見出し画像

絵描きの保護猫さまとの出逢いと別れを綴ってみた (全四回) その一


はじめに


noteでは公表していなかったけれど、私は無類の猫好きなのです。
むしろ、猫そのひとになりたいと、公言して憚らない人生を送って参りました。
住むところも定まっていない、毎日お腹を空かせている猫さまからは、何甘えたことを呑気に言ってるのだと、お叱りを受けるかも知れませぬが、自分の顔を鏡で見て、徐々に猫になっていくのを想像するのは、至福の時間のひとつであります。

けれども、今住んでいる公営住宅は猫さまと一緒に暮らすのはルール違反。
猫さまどころか、小さな鳥さんも熱帯魚さんも禁止です。
あの愛らしい囀りがご近所のトラブルにつながる、水槽が火事の原因にもなる、という理由からです。
なので、猫さまを愛でるのは、その辺に気ままに居られる猫さまということになります。
ムスコくんは、私以上の無類の愛猫家ですが、ひどい猫アレルギーの持ち主でした。その話は、いずれ記録したいと思います。

今回は、初めて猫さまがかけがえない家族として加わった、むかしの話をしたいと思います。




ずぶ濡れの子がやってきた


私の弟が中学生の時でした。春……初夏に近い頃だったと思います。
もう夕飯時だというのに、遊びに行ったきり弟が帰ってきません。
母が心配して、ソワソワしだした時、弟が下半身びしょ濡れで帰ってきました。
その弟の胸には、ジャージの上着に包まれた小さな小さな命が抱きしめられていました。
弟は一言「早くあっためてあげて」と、その子をジャージごと私に手渡しました。
少しでも力を入れたら壊れてしまいそうな、その小さな小さな仔猫を優しくタオルで水気を拭い、体温であっためようと直接肌に触れるように、服の中に入れました。
「姉ちゃんつぶすなよ」とシャワーを浴びてきた弟が言いました。

どうやらこの子は、川で溺れていたらしいのです。
自分で落ちてしまったのか、誰かの仕業だったのかはわかりません。
体重は300グラムそこそこでした。
薄いグレーベージュ色をした背に渦巻き模様のある、青い目のきれいな男の子でした。
名付ける権利は、救いのヒーローである弟にあり、この華奢な可愛い子は「太一たいち」と名付けられました。
太一……なんで?
なんと、弟は中学の担任教師の名前をそのままつけたのでした。なんで?

そうして太一は、我が家の中心的存在になりました。

家族の心配をよそに回復は早く、スクスク育ち、あんなに華奢で小さかった子も、一年も経つとすっかりお太りあそばして、悪戯に余念がありませんでした。
よく蝉をとってきて、母の寝室に持って行き、母に自慢気に見せていました。
巣から落ちた雀の子を咥えてきたこともあったので、子雀は無事に親元に戻れましたし、蝉もそのまま窓から飛び去って行きました。
蝉も子雀もただ母に見せに持ってくるだけなのでした。猫さまの遊びなのですね。

太一は私たち家族の役割を区別していて、「お父さん」という存在をわかっていました。
どんな時でも、太一が突然玄関に走っていくと、狂うことなく3分以内には父が帰宅しました。そして父をお出迎えし、父の足元にカラダを擦りつけたあと、シレッと元の場所に戻ります。父が抱き上げようとしても、嫌がってどこかに行ってしまいます。
「オレにはお出迎えだけかよ」と、父は苦笑いしていました。
ちなみに、父以外のお出迎えはありなせん。
お腹が空くと、母にスリスリしていました。お昼寝も、母がベッドで休んでいる時は、一緒でした。
命の恩人である弟は、太一の遊び相手。
母お手製の、先端にチョウチョをくっつけた太一用のオモチャと化した父の釣り竿を、ズルズルと弟の前に引っ張ってきます。遊んでくれと。釣り竿!長い!
私は当時高校生で、ピアノレッスンに余念のない……といえばかっこいいのですが、まあとにかくピアノを頻繁に弾き、歌を歌っていました。
太一は、ピアノの音が鳴ると、一気に私の部屋に乱入し、鍵盤の上に飛び乗ります。私が歌を歌うと、恋する猫の声で一緒に歌いました。夜は必ず一緒に寝ました。
ある晩、弟が自室に太一を連れて入ったところ、部屋から出たくて扉をガリガリ。訴えるような鳴き声を出したので扉を開けると、私の部屋にすかさずやってきて一緒に寝るのです。
太一は私のことがきっと好きだったんだなあ。

