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空気を纏う②

世界が変われば纏う空気も変わる。

ヤンキー至上主義が蔓延っていた世界から僕は突然卒業することになる。

僕が通うことになった高校は、田舎の狭い地域の中ではそこそこの学校だった。今まで毛嫌いしていた坊ちゃん嬢ちゃん達が通う場所。高校の自己紹介で出身中学を告げるとクラスがざわつき、そして直ぐに静かになった。突然、影で蔑視してた野蛮な部族が平和な村に突然押し掛けてきたから。
そこで僕は一計を図る。みんなに溶け込む為に僕はコツコツ貯めたエロ本とエロビデオをエロ図書館としてクラスメイトに提供することにした。すると皆が殺到し、ちょっとした言い争いまで起きる。そして今まで真面目に過ごし、エロに免疫がなかったクラスメイトからは「エロの伝道師」なるあだ名まで貰うことになった。ヤンキー中学出身の悪貨は良貨を完全に駆逐した。

時に事件は起こる。人気絶頂だった宮沢りえが脱いだのだ!朝刊新聞のサンタフェ発売の広告を僕は号外とばかりに男ばかりのクラスの掲示板に貼る。いつも眠そうな生徒が朝から騒然としていると先生がやってきて掲示板に釘付けになる。

「誰だ!こんなの貼ったやつは!けしからん!」

怒り狂った男の先生は宮沢りえのヌードが写った新聞広告を破り捨てるのかと思いきや、いそいそと丁寧に折り畳んで教員室に戻っていった。その姿を見送ったクラスメイトは「教師の横暴だ!許せない!」なんて時代錯誤なやつは一人もいなくて、「先生も男なんだなWWW」とクラス全員で大爆笑した。

朱に交われば赤くなる。

エロという男のキンタマを鷲掴みにしたことをきっかけに僕もクラスメイトに溶け込むようになった。モッズスタイルはそのままに、学ランの裏ボタンは麻雀や龍虎の柄からシックで地味なものに変わる。とはいえ僕の大人への強烈な憧れは加速こそすれ、止まることがなかった。

中学校時代、カラオケで遊びまくった僕は、流行りの音楽に興味を完全に失っていた。皆からカラオケに散々誘われたが大抵は詰まらなすぎて断った。そして僕は自分だけのメディアであるラジオだけを頼りに大人が聴く音楽を飽くことなく堀り続けた。既に中学からニューミュージックや今で言うシティポップを皮切りに、R&BやAOR、クラシックやジャズ、インスト、ボサノバやワールドミュージックまでありとあらゆる音楽を聴くようになった僕は、結局、誰とも音楽の話をすること無く高校3年間を終えることになる。

高校1年の夏休み。夏は男を変える。本屋でメンズノンノに出会う。そこから毎月買うようになって、隅から隅まで眺め、色んなスタイルの服を知り、値段を見て絶望し、大人への憧れがより強く、激しくなっていった。

少ない小遣いをコツコツと貯める一方、いつも独り街中を歩き回り、CD屋と本屋とそして服屋を練り歩いていた。自分の乏しい小遣いで買えるものは限られている。次第に古着屋を回り始め、心から欲しい服を探し続けた。そして高校一年の暮れに僕はとうとう出逢うことになる。

青みの強い紺のコーデュロイジャケット。

古着で適度に使い込まれた生地と茶色の革でコーティングされた二つボタン、タイトなシルエット。当時の僕が着ていた細身のブルージーンズとモノトーンのタートルネックにピッタリと合った。

試着して鏡を眺めるとさっきまでの自分とは別人がそこにいた。握りしめ過ぎて少し湿った5000円を払い、その場で着て帰ることにする。帰り際、店員のお兄ちゃんが

「似合ってるね。大人っぽいよ」

そう声をかけてくれて恥ずかしくて誇らしくて顔が真っ赤になった。

理想のジャケットを纏った僕は街を歩き、意気揚々と家路へ向かう。すると突然、女性に声をかけられた。

「社会人の方にアンケートをお願いしてるんですけど」

「すみません。高校生なんでごめんなさい」

と、丁寧に謝ると女性はとても驚いた顔をしていた。

今なら分かる。

16歳になった僕は服を着ていたのではなく、

大人の空気を纏っていたのだと。


残念ながらそのコーデュロイジャケットは時代の風化に耐えられずに捨ててしまった。今の自分が着ている姿を想像してみる。体型は高校時代と全く変わっていないが、首から上に乗っている顔は張りを失い、変わりに薄くシワが刻まれ始めようとしている。あまりに今の自分の年齢とフィットし過ぎていて、逆に年寄り臭さを感じてしまい心底がっかりしてしまった。

人生80年の折り返しを過ぎ、憧れの大人になった僕は今、若者と同じようにファストファッションを着ている。勿論派手なデザインは選ばないが、時代と自分の体型に合ったシンプルなデザインと軽やかに動けるものを選んで着ている。きっと思春期から青年に変わる、あの何とも言えない淡いグラデーションの空気を身に纏いたいのだと心の底で思っているからだろう。

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