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廃れさせること、廃れさせぬこと

人と接することを禁じられた2年は、人々のなにかを奪った。

同時に人は別のなにかを作り、考えた。

ようやく元の世界を懐かしめるように感じた春、僕は小さな予定を入れた。

久しぶりに出る旅は、どんな景色が見えるだろう。

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長崎県東彼杵(ひがしそのぎ)郡に位置する波佐見町は、県のほぼ中央に位置する。
人口約1.5万人が住み、長崎では海に面していない唯一の町である。

波佐見は今でも住所表記として用いられる「郷」が20点在し、今では九州地域だけに残る

恥ずかしいことに、僕は波佐見町の重要産業である『波佐見焼』という焼き物の存在を知らなかった。

1600年頃、朝鮮から来日した陶工がその文化をもたらし、1990年代には日本で最大1/3のシェアを誇るまでになったという。
長崎に隣接する佐賀県の有田(伊万里)や、幼少に住んでいた栃木県の益子などの伝統工芸品を知っていたけど、波佐見焼は、普段の生活を支える”生活雑器”と呼ばれる位置付けになるのだろう。
鮮やかな色や形で、コレクションとしても愉しまれる前者とは少し違い、ずっと静かな存在なのに、実は多くの人が手にしたことがあるという背景に、少し惹かれるモノを感じていた。

出発前の深夜、持ち物を確認していると、どこかリハビリに近いような感覚がした。
以前は1時間もあれば用意できたのに、揃わない。
何を持っていけばいいのかを考えるのに、相応の時間を要した。
ゆっくりと考えながら洋服を詰め、カメラの充電も終え、いざスーツケースを閉めてからが大変だった。
忘れていたモノを再び入れようとしたのだけど、今しがた閉めたケースの暗証番号がまるで思い出せない。

感覚として、2年前に食べた朝飯を思い出すくらいの難題だった。
30分近く格闘しようやく開錠できたとき、自らの不始末であるにもかかわらず、思わずガッツポーズをしてしまった。

翌日の早朝。
快晴の道端に出て、スーツケースを転がす感触が嬉しい。

羽田空港に到着すると、予め打合せておいたコスモ・オナンと合流した。
彼女とは、Twitter上で田中泰延さんの大きな輪の中で知り合いになり、以降、年の差はかなりあるのだけど、同じ書く人として𠮟咤激励をしあう仲となった。

チェックインカウンター、保安検査場、ゲートまでの道。
以前なら面倒だと思っていたお決まりのルーティーンが、2年経過すると全部が楽しい。

僕達はJAL607便に乗り、定時に飛び立った。
間違えでなければ、搭乗した機体のボーイング737-800は通常国際線で活躍しているはずで、国内線にこの機材を使っていることに驚いたが、なんだか得をしたような気分にもなった。

羽田を離陸し、久しぶりの機内誌を読んでいたと思ったら、すぐに着陸の機内アナウンスが流れた。
機体からボーディングブリッジに降りると、トーキョーではまだ感じない初夏の香りがした。

荷物を受け取り外へ出ると、出口で待っていた栗田さんが、笑顔で手を振った。
栗田真希さんも書くことに携わる人で、彼女もやはり地球始皇帝・田中泰延さんの持つ宇宙空間の中で知り合い、都内でも交流があった。

波佐見町に住まわれている彼女が、今回、旅の水先案内人である。

挨拶もほどほどに昼食をとったあと、長崎空港のある大村湾・沿岸部を抜け、少しずつ山へと入る。
栗田さんは免許を取得し、さほど時間が経過していないということはツイートでも知っていたのだけど、慣れたハンドル捌きで軽快にワインディングロードをいなしていく。

山間部に入りすぐに気づいたことがある。波佐見には針葉樹と広葉樹の比率が美しい山々が多い。
点在する山の標高は決して高くは無いのだけど、どこも人の手が入った痕跡が見えた。
山林を大切にし、余計な所までは手を出さないでいると、山はとても強くなり、多少の風雨では揺るがない地盤ができる。
そんな景色を見ているだけで、ここはいい町だろうと思えた。

波佐見の一帯には、町の至る所に陶器の原料となる陶石の欠片を見つけることができ、山肌から見える石や川床まで、クリーム色をしていた。

こうした地質だから焼き物作りが栄えたというのは、今なら容易に理解ができるのだけど、最初にどうやってそれを見つけたのか、それを後々の大規模産業に繋げていったのかというところに興味が湧く。

