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富士へ ②聖地人穴

オウムと富士山

宗教学者の島田裕巳さんの著書『日本人はなぜ富士山を求めるのか』に、こんな記述がある。

もう一つ、富士山との結びつきが強いのがオウム真理教です。地下鉄サリン事件を起こして教団が解体されるまで、オウム真理教の拠点は富士山麓に展開していました。
<中略>
創価学会とは違い、オウム真理教に富士に対する信仰があったとは思えません。この教団はヨーガとチベット密教を基盤とするもので、日本の伝統的な信仰の上にその世界を作り上げているわけではありませんでした。
富士山麓が拠点として選ばれたのは、そこが開拓地だったからでしょう。自衛隊の演習地があることからも分かるように、人の手が入っていない広大な土地がありました。新宗教が広い土地を手に入れようとすれば、そうしたところしか売ってはもらえません。

島田さんが言うとおり、オウム真理教には富士山に対する信仰はなかった。わたしたちは富士山麓で修行をしていたが、富士山を遥拝したことも登拝したこともない。ただし、オウムが富士山麓に総本部道場を建立したのは、「広い土地が入手しやすかったから」という理由ではなかった。

富士山麓を選んだ理由

1986年11月に三原山が噴火すると、麻原教祖は「次は富士山が噴火するだろう。シヴァ神の示唆で噴火を食い止めるため富士山にオウムの道場を建立する」と言って、富士に道場を建立することになった。

道場建立後に入信したわたしは、機関誌の記事を読んで「おかしなことを言うなぁ…富士山が噴火するなら、できるだけ遠くへ逃げるべきじゃないの?」と不思議だった。今考えると、「本当に宗教というものを知らなかったな…」と思う。もちろん、教団内の宗教物語はそうだったとしても実際は違うということもあるので、当時の事情をよく知っている人に聞いてみた。

富士宮の土地を決めた頃、私は何度か土地を決めるための報告や話し合いに参加していました。富士に本部道場を作ることになった最も大きな理由は「富士の噴火を止めるため」という神の示唆によるものです。加えて、エネルギーが強く、三つのプレート(地球表面の岩盤)が集まっていて日本全体に大きな影響を与えられる場所という理由でした。

最終解脱したという麻原教祖がインドから帰国されたとき聞いた体験談のなかで「修行のためにヒマラヤに行く理由で最も重要なのは、ヒマラヤという場所自体より標高の高さだ」と言われたことがありました。富士総本部道場が約600メートル、上九一色が約1100メートルと十分とはいえませんが、その頃から標高の高いところに大きな道場を持ちたいという希望があったようです。後に阿蘇の波野村に道場を建設したときも、選ばれた理由は火山というエネルギーの強さと、標高の高さだったと記憶しています。

富士の道場用地の具体的な条件としてあげられていたのは、できるだけ富士山に近く、富士山が美しく見えて、標高が高く、広い土地(建築できる宅地)で、坪単価がいくらまでということでした。決めるときは麻原教祖が実際に足を運ばれて、その土地のエネルギーや、そこから見える富士山を確認して、護摩法をされて決めたと記憶しています。

聖地人穴

こうして決定した道場用地が富士宮市「人穴」だった。ちょっと気になっていたので、わたしはついでに聞いてみた。

「人穴という場所が江戸時代に隆盛した富士講という宗教の聖地だってことは、ご存じだったのかな?」

「もしかすると土地の所有者からそんな話を聞いたかもしれないけど、覚えていないなぁ。少なくともあの土地を選ぶ過程では話題になかったよ」

オウム真理教の総本部道場があった人穴が、富士講の聖地でもあるというのは偶然だ。ただなんとなく「富士講とオウムには、なにか共通するものがあるのではないか…」と、わたしには思えてくるのだ。

三原山大噴火】伊豆大島の三原山が11月21日夕方、大噴火を起こした。三原山は15日に噴火して以来、小康状態だったが、21日になって再び活発化し、209年ぶりの大噴火となった。噴火に伴って流れ出した溶岩は、人口の多い元町地区に迫った。このため町は午後10時50分、全島民の島外避難を決定、22日朝までに約1万人が船で島外に脱出した。

「1986年ニュースハイライト」より



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