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人は夢を見るためにJAZZを聴く

録音技術がなかった頃。音楽を聴くという行為は全てライブだった。音楽を聴くために一部の特権階級達は、華やかな演奏場所へ向かい、プレイヤーが楽器を自由自在に奏でる大量の音に身を浸し、その限りある時間を楽しんでいた。

時間が流れ、やがてセンセーショナルな発明が生まれた。

1877年にエジソンが蓄音機「フォノグラフ」を作り、自信の声で「メリーさんの羊」を録音する。発売当初、演奏する人がいなくても音楽を聴くことが出来るレコードプレイヤーは贅沢品であり、ホームシアターのように贅沢な空間を彩るものとして楽しまれていたことは想像に難くない。

人は自分が持っていないものに憧れる。1900年代、音楽が一部の特権階級だけの独占物だったのを指を加えて見ていた庶民は自分達だけの音楽、JAZZを作り上げる。DJがレコードをかけるディスコに行くような感覚で、当時の庶民は小さな演奏会場へ向かい、音楽に身を委ね自由に踊り狂い、愛を囁き、恋に燃える。

でも時代が移れば、贅沢品もいつしか汎用品に変わっていく。1948年6月21日、コロムビア社から世界初の市販LPレコードを発売され、多くの人が部屋で音楽を好きなときに聴ける時代がやってきた。

やがて音楽は外に連れ出されるようになり、そしてどの家にもビデオが置かれ始めると、次第に映像と音楽を同時に味わうことが出来るライブは庶民にとって敷居の高い、特別なエンターテイメントになった。

特別になるというのは、良いことばかりではない。長くエンターテイメントの王様であり続けた総合芸術、演劇が映画の普及と共に一部の人だけが楽しむものに変わったように、生演奏も一部の人だけが楽しむものに変わってしまった。

でも時代はいつも直線のベクトルで進む訳じゃない。

時代は回る。

更に時代が移るとスマホで音楽と映像を持ち運び出来るようになる。音も映像も、どこでも誰でも気軽に録ることが出来るようになった時代。

「人は人を録る」

動画を気軽に録れるようになると、自分が録った貴重な動画をシェアし、自慢したくなった。ライブへの回帰が始まった。そして奇しくも同時にサブスクリプションという名の資本家の搾取が始まった。音楽家は作曲してレコードが売れれば儲かる時代ではなく、再び演奏しなければ食べていけない時代に戻ってしまった。

生まれて100年以上、ライブという軸を大切にし続けてきたJAZZは、誰もが知っているスタンダードなメロディに、インプロヴィゼィションという演奏者同士の即興での掛け合いというライブでしか生まれない音に乗せ、その瞬間を味わおうと集まった聴衆に対し、極上の時間と空間を提供し続けている。

21世紀、人は再び夢を見るためにJAZZを聴きに集まる。

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