そこには先祖達がその土地を熟知していることが大きな要因としてあるのだろう。
現代の人が自分の住む土地の地質をどれだけ知っているのだろうと考えると、近代化していくにつれ、人は何かを得続けている様な錯覚になるが、失っているモノの方が多いのではないかと思わされる時がある。

その晩は、Twitterで知り合った眞藤さん中尾さんを栗田さんに呼んで頂き、時間を忘れる楽しい夜になった。
遠いところよりお越し頂きまして、本当にありがとうございました。

2日目の午前、僕達は波佐見の中心部を抜けるメインストリートから少し離れ、山間部へ登った頂にある、「文化の陶 四季舎」さんを訪ねた。

食事処の中心部には、大きな囲炉裏がある

到着するなり、栗田さんが事前に手配してくれていた波佐見の郷土料理がすぐに出された。

波佐見焼御膳(要予約)。器も全て波佐見焼を使う。
大村寿司。長崎県大村市の郷土料理で、上品に煮締めたごぼうとしいたけが挟んである

徐に写真を撮っていると、厨房から四季舎のオーナーであるショウゾウさんが出てきて

「おう、そんなに撮ってると毒がデルゾ」

そう言うと、真顔の様な笑顔で近づいてきた。
僕はこんな「入り方」をしてくれる人が大好きでニコニコしていると、ショウゾウさんは後から入ってきたお客さんのテーブルに挨拶に行った。
栗田さんは厨房から出てくる料理を、慣れた様子でショウゾウさんと一緒に運んでいた。

その僅かな間に、ショウゾウさんの奥さんであるミズコさんが挨拶に来てくれた。
可愛らしいメノウの様なブローチを首元にちょこんと付け、「まきちゃんにはいつも、お世話になっております。」と深々と頭を下げられた。

僕らも今回栗田さんには随分お世話になっている身分なので、なんだかお互いに変な挨拶になってしまったのだけど、それを察したかの様に笑うミズコさんのことも、瞬時に好きになってしまった。

その後も時間を置かずして入ってくるお客に、ショウゾウさんは申し訳なさそうにも感じるほど、丁寧な説明を繰り返す。

こればかりは行って訪ねてもらえれば瞬時にわかると言いたいのだけど、ショウゾウさんと奥さんの立ち振る舞いに、僕はすっかり虜になってしまった。

食後、僕たち以外のお客がいなくなった短い時間に、僕は手入れが施された山の話や、四季舎の角に植えてある開花寸前のオオデマリの話をすると、ショウゾウさんは嬉しそうに色んな話をしてくれた。

波佐見を少しでも楽しい町にしたいという話なのだけど、何よりショウゾウさんご本人が一番今の環境を楽しんでいた。

「昔はさ、確かに陶器で栄えた。全国からオーダーが入り、全く生産が追い付かない。全国から訪問してくる商社が、窯の前で焼き上がるのを並んで待っているくらい忙しかったんだ。それが、時代と共に今はそうではなくなった。黙ってても人が来た時代から、今度は人を呼ぶ時代になったんだけど、その為にどうすればいいかって色々考えた。当然、捨てなきゃいけないモノもあるしな。そうして考えた結果が、今さ」

その土地にあるモノを捨てる、という言葉を聞いた時、僕は軽い衝撃を受けた。
日本では今、全国的に観光地が廃れていってしまっている。
どの街も必死で考え抜いても、肝心の人が来なければ意味がない。

僕が釣りでよく訪れる、忘れ去られる村のことを思い出す。
立地的にどうしようもないケースだってある。

やり過ぎてしまっても具合は悪くなるだろうし、手入れにはセンスや住人の認識が共有されなければ、うまくいかない。

それはまるで、波佐見の山ではないかと思った。

適度に施せるセンスに関しても、波佐見焼の静かに下支えをする控えめな歴史が生み出したのかもしれない。

4日間を通じて波佐見にいるどの職人さん達からも感じたのは、新しいことをする若手を支え、自分自身も楽しんでいるのだということ。

そんな未来への連鎖が、この町にはあるのだと思った。


*後日、栗田さんに教えて頂いたのだけど、笑顔が素敵なショウゾウさんご夫妻の様子は、こちらの記事を見て頂ければ。

今回、4日間に渡り波佐見町を案内してくれた栗田さん、本当にありがとうございます。
貴女がいなかったら、こんな素敵な旅にはならなかったでしょう。

それにしても、道中本当によく話していた2人

最後に。
コスモオナンと栗田さんが過ごした、別視点のnoteやTwiterのモーメントも是非。



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