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空気を纏う

僕は田舎のシティボーイ。

小学生時代は冬でも短パンをはいて、外で元気よく遊び回っていた。”週刊少年ジャンプ”(注1)の中で中学生になった翼くんと日向くんが全国大会決勝で戦っている頃、僕らも負けじと日が暮れるまでボールを追っかけていた。そして喉が渇けば100円を握りしめ近所の駄菓子屋で”瓶コーラ”(注2)と粉ラムネを買う。コーラに粉ラムネを入れ、ブシュッと泡が瓶から飛び出す瞬間にカプッと口で覆い、涙目で咽びながらも全部飲み切ることが最も格好いいヤツだという、今考えれば訳の分からない価値観の中で生きていた。

あの頃、僕は寝て起きれば今日と同じ明日がやって来ると信じていた。でも今日と明日は同じでない。何かを境にガラッと世界が一瞬で崩れてしまうことだってある。


ある日、友達の足元が颯爽とした白いラインに変わっていた。彼は親に”プーマ”(注3)のスニーカーを買って貰ったのだ。
初めて見る美しいラインに目が釘付けになる。口をポカンと開けて眺めていると友達は得意気に

「プーマっていうっつぇ。これ履くと足が早くなるったい」

と、胸をそらせた。

それまで”月と星のマーク”(注4)が一番格好いいと信じて疑わなかった地面が初めて大きく揺らいだ。

「へー。そうね。ふーん」

心の中とは裏腹に僕は平然を装ったつもりだったが、羨ましいという感情はダダ漏れだったのだろう。

「お前もプーマにすりゃよかろうもん」

「しゃーしか!」

そう捨て台詞を投げつけ、悔しさに顔を歪めながら家に向かって走り出す。玄関のドアを勢い良く開け、

「プーマ買って!」

「いきなりなんね?」

「プーマはプーマたい!」

「そげなん知らんばい」

それから事ある毎に買い物に付き合い、靴屋に親を引っ張った。だが月と星のマークに比べ、高い代物のプーマに親は中々首を縦に振らなかった。
普段ジャンプしか欲しがらなかった僕の必死さに根負けしたのか、これだったらといって買って貰ったのはプーマではなく”アシックス”(注5)だった。

買って貰った翌日におそるおそる履いていくと目敏く友達が見つける。

「アシックス。まあ良かっちゃなかと」

「おんなじってのも何やけん」

欲しかったものではなかったが、友達が認めてくれたからか、僕は二つのクロスラインが交じった足元を眺めることが多くなった。

世界が回り始めたのか、それとも僕が世界が回っていることに気付いたのか。その日を境に世界が動き始める。

プーマの彼が真新しいジャージを履いてきた。

「いつまでも子供っぽい短パンじゃカッコつかんけんね」

なんてまた再び偉そうに自慢してくる。シュッとして足首まであるのにそれでいて動きやすい、彼のスタイリッシュな姿をみた僕は、再び自分の幼稚な子供っぽさに気付いてしまい、羞恥心と嫉妬で頭がぐちゃぐちゃになった。
帰宅して再び親にねだる。擦り傷だらけの息子を見かねていたのか、それとも毎日貼る絆創膏代が勿体なのかったのか、ジャージは直ぐに買ってくれた。嬉しかった。しばらくすると破れてしまった膝の穴すら勲章だと思え、毎日同じジャージを履いて日が暮れるまでボールを蹴り続けた。


そんな田舎のシティボーイも中学に入学すると、新しい空気と出会う。土地柄や時代背景とも相まって、僕が入学した中学はヤンキースタイルがデフォルトだった。標準服で入学式を終えた三日後には、先輩ヤンキーから無理やり買わされた”ボンタン”(注6)を履き学校に通うようになる。当時のイケてる一軍ヤンキー達はボンタンの上に”ミキハウス”(注7)のトレーナーを好んで着ていた。

影響はされやすいが、反発しやすいのは買って貰った靴がプーマでなくてアシックスだったからなのか、それとも生来の天の邪鬼な性格からなのか。僕は直ぐにワタリ(太ももの幅)の広いボンタンスタイルからいち早く離脱した。

