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はがき通信———《ふりかけ通信》再録 

38年前に起こったこと。

 今から38年ほど前に起こったことを、《ふりかけ通信》というタイトルで、当時ちょっと流行っていた「はがき通信」に載せて、知人宛に郵送しました。新聞のようなレイアウトの通信をはがきサイズに印刷したものです。
 《ふりかけ通信》は、「はがき通信」としては第3号までで、第4号からは『蜚語』という小冊子の巻末に入れました。いろいろと書いているうちに、はがきではどうにも収まらなくなったことやもっと広い、社会や政治に関することにも触れようと思ったことによります。→『蜚語』創刊準備号
 《ふりかけ通信》というタイトルの由来は、そのころ手製のふりかけ作りにはまっていたのと、日常の生活の中に数えきれないくらいの性差別が、ごくあたりまえの出来事として存在するということを、〝ふりかけ〟と表現しました。

《ふりかけ通信》のスローガン

《ふりかけ通信》は、男の家父長意識を許さない。
《ふりかけ通信》は、血縁、血統意識を拒否する。
《ふりかけ通信》は、家意識、家制度の頂点である天皇制の廃止を主張する。
《ふりかけ通信》は、表現の自由と称するポルノを糾弾する。
《ふりかけ通信》は、「性」を売買の対象とすることと、闘う。

《ふりかけ通信》創刊号 1987年4月

 昨年やっとのことで、同居していた男にこの家から出ていって貰いました。1年半以上にわたって、価値観や家庭というものに対する考え方の違いから、このまま一緒に生活することはで出来ないと、生活形態についてはさまざまな提案をし、別れて暮らすことを訴えていたのですが「どうしても嫌だ。それなら子どもを連れて逃げてやる」などと脅迫され、とうとう最後は追い出すような格好になってしまいました。その過程で男女関係・親子関係など、家庭とか家族とかいわれているものについて考えさせられ、あるいは、性差別の根強さを思い知らされました。この国のほんとうに駄目な嫌だ、という思いを新たにしたのでした。そこで、転んでもただでは起きないとばかりに、この通信を発行して
皆さんに一緒に苓えていただこうというわけです。
 昨年の夏、私に起こった〝事件〟からとても多くのことを字びました。
 以下は、〝事件〟のあらましです。
認知って、知ってますか?
 妊娠したとたんに男に逃げられた女が、どうしても子どもの認知だけはして欲しいと男に迫る場面を、テレビドラマなどで見たことはありませんか。そう、あれのことです。いままで、そんな場面ばかり見せられてきたので、あたかも子どもの〝認知制度〟って女のためにあるような錯覚を起こしてきました、ほんとうにそうでしょうか。
なぜ認知が必要なのか。
 それは戸籍にそのことが記載されるからです。戸籍の父母欄には、4種類の記載方法があります。両親が結婚しているかどうか、父が子を認知しているかどうかで、記載を差別しています。認知がない子の父親欄は空欄です。認知届を出す出さないは、男の一存だけでできます。認知だけはと迫る女もいれば、一緒に暮らしたり、子どものめんどうはみれないけれど、認知だけはしたいという男に対して、そんな奴に認知はさせないという女もいます。ところが、認知は男の腹ひとつ。知らん顔もできれば、強引に届を出すこともできます。出せば受け付けられて、戸籍に記載されてしまいます。認知制度は女のためだなんてとんでもいない。男の子孫拡大意識を満足させ、男中心の血統を樹立するためでしかありません。かつて、権力を持つ男たちは、世継ぎを作るためと称して、何人もの女に子どもを産ませ、彼女らを支配してきました。ぞっとするような血統意識、そこから発せられる言葉は「半分はオレのものだ、オレの子どもだ」

