ロングフライト
別れを惜しむ人
見知らぬ場所へ向かう人
希望に満ちた人
悲し気にうつむく人
長い長い帰路につく人
空港ですれ違う光景は、いつも他人ごとではない気がしている。
ゲートの大きな窓からは束の間の休息を取る大きな機体が見え、移動する人々を静かに迎え入れる。
座席について辺りを眺めると、前席の男性は黙々と電話の画面を見ながら、メッセージを送り続けている。
もうすぐ飛び立つのだからいいではないかと思うけど、誰かへの最後の挨拶だとしたら、どうだろう。
斜め前の2人は観光客らしく、旅の本を開いたり、キャビンアテンダントに配られたイミグレーションカードと格闘している。
タキシングは思うより長く続き、飛行機は管制塔からの離陸許可を待っている。
隣に座る老人は、老眼鏡の隙間からこちらを覗き込むように見るなり、「旅行かね」と尋ねてきた。
僕は冗談めかし眉をひそめて首を振ると、小声で「それは残念だ」と言い、お互い静かに笑った。
定刻より数分遅れ、キィンという高音で機内が埋めつくされると、大きな機体はゆっくりと動き出した。
地上に長居したせいで、数え切れないほどの疲れや試練や後悔という見えない糸が、身体にぐちゃぐちゃと巻き付いていた。
機体が助走をつけ離陸した瞬間、大きな両翼はその糸をブチブチと引きはがしていく。
どことも、何とも繋がっていない。
そんな風に思う離陸の時が好きだ。
小さな窓から見えるオレンジ色の空港はおそろしいほどクリアに映り、飛行機は遠くの暗闇へ向かっている。
機体が細かく角度を変えるたび、向かいに座る乗務員の腕時計が夕日に反射し、チカチカと光った。
前席の男性はあれから電波が弱くなったのか、電話を窓の方に向けてみたりしているが、きっともう届かないだろう。
機長は低く誠実な声でフライトスケジュールのアナウンスを終えると、頭上で点灯していたサインが一斉に消えた。
夕陽は飛行機を追いかけることに飽きたのか、辺りはゆっくり暗くなっていく。
楽しそうに話し続けていた斜め前の2人は、どこまでもフラットなエンジン音によって会話が減っていき、飛行機も乗客も夜の闇に溶けていく。
機内の照明が落とされると、隣の老人はポツンと読書灯をつけ、分厚い小説の続きを読んだ。
窓の外は、微かに月に照らされた雲海がどこまでも続いている。
聞いていた音楽を消し眺めると、窓の反射から、老人も同じように月夜を見ているのがわかった。
しばらくすると、キャビンアテンダントが飲み物を運んでくれ、眠れませんかと尋ねてきたが、笑顔で返した。
低くて高いジェット音は安定して鳴り続けているが、景色を見ているうちに、不思議とその音も聞こえなくなった。
老人は数時間ぶりに口を開き、もう何年も会っていないジャクソンビルにいる妹を訪ねるのだと話してくれた。
久しぶりの再会は緊張するものか尋ねようとしたが、やめておいた。
夜の空は、全てが止まって見える。
寝静まった乗客の中に2人だけが起きていて、この月夜を見ている。
ちょっとした世間話をしたあと、彼は先に休ませてもらうよと言い、小さな読書灯を消した。
僕は飽きることなく、夜空を眺めた。
夜をまたぐロングフライトは、ひょっとすると僕たちに月と夜空を見せるため、わざとゆっくり進んでいるのかもしれない。
腕時計に目をやると、到着まで4時間になっていた。
夜が明け目的地に着くころ、老人にどんな声を掛けようか、考えている。
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