僕がチョイスしたのは「ワタリ34cm×裾16cm」という超タイトなズボンに開襟シャツ、胴回りを絞りに絞った学ランというモッズスタイルに、リーゼントではなくツーブロックのテクノカット風のサラサラ中分け。勿論、モッズもテクノも全く知らなかったけど、細身の自分が一番似合うものを直感で選んだ。

”ビー・バップ・ハイスクール”(注8)と”BOØWY”(注9)が最重要科目だったヤンキー全盛期に、僕の格好は目立つからか、よく他校のヤンキーに絡まれたが、大概は学校の名前を言うだけでビビって逃げていったし、隣の山の手の住人が通う中学校の生徒はすれ違うと必ず目を伏せた。

オンが変わればオフも変わる。ジャージしか履いたことがなく、親がどれだけ勧めても頑なに拒んでいた、ゴワゴワとして動きづらいジーンズを履くようになる。時は猫も杓子も”ケミカルウォッシュ”(注10)。紫色の派手なペイズリー柄のシャツを引っ掻けて、田舎のシティボーイは近所のボーリング場に繰り出す。すると当時、4人入ればギュウギュウとなる”カラオケボックス”(注11)が我がホームグランドにもやってきた。中学校1年生にしてカラオケボックスデビュー。酒こそ飲まなかったが大人と同じように遊んだ。

ヤンキーばかりの昔の色街の近くにあるマセた中学校。ニキビが出来始めるよりも先に、友達が河原で拾ってきたエロ本の回し読みが始まった。エロこそ大人中の大人の世界。夢中にならない訳がない。

夏は男を変える。

エロの強烈な誘惑もあったが、それ以上に男らしさを友達に認めさせたかった僕は、一人の男としてエロ本を買いに行く決心をした。勿論、アイドル雑誌のような表紙でセーラー服がやたらと多い”Don't!”(注12)なんて中途半端なエロ本ではない。狙いは当時のエロ本ど真ん中の”デラべっぴん”(注13)。行きつけの本屋に入った瞬間、AV 女優”小林ひとみ”(注14)の表紙を見つける。レジを見るといつも居眠りこいてるおばあちゃん。

「今日は行ける!」

大人を装う為、ここで毎週買ってる週刊少年ジャンプではなく、エロみ強めのラブコメ漫画”ツルモク独身寮”(注15)の連載が始まった”ビッグコミックスピリッツ”(注16)を上に重ね、王道テクニック、エロサンドイッチを完成させる。そしてレジに差し出し、顔から股間までドクドクして爆発しそうになった瞬間、世界がスローモーションで流れだす。僕は初キスよりも先にZONEを初体験したのだった。

が、それは全くの勘違い。レジに座っていたおばあちゃんは半目で居眠りこいていた。何か声を掛けねばと思い付いたのは”神谷明”(注17)の渋い声。

「これを下さい」(ケンシロウ風)

寝ぼけ眼のおばあちゃんは僕を見ることなく言った。

「720円ね」

握りしめて湿り気を帯びた千円札を渡した同時に、僕は”ブリーフ”(注18)を卒業して買ったばかりのド派手な”トランクス”(注19)を濡らしてしまった。

そうして何度も経験を積み重ね、友達からも一目置かれるようになる。平然とした顔でエロ本を買えるようになった頃、本屋に向かうとレジには、いつものおばあちゃんじゃなく、エロ本で見ているような大人の綺麗なお姉さんが座っていた。ちょっとビビったが平然とした顔でレジに持っていくとお姉さんは優しく微笑んで

「もっと大人になったら買いに来てね」

と、言われ恥ずかしさのあまり走り去ってしまった僕は、子供である自分が死ぬほどダサくて、悔しくて、情けなくて、スマートにエロ本を買える大人になりたいと強く心に決める。図書館で小説を借りては読み耽り、ベストテンには流れてこない音楽を知る為、夜な夜な布団に入ってラジオに耳を澄ます。とにかく僕は早く大人になりたかった。

