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瞑想/蓮華座

今年になって、わたしはよく瞑想をするようになった。どんな瞑想かというとマントラ瞑想だ。マントラはどれでもいいのだが、今一番スムーズに深い意識に入っていけるのは、「わたしはだれか」という問いかけをマントラを唱えるように続けていくこと。普通のマントラでは入っていけないような深い意識に、ごく短い時間でアプローチすることができる。ただ、この瞑想を進めるにあたっては「わたしはだれか」という瞑想のねらいを、ある程度理解しておく必要があるかもしれない。

瞑想するときの座法は蓮華座れんげざ結跏趺坐けっかふざとも言われ文字通り両足を深くしっかり組むもので、修行経験なしで正しく組める人は少ないと思う。わたしの場合、きちんと座法を組んで瞑想していると、突然、身体がぴょんと跳ねる「ダルドリー・シッディ」と呼ばれる現象が起きてくる。尾てい骨に眠っているクンダリニーというエネルギーが覚醒して、そのエネルギーが上昇することによって起きるとされ、オウム真理教では空中浮揚の前段階だとしていた。尾てい骨のあたりから背骨にそって、もぞもぞと気が動くはっきりとした身体感覚もあるので、「気の上昇にともなう現象」という説明に違和感はない。ただし、空中で停止するようなフワッとした「浮揚」ではない。意図していないのに、自分の身体が突然跳び上がるので、何度経験していても「不思議だな」と思う。ふと、尾てい骨を中心とする身体の「しゃっくり」のような現象という表現はどうだろうか・・・などと思ったりもした。なんにせよ、腹より下、特に下肢の気の流れが強いときは起きないし、また深い瞑想のなかでは起きない現象なので、ダルドリー・シッディが起こって、それからが瞑想の本番という感じだった。

最近、座ればすぐに深い瞑想に入るようになってからは、ダルドリー・シッディの代わりに、胸、喉、頭部に動きが出るようになった。胸から上部の動きなので身体が跳ねたりすることはない。座法を組んだ足が突然勝手にきつく締まったかと思うと、胸から上がグッグッと伸び上がって、まるで蛇が鎌首をもたげるような動きが起きたり、頭部が激しく震えたりする。それとともに腹から下の感覚、特に座法を組んでいる脚の感覚がなくなってしまう。もともと座法に苦手意識はなかったが、それでも一時間も組んでいると足にしびれを感じていた。今は足の感覚が消えたまま、座っているのがただただ楽な状態。上に書いたように、ときどき身体が振動して姿勢の微細なところまで修正されるのか、座法が深いところで決まってくる感覚がある。こうして無意識の動きによって蓮華座と姿勢の深部まで整ってくると、「蓮華座の奥義」のようなものに触れている感覚があり、自然に深い意識へといざなわれていく。改めて「蓮華座ってすごい」と思う。この状態に入ると、ただ座っているだけで楽な状態が続く。想念が浮かんだらすぐにマントラを唱える。

坐っていることがあまりに楽なので、ずっと瞑想していたくなるが、やりすぎないこと、とらわれないことに注意している。

※座法は蓮華座、印は法界定印。


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