりの考えを述べていく。特にP130L3「…あるがままに見ること…」、P159L8「そのままに見ること」の「“あるがままに見る”や“そのままに見る”とは何か」、そして「見るためにどうするのか」を考えたい。

まず本書は、前半の第1章で、研究者としての筆者が「描画を中心とした子どもの見方」が語られている。そして、後半の第2章では実践者としての筆者が「保育実践での子どもとの関わりを通した子どもの見方」が語られている。どちらも丁寧に、かつ想像力豊かに綴られていることが非常に興味深い。前半の第1章では、描画の細部まで観察し、その意味を問う姿がとても興味深い。また、後半の第2章では、子どもと真剣に対峙し、見守る姿が印象的であった。特に、後者は、同じ保育実践者として、子どもを信頼し、子どもを一人の人間と捉え、子どもから学ぼう、子どもに成長させてもらおうとする姿に非常に共感した。そして、常に思考を固定せず、常にさらなる捉え方の可能性を探求する姿に感心させられた。

 この第2章では、主に以下の3つから構成されている。➀子どもの生活に参与すること、②子どもの世界に出会うこと、③子どもとの生活を形成すること。これらは、保育する上で重要であり、かつ➀から③へと段階的であることが示されている。そして、保育者としての在り方が、筆者自身の保育実践とその経験からなる考えも示されている。特に、私には同じ保育実践者として筆者の保育者の在り方に共鳴すると共に、この考えも踏まえながら私自身の保育者像の探求がさらに楽しみになった。

 では、本書で筆者は「保育者の在り方」について、どう述べているのか整理したい。P16L5-9「考えに固執していてはならない」「素直に耳を傾けることを要する」「おとなも自ら(自分の世界を)開いて子どもと親しむ」、P22L14-P23L3「価値を認めない傾向がある」、P41L12-P42「それまで気づいていなかったものの見方に、あらためて出会う」、P78L9-17「(生命と精神)その両方が認識(する)」、P88L1-9「管理欲や将来の心配をわきにお(く)」「いま子どもがしていることに意味を見出(す)」「子どもと対話を交わ(す)」「子どもの世界に目を開(く)」、P89L13-P90L2「異質な他者を受け入れる余地(がある)」「(大人)の意図や期待を捨て(る)」「思いがけない子どもの世界に、あるがままに、直面(する)」、P110L4-9「(子どもの)行為を内面世界の表現と見る」「子どもと過ごした体験を省察する」、P118L9「覚悟をきめる」「心を定める」「ゆっくりと子どもとともにいる」、P119L10-15「主体的に生きる」「能動性が開かれている」、P120L11-P121L17「ものの見方は、恣意に陥(らない)」、P123L10-14「無意識のうち自然に応答する(生命的応答)、P127L3-16「良い目を持つために…意志(を持つ)」「よく澄んだ目」「正しい精神をも(つ)」「繊細な精神をはたらかせる」、P128L5-7「しっかり応答する者とな(る)」、P130L8-13「おとな側の常識的なことばによる理解をとり除(く)」「自分の感覚で受けと(る)」、P133L1-17「固執(しない)」、P134L2-6「子どもの行為を知覚(する)」、P146L14-P147L7「外的秩序を保つことのみがおとなの頭を占め(ない)」、P149L3-11「(子どもを信頼する)」「(理解できない子どもの行為を)長い期間もちこたえ(る)」、P149L12-P150L1「完全さを求め(ない)」、P159L3-11「現在の視点で現在を見る」、P161L1-9「子どもの生活を明るく生命的に、たのしいものと(する)」、P162L9-17「静かな明るさをもって生きる」、P180「省察する」、P183L2-11「保育のあとのひととき…に、おとなの生活で…埋め(ない)」、P184L11-14「他人の視点を聞く」、P186L12-14「一歩退いて、熟考と思索のときを持つ」、P188「懐疑(する)」、P190L10-P191L4「動的存在である」「主体的に生きる」、P202L15-P203L3「見るおとなからの観点(と)…行為する子どもの側と両側の観点を用い(る)」、P212L14-P213L1「子どもと過程をともに生きる」。

 上記から分かるように、筆者は様々な表現で保育者の在り方を語っている。もちろん、筆者が明確に保育者の在り方であると述べていないものもあり、私がそう捉えたにすぎないものもある。しかし、私が考える保育者の在り方と共通する部分があり、またさらに深く探求された考え方もあり、とても学び多かった。そして、これらから「保育者も自分を生きることの大切さ」を感じ、特に「子どもと共に生きることの重要性」も強く感じた。大人の思考の枠組みを外し広げ、心を開き、子どもと共にいまを生きることで、子どもがあるがままに見え、子どもと共に成長していくのである。

つまり、「子どもをあるがまま見る」とは「子どもの現在をそのまま見る」ことである。そして「子どもの現在をそのまま見る」ために、著者は「心を開くこと」「無意識に応答すること」「現在の視点で見る」「個人もしくは他者と省察すること」の重要性を述べている。これらから、保育者の通常以上に固執した考えや、狭い見方から脱することが出来、子どもをあるがままに見えやすくなる。また、保育者の在り方次第で、子どもの在り方も変容し、よりその子どものまま見ることが出来る。ただし、注意したいのは、完璧にその子をそのまま見ることは困難である。もちろん見えるかもしれないし、見てみたいと探求することも大事である一方で、その探求自体にも固執せず、人間の個性や違いを楽しみながら共に生きることも同時に重要である。その両義性を知り、振れ幅を理解し、さらにその幅を広げることで、さらに子どもが見えてくると推測する。決して簡単な歩みではないだろうが、こうして先人の歩みを知ることで、自分の歩みに対して勇気と希望になったのは間違いない。この学びを大切に、さらに私は保育実践に戻ることが楽しみになった。

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