交わる人が変われば空気も変わる。

ヤンキー至上主義が蔓延っていた世界から僕は突然放り出されてしまう。

僕が通うことになった高校は、田舎の狭い地域の中ではそこそこの進学校だった。今まで蔑んでいた坊ちゃん嬢ちゃん達が通う場所。高校の自己紹介で出身中学を告げるとクラスがざわつき、そして直ぐに静かになった。突然、軽蔑していた野蛮な部族が平和な街に突然押し掛けてきたから。
そこで僕は一計を案じる。みんなに溶け込む為に僕はコツコツ貯めたエロ本とエロビデオをエロ図書館としてクラスメイトに提供することにした。すると皆が殺到し、ちょっとした言い争いまで起きる。そして今まで真面目に過ごし、エロに免疫がなかったクラスメイトからは「エロの伝道師」なるあだ名まで貰うことになった。ヤンキー中学出身の悪貨は良貨を完全に駆逐した。

時代が回れば、事件が起こる。なんと人気絶頂だった”宮沢りえ”(注20)が脱いだのだ!朝刊新聞のヌード写真集サンタフェ発売の広告を僕は号外とばかりに男ばかりのクラスの掲示板に貼る。いつも眠そうな生徒が朝から騒然としていると先生がやってきて掲示板に釘付けになる。

「誰や!こんなん貼ったんは!けしからんばい!」

怒り狂った男の先生は宮沢りえのヌードが写った新聞広告を破り捨てるのかと思いきや、いそいそと丁寧に折り畳んで教員室に戻っていった。その姿を見送ったクラスメイトは

「先生もやっぱ好きっちゃねWWW」

とクラス全員で大爆笑した。

エロという男のキンタマを鷲掴みにしたことをきっかけに僕もクラスメイトに溶け込むようになった。朱に交わればなんとやら。モッズスタイルはそのままも、学ランの裏ボタンは麻雀や龍虎の柄からシックで地味なものに変わる。でも僕の大人への強烈な憧れは加速こそすれ、止まることがなかった。

中学校時代、カラオケで遊びまくった僕は、流行りの音楽に完全に興味を失っていた。皆からカラオケに散々誘われたが、既に音楽は歌うものでは無く、聴くものとなっていた僕は全て断った。そして僕は自分だけのメディアであるラジオだけを頼りに大人が聴く音楽を飽くことなく堀り続けた。既に中学からニューミュージックや今で言うシティポップを皮切りに、R&BやAOR、クラシックやジャズ、インスト、ボサノバやワールドミュージックまでありとあらゆる音楽を聴くようになった僕は、結局、誰とも音楽の話をすること無く高校3年間を終えることになる。

夏は男を変える。

高校1年の夏休み。いつもの本屋で”MEN’S NON-NO”(注21)に出会う。そこから毎月買うようになって、隅から隅まで眺め、色んなスタイルの服を知り、値段を見て絶望し、大人への憧れがより強く、激しくなっていった。

少ない小遣いをコツコツと貯める一方、いつも独り街中を歩き回り、CD屋と本屋とそして服屋を練り歩いていた。自分の乏しい小遣いで買えるものは限られている。次第に古着屋を回り始め、心から欲しい服を探し続けた。そして高校一年の暮れに僕はとうとう出逢うことになる。

青みの強い紺のコーデュロイジャケット。

古着で適度に使い込まれた生地と茶色の革でコーティングされた二つボタン、タイトなシルエット。当時の僕が着ていた細身のブルージーンズとモノトーンのタートルネックにピッタリと合った。

試着して鏡を眺めるとさっきまでの自分とは別人がそこにいた。レジで5000円を払うと財布の中は空っぽになったけど、代わりに心は満タンになった。その場で着て帰ることにする。帰り際、店員のお兄ちゃんが