そもそも、「戸籍」ってなに?
 男と女の結びつきは、法的制度や届出とは関係ないはずなのに、結婚は届け出ることによって成立します。それによって戸籍が作られ、子どもができれば夫婦の戸籍に入れられ、夫婦と子どもがセットになって、家族関係が示されるのです。しかも、戦前からの男中心の《家》意識は、多くの人びとに根強くあり、結婚したら妻は夫の戸籍に入籍され夫の姓に変わるのがあたりまえのように思われています。私自身、同棲者の姓で呼ばれたことが何度あるか分かりません。そのたびに嫌な思いをしてきました。恋愛中の若い女性が、相手の姓に自分の名をそっと書いてみたりするのも、そんな意識が作用しているのでしょう。《家》意識と戸籍は、性差別の上に成り立っていて、その頂点に天皇がいるのです。
やっぱり戸籍はおかしい。
 私自身、結婚制度に疑問を持ちつつ、最初の「結婚」は婚姻届を出しました。子どもが生まれてから、いろいろ考えた結果、婚姻届と出生届を一緒に出したとはいえ……。そのときは、まだ、戸籍というものの見えない鎖の重さに気づいていなかったのです。自分たちさえ平等に民主的に暮らせばいいのだと。ところが日がたつにつれ、いろんなことが起こります。もし、私が急死したら夫の○○家の墓に入れられてしまうのかなあ、それはいやだなあ、とか、夫の妹の結婚式に際して、私はもちろん出席しませんが、親族紹介として、なんの断りもなく印刷物に載せられたりして、これはたいへんなことをしてしまったと思ったのです。その後、その夫と離婚しましたが、そのときも、婚姻届によって自分たちの意識が、目に見えない何かに囚われているのだと、思い知らされました。他のことがらでは、なんとなく世の中に流されることを拒否してきたはずなのに、戸籍はとんだ落し穴だったわけです。
 結婚制度も認知制度も決して女のためにあるわけではなく、それどころか男が女を支配するためのものです。主婦という座につけることで、経済力を奪い、《子はかすがい》などといってその夫の妻であることを強制してきました。どんなに人格を傷つけられてもこれまで多くの女性たちが、少々のことは我慢しなさいと言われてきました。そして、味方のいないまま忍耐強く一生を終えていったのです。それを女の美徳としながら。

私は私、誰のものでもありません。
 このような考え方から、2度目の「結婚」については、婚姻届は出さない、子どもの認知届も出さないということを話し合い、そのようにしました。出生届はこのような欄を認めないという立場で、《嫡出・非嫡出》欄を黒く塗り潰して出しまし
た。ところがその男の、表向きはニューファミリーの理想的な夫、本質は戦前の家父長制となにも変わらないという恐ろしい人格を批判し、これ以上、生活を共にできないことを申し入れると、ますますその本質をあらわにしたのです。暴力や暴言は以前にも増し、とくに酒に酔っての言動は許しがたいものです。さらに1か月前程には、とうとう泣き叫ぶ子どもを暴力的に奪い取り、北海道へ1週間も連れ去りました。そして、現地から脅迫電話をよこしておきながら、今ではそのことを旅行だと言い張っています。それらすべてにもまして、もっとも許せないのは、私のまったく知らないうちに、子どもの認知届を出してしまったことです。産んだ女が納得できない制度によって、無断で認知届を出すなんて、女を子産み道具としか考えていない証拠です。私はその男の子どもを産むために存在したわけではありません。

どんな言い訳も通用しないよ。
 私が37年間生きてきたなかで獲得した価値観と、それに基づく闘いを犯す権利は誰にもないはずです。自分が産んだ子どもの父親欄が空欄であるということは、性差別や戸籍制度や、ひいては天皇制につながる《家》意識、男女関係や恋愛観、結婚観、親子関係などについての、現時点での思想的な意思表示だったのです。その男はそれを踏み躙ったのです。多くの男がそうであるように、一方的に私の生き方を支配しようと、いや結果として、戸籍上は支配してしまったのです。私はそのことを絶対に許さない!

その男―――あなたがやったことだよ。
 生きることの重さや人間関係の厳しさを、あなたはなにも分かっていない。戸籍の差別を容認し、あなたが勝手に認知した子を差別してしまった。嫡出・非嫡出欄を黒塗りにした出生届を出したことの責任を放棄したのだ。男の特権と法にすがって、勝手に認知しようとも、私は自分が産んだ子の父親があなただなどと認めない。(1986年10月)


強姦救援センターを知っていますか?