幼き太一


そんな愛おしい太一は、ウイルス性の猫の白血病で2歳半で、天に導かれました。

太一の異変に真っ先に気付いたのは母でした。
「太一の顔色が悪い、真っ青なの」そういう母に、父が、
「猫の顔が真っ青ってどういうことだよ」と言ったのを憶えています。
病院に連れて行った時は、病状は深刻で、その日から連日の病院通いが始まりました。
私は帰宅部だったので、学校から帰ると、嫌がる太一をバスケットに入れ、毎日徒歩20分ほどの動物病院に、母と通いました。
病を持つ母の、太一を救いたいアドレナリンはすごかった。
毎日の抗生剤の注射に太一は唸りながら堪えた。
連日の治療費が高額で、母が父に「ごめんなさい」って言ってるのを聞いた。
父が「当たり前じゃないか、家族だ」と言ってるのも聞いた。
温かい家族で良かった。

でも、それでも病魔は手を緩めずに、太一は食欲を失い、見た目太って見えるのは大量の腹水のせいでした。
一所懸命に生きようと、無言で頑張っている太一を抱きしめるたび、代わってあげたい代わってあげたいと何度も思ったし、奇跡を信じたかった。
太一は自力での移動は日増しに厳しくなっていたので、太一のトイレの横に毛布を敷き、そこに寝かせていました。
最期の朝、母の悲鳴で家族全員の目が覚めました。
太一が最後の力を振り絞って、母の寝室の前まで歩いてきて、そこで動かなくなっていたのでした。

父は会社を休んでくれました。
初めてのことなので、どうしたらいいのか役場に問い合わせると、
「可燃ゴミの日に出して下さい」との返答!
? 何言ってるのかわからない……何それ! 今、ここに思い出して書いているだけでも、震えがきて心臓がバクバクするほどの恐ろしい言葉。意味が分からない。ああああ! 頭にくる! めまいがする!

今みたいにネットで直ぐに、なんでも調べられた時代ではないけれど、必死で調べて県境の動物愛護のお寺さんを見つけました。
そこで火葬と供養をしてもらいました。
弟が終始無言だったのを憶えています。

短い人生、、でしたが、太一は幸せだったでしょうか。
太一を精一杯愛した家族は、間違ってはいなかったと信じたいです。
今も太一と過ごした濃い日々を忘れませぬ。

太一、ありがとう。


弟のむねに仔猫の息吹きかな


残念ながら写真があまり手元に残っていませんでしたので、選ぶ余地なくこの画像になりました。

大人のイケメン太一




世の中の猫さまたちが、ひとりでも多く幸せになりますように
全ての猫さまが、のんびり楽しく過ごせる日が来ることを、お祈りしています。



『俳句で猫助け』のチャリティーが発動しています!
中岡はじめさん(主筆)、アポロくん・橘鶫さん(監修)、有志の投句の
チャリティー句集【鳥と恋の饗宴・春】で、猫さまを助ける計画が拡がっています

↓ ↓ ↓


アポロくんの愛すべき俳句チャリティーの活動報告
【鳥と恋の饗宴・春】に収録する、愛すべき猫さま俳句を募集しました
猫愛が溢れて溺れそうです

↓ ↓ ↓



俳句で猫助けの句集プロジェクトに関する記事が、収録されていきます
良かったらフォローしてみて下さいね

↓ ↓ ↓




猫さま大好き♡





この記事が参加している募集

スキしてみて

猫のいるしあわせ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?