「似合っとうよ。大人っぽいけん」

そう声をかけてくれて恥ずかしくて誇らしくて顔が真っ赤になった。

理想のジャケットを纏った僕は街を歩き、意気揚々と家路へ向かう。すると突然、女性に声をかけられた。

「社会人の方にアンケートをお願いしてるんですけど」

「すみません。高校生なんでごめんなさい」

と、丁寧に謝ると女性はとても驚いた顔をしていた。

今なら分かる。

16歳になった僕は服を着ていたのではなく、

大人の空気を纏っていたのだと。


残念ながらそのコーデュロイジャケットは時代の風化に耐えられずに捨ててしまった。今の自分が着ている姿を想像してみる。体型は高校時代と全く変わっていないが、首から上に乗っている顔は張りを失い、変わりに薄くシワが刻まれ始めようとしている。あまりに今の自分の年齢とフィットし過ぎていて、逆に年寄り臭さを感じてしまい心底がっかりしてしまった。

人生80年の折り返しを過ぎ、憧れの大人になった僕は今、若者と同じようにファストファッションを着ている。勿論派手なデザインは選ばないが、時代と自分の体型に合ったシンプルなデザインと軽やかに動けるものを選んで着ている。きっと思春期から青年に変わる、あの何とも言えない淡いグラデーションの空気を身に纏いたいのだと心の底で思っているからだろう。


注1:週刊少年ジャンプ
1985年当時の定価は170円。
200円貰って30円でカルビーポテトチップスのミニサイズを買うのが当時の僕のルーティン。
1985年主要掲載作品
キン肉マン/ゆでたまご
キャプテン翼/高橋陽一
ハイスクール!奇面組/新沢基栄
ウィングマン/桂正和
北斗の拳/武論尊・原哲夫
きまぐれオレンジ・ロード/まつもと泉
よろしくメカドックPART2/次原隆二
バオー来訪者/荒木飛呂彦
DRAGON BALL/鳥山明
CITY HUNTER/北条司
魁!!男塾/宮下あきら

注2:瓶コーラ
スタイリッシュなCMソングとキャッチーなコピーで若者を虜にしていたコカ・コーラは1985年当時は瓶が主流だった。
コカ・コーラのCMの一番のお気に入りは「はじめてじゃないのさ~」の歌い出しから始まる井上大輔/I feel coke(作詞:溝口俊哉・遠崎真一 作曲:井上大輔)

注3:プーマ
1985年メキシコワールドカップを目指す世界レベルのストライカー釜本邦茂要する日本代表のパラメヒコに小学生は心を鷲掴みにされた。

注4:月と星のマーク
1985年当時月星化成㈱、現㈱ムーンスター。月と星のマークが入ったズックは小学生男子の標準装備。

注5:アシックス
1980年代の国産アシックスは、舶来品のプーマと比べ、ヤボったく実用的なイメージだったが、現代では1980年代のヴィンテージ熱が高まり、当時のスタイルを踏襲したオニツカタイガーとして今も進化を続けている。

注6:ボンタン
1980年代の変形学生服の一種。ワタリ(太もも)が太く、膝下が極端に細くなる大工スタイル。ワタリが太ければ太いほどイカつく、ワタリ50cm以上を履く資格があったのは学校で一番強い番長だけ。

注7:ミキハウス
今も昔も子供ブランド。1980年代後半、なぜヤンキーファッションとなったのかは調べたが全く不明。赤色が一番人気は何となく納得。

注8:ビー・バップ・ハイスクール
作者はきうちかずひろ。コミック8巻の初版発行部数227万部は2014年進撃の巨人13巻の初版275万部が発行するまで破られなかった。
1985~88年にかけて実写化された映画はシリーズ全6作品。日本映画史上、漫画原作で最も成功したものの一つ。僕は加藤ヒロシ役の清水宏次朗が好きで「Love Balladeは歌えない」(作詞:松本隆 作曲:織田哲郎)のレコードを買ってカラオケで歌っていた。

注9:BOØWY
1981年結成の日本のロックバンド。1988年に完成直後の東京ドーム「LAST GIGS」終了後解散。その後も人気は衰えることなく、その後のバンドブームの火付け役となる。
ONLY YOU(作詞:氷室京介 作曲:布袋寅泰)をカラオケで歌えば
「Only you たった一度(一度だけじゃなく二度三度)」
と合いの手を必ず入れるのが僕らのお決まりだった。