 何やらどきっとするような名前のセンターですが、ここでは、強姦などに関する電話相談を行なっています。私も、もっと早くここに相談すれば良かったと、いまさらながらに思いました。センターでは、強姦を次のように定羨しています.
①強姦は、女性に対する支配、征服、所有が性行為という形をとった暴力です。
②強姦は、女性が望まないすべての性行為です。

 夫婦である事を理由に、まるで義務のように家事の一環として夫の要求に応えてきた妻たち。それを、当然の権利として強要してきた夫たち。そのような夫婦、男女の関係は誤っていると思ってきた私でも、何か月も相手の男に責められ続け、嫌な思いをしてきました。しかも、法的には夫婦ですらないにもかかわらず「要求に答えないとは、ひどい女だ」「いったいオレの
溜まったもの(?!)は、どうしてくれる」といった具合に。一瞬耳を疑ってしまった。あまりに典型的であることに……。そして、お決まりは暴力。日ごろ、人権を擁護するかのような顔をしている人間とは思えないことを平気で口にできるのは、その本質が、人権感覚などまるでない卑屈なものだからでしょう。しかも世間ではそれらをひっくるめて、他人の介入する問題ではない、犬も食わないというのです。これだけ人権擁護ということが取りざたされているのに、妻の人惰だけが取り残されています。結婚制度や戸籍制度、さらには子どもの認知制度が大きなネックですが、私はそれらを支える血縁意識というものが、人びとをとらえて離さないのではないかと思いま
す。万世一系などということが何かありがたいことと見なされ、依然として堀の向こうでふんぞりかえる奴を許し、支えているのも、そこら辺りではないでしょうか。

はがきの現物は、どこかに紛れて見つからない。
これは、以前ネットにアップしたデータゆえ、
文字がギザギザになっている。見つかったら、差し替える予定。

【2024年のコメント】

▪️38年も前のことを、いまになって再録するわけは、36年経っても、人びとの、とりわけ男の意識は変わらないままであるということ。とりわけ日本社会においては……。
 韓国ではMeToo運動が、韓国最大のわいせつサイトとして悪名高い「ソラネット」を閉鎖に追い込み、また、女性の容姿や生き方を型に嵌めようとすることから自由になろうという脱コルセット運動運動が広がったりして、テレビドラマなどの内容にも、それらが反映されるほどの影響力を発揮した。
その内容は『根のないフェミニズム』(アジェマブックス)に詳しい。
 
▪️《ふりかけ通信》を発行したころは、今日のようにインターネットが普及していなかったので、はがきにしたりなど紙媒体で、配布していた。こんなことを公にするなんてと思う人もいるかもしれないが、女性差別はほとんど私的な関係をも含むところで起こっている。まさに《ふりかけ》みたいに取るに足らないようにみえるところで……。
 
▪️ここ数年の間に、「SexWork is Work」という主張が目立つようになり、「セックスワーク(自身の外見、イメージ、行為などを性的なサービスとして提供する仕事)は、暴力を受けることが仕事ではありません」との主張に、かつての女性解放を掲げてきた個人や団体のほとんどが、のみ込まれてしまっている。「SexWork(性労働)を労働とみなすことで、その労働環境を改善するという主張は本末転倒というものだ。 
 「暴力を受けることが仕事でない」? あれらの人びとには、買春行為そのものが女性対する暴力であるとの認識がない。

▪️タイトルの写真は、『性売買のブラックホール』の表紙から。
 2016年に1人の女性を性売買の現場から救い出したときに撮られた写真。女性の部屋は性売買の現場でもあった。
 著者のシンパク・ジョニンさんは、2014年、大邱の性売買集結地(韓国のこのような地域は、ほとんどが日本の植民地にされていたときに、日本が遊郭として作った。現在は女性たちの運動がによって、閉鎖されている。)で、脱性売買支援活動の先頭に立ってきた。2014年に制定された性売買防止法は、性売買業者と買春客を処罰するようになり、女性に対しては罪を問うのではなく、そこから脱するためのさまざまな支援がなされている。


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