定性調査信頼性の根拠

定量調査はサンプリング理論と頻度主義統計理論によって正当性が保証される。
定性調査は統計的裏付けがないので、今回のインタビュー結果はほんうとうか(全体に敷衍できるか)?と聞かれるとたいがい詰む。
<今回集まった人(対象者)は特殊・特別な人なのでは?>
定性調査のデブリーフィングや結果報告会でこの質問が出ることがしばしばある。進行を止める一種の殺し文句である。
定性調査の対象者選びでは、代表性とかは全く考えていない。それどころか積極的に「特殊な人」を選びに行く。
消費行動や意識にある偏りを持つ人を対象者に選ぶ。特定のブランドばかりを買う人、いつもダイエットを気にしている人など定量調査で言う平均値、最頻値を外れた人を選ぶことが多い。そもそも義務感ゼロのインタビューに応じるだけ外向的性格に偏っているのでは。
これがFGIなら同質集団の話し合いになるので盛り上がり、普段なら出ない新鮮な発言につながる。ただ、心理学で言う「集団極化現象」が発生するリスクも高くなる。
反対に特殊・極端な人と言ってもいわゆる2σから外れる人は流石に選ばない。ヘビーユーザーといっても極端過ぎるヘビーはマーケティング以外の理由をもっているし、ダイエット志向もモデルの減量は極端過ぎる。専門家とか当該ジャンルの社員など社会的に偏る人も除外する。
<今回の対象者は特殊な人では、という疑問はインタビューが成功した証拠?>
この疑問は、「自分(クライアント)の消費者像(仮説)が崩された」というときに発せられる。それは、新しい発見、仮説の組み直しの機会を得た瞬間であり、インタビューはうまくいったと判断してよい。仮説通りの消費者像を得るためにわざわざインタビューしない。
また、この疑問の特殊には「まれな存在では?」という意味もある。少ない人相手にマーケティング展開したら失敗は目に見えている。
疑問は、今回の対象者を市場全体に敷衍できるのか、ということであり、定性調査は、この疑問に真正面から答えられる理論武装は全くできていない。できる見込みもない。
現在は、モデレーターの体験から「特殊ではありません」と答えるか、定量調査で確認しましょう、という提案しかない。
<「神は細部に宿り給う」と極化現象のコントロール>
定性調査は全体市場を代表しようとの意思は最初からなく、ひとりか数人の対象者を深く掘ることで全体市場の姿を描こうとしている。
この作業の背景に「神は細部に宿り給う」という箴言があり、市場を構成する個々人の中に全体市場の姿が現れるとの考えである。
この箴言の意味はいろいろあるが、我々の解釈は、全体の特徴は細部に表現され、細部の特徴は全体に敷衍できるというものである。
ここから、代表サンプルを選ばなくても、ひとりを深く分析することが全体市場(消費者全体)が分析できるとなる。
ただ、科学を標榜するマーケティングリサーチの論理としてはナイーブすぎる。そこでインタビューでは「極化現象」の補正を慎重に行う。
ひとつは、対象者の発言に中立な相槌を返すことである。「食べ物を残す、捨てることはしません。環境に悪いから」との発言には「そうなんですね」を返すだけにしておく。「そうですよね、大切ですよね」と価値判断を含む返しをすると会話が地球環境問題へスパイラルを起こす。この極化現象・スパイラル化が全く起きないFGIは失敗なので、よい極化か悪い極化なのかの判断を瞬時にできるように訓練する。 *詳しくは第6期定性カレッジで。
 →  http://www.auraebisu.co.jp/semi-ok/seminar_240213.html

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