注10:ケミカルウォッシュ
漂白剤に浸けた軽石と一緒に洗う加工を施した独特なマダラ模様が特徴のジーンズ。1980年代に爆発的に流行した当時の最先端ファッション。
その後、2012年に再ブームを目論むも「ワイルドだろぉ~」で一世を風靡した、すぎちゃんに潰されてしまうが、2024年の令和に流行りそうなアイテムとして再注目されている。

注11:カラオケボックス
1985年に船舶用貨物用コンテナを改装したのが始まり。僕が最初に入ったのは電話ボックスより一回り大きいもので子供でも4人入ればギュウギュウという代物だった。

注12:Don't!(ドント)
1986年創刊。表紙をアイドル雑誌のように誤魔化していたが、れっきとしたエロ本。小中学生でも簡単に買える入門レベル。

注13:デラべっぴん
1985年創刊。「べっぴん」の姉妹雑誌でAV女優中心のグラビアにエロビデオの画像写真を多く掲載されていた。べっぴんよりも大きく紙質も良かった為、当時の月刊で発行されていたエロ本の中で最上位モデル。小中学生には購入ハードルが非常に高い希少品。大学時代まで長らくお世話になった。

注14:小林ひとみ
1986年デビュー。AV女優という呼称が一般化したのはこの人から。同級生にはない、大人びた色気に股間を固くしたり柔らかくしたり大忙し。大学入学後、友人と浅草ロック座にストリップショーを見に行って、その美しさに感激したのは一生の思い出。

注15:ツルモク独身寮
1988年連載開始。作者は窪ノ内英策。中学生にはエロ要素が強く、絵柄も良かった為か、エロ本を買うことが出来ない根性無しの中学生はオカズにしていた。ちなみに台湾でも人気でドラマ化されている。

注16:ビックコミックスピリッツ
1988年主要掲載作品
美味しんぼ/雁屋哲・花咲アキラ
YAWARA!/浦沢直樹
妻をめとらば/柳沢きみお
神の左手悪魔の右手/楳図かずお
F/六田登
ツルモク独身寮/窪ノ内英策

注17:神谷明
言わずと知れた声優界の大御所。1980年代当時の人気ジャンプアニメ「キン肉マン」「北斗の拳」「シティーハンター」の全てで主役を演じた。北斗の拳の主人公、ケンシロウの「おまえはもう死んでいる」との声真似は、孟嘗君の故事、鶏鳴狗盗の如く、何がどんな形で役に立つかは分からない。

注18:ブリーフ
1980年代初頭まで大人も子供もパンツといえば昭和のコントでお馴染みのグンゼの白ブリーフ。黄ばんだブリーフを履いていても誰も気にしない、そんなおおらかな時代だった。

注19:トランクス
1980年代中盤頃から青年層を中心に流行した、薄い短パンみたいなパンツ。ド派手な柄が多かった。体育の着替えの際、股の隙間からチンポをはみ出させては、デカさやムケ具合でマウントを取り合っていた。

注20:宮沢りえ
1988年、宗田理原作、テーマ曲TM NETWORK/SEVEN DAYS WAR(作詞:小室みつ子 作曲:小室哲哉)、映画「ぼくらの七日間戦争」で女優デビュー。売れなくなったら脱ぐが常識の時代、1991年、18歳の絶頂期に突然、ヌードになったことで世の中全体が騒然となった。但し、その写真集サンタフェはあまりにも美しすぎて全くエロくなくて、オカズとしては用を為さなかったが、定価4500円(消費税3%含)と非常に高価だった為、元を取ろうと頑張ってヌイた人多数。

注21:MEN’S NON-NO
1986年創刊時のモデル、濃い顔族の阿部寛はその当時からソース顔と呼ばれていた。その後、メンズノンノの専属モデルから田辺誠一、谷原章介、東出昌也、坂口健太郎等、多数の俳優が生まれる。1990年代ミリタリーもの出所は全て上野の中田商店。大学生になって実際に訪れたときの感激は今も忘れない。

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