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自分の仕事(刺し子)でご飯食べていけられないってのは辛いねぇ。

2024年3月。怒涛の1ヶ月が終わろうとしています。庭の桜の木の蕾も膨らみ始め、都会の喧騒にも負けないほどの鳥の鳴き声に占領される初春も、今年は安堵と不安が混じった1ヶ月になりました。

英語では一度ぽろっと漏らしたのですが、結果から言うと、妻が仕事に一つの区切りを付け、第一線から引くことにしました。もう少し正確に言うと、私が妻に「もう良いから」と一線を引くよう説得をしました。

収入がゼロになったわけでもないし、妻の専門柄、仕事はどこにでもあるのですが、予想はしていなかった大きな変化です。ただ、彼女の心への負担が大きな現状のまま前に進むことは難しく、私が決めた「職場環境でのギリギリの一線」を超えたことを確認できたので、説得をし、4月の初旬まで休職という形を取りました。復職後、配置転換を希望した場所で仕事を続けられるかどうかはまた別話なのですが、安定を何よりも望む彼女にも、彼女の責任感の上にあぐらをかいていた私にも、大きな変化です。娘にはあまり変化の影響はないようにしたいなとは思っています。

移民としてアメリカに移住して、ビザの関係で私が働けない期間も数年存在して、私のアメリカ移住の初日から「私が大黒柱になるから」と頑張ってきてくれた妻。素人から見ても仕事ができるので、結果としてこの10年間でどんどん昇格していき、この1年間はとんでもない責任を抱えた仕事をしていました。そのとんでもない仕事も、理解がある上長や経営陣が存在していた頃は「理解ができる無理」だったのですが、気が付けばコロナ禍を一緒に乗り越えてきた上長や経営陣は全員離職し、妻だけが残っている状況でした。それでも、新規に外部から新規に雇われた上長という名の専門家が、「現場」に理解がある人であれば、なんとか続いたと思うし、彼女自身も続けたかったと思うのですが、ある一線を超えた職場になり、家庭内では滅多に自分の意見は主張しない私ですが、「安定した豊かな収入か、お前の命かだったら、当たり前だけどお前の命が大事」と説得しました。心理学博士でも、自分のことになるとあそこまで追い詰められるんだな…と。

刺し子で家族を養うということ

さて。妻の仕事や、私が設定した「一線」のお話はまた別途深掘りするとして、この1ヶ月で「私」が今後どう動けるか(動くべきか)をずっと考えておりました。頭の中に響いた言葉は、私がまだ日本にいた頃にNHKスペシャルのドキュメンタリー番組で聞いた、「自分の仕事でご飯食べていけられないってのは辛いねぇ」という、時代の流れの中で廃業を余儀なくされた岐阜の繊維業のプレスの仕事をされている男性の声&言葉でした。確か高校生くらいのお子さんがいるお父さんだったはずです。

2024年からの10年間、ずっと妻が大黒柱でした。少し卑屈な言い方をすると、妻に食べさせて貰ってました。刺し子を仕事にする前までは専業主夫で、その後は妻と家事を分担しつつ、それでも刺し子では一家を養うだけの十分な収入を出すことはできない為、妻の収入を頼りにしていました。その「当たり前」がこの春で変わろうとしています。

妻が休めるという安堵と、この後どうなるかなぁと言う不安。(私が)全く違う仕事を探してみるかとも思ってみたり、実際に求人情報をみてみたり、私を中心に考えると一番楽な日本移住を考えてみたり…と、不安を原動力に動いてみたのですが、動けば動く程に、「自分の仕事、刺し子でご飯が食べられないのは辛い」という言葉に、意識が飲み込まれます。

刺し子で家族を養えるのか

そもそも、刺し子を専門とした仕事で家族を養えるのでしょうか?今、刺し子を専業として仕事をしている人で、家族が養える人はどれくらいいるのでしょうか?もしかするとゼロなんじゃないかと思うのです。

刺し子に付随した仕事…であれば可能かもしれません。例えば、刺し子に理解があることを全面に押し出したデザイナー。例えば、社会問題解決を全面に押し出して、寄付やクラウドファンディングを最大限活用しながら作り出す会社。あるいは、刺し子の専門家を名乗り、刺し子を教えたり、出版したりという「先生」になる仕事。きっとこれらであれば、家族を養っている人もいるんだろうと思います。

上記も刺し子を専門とした仕事ではあると思うのですが、「稼ぐための仕事」に専念すればするほどに、刺し子をする時間は減るだろうなという仕事です。「刺し子の技術や知恵や経験を違う分野に落とし込んで仕事として稼ぐ」ことは可能でも、刺し子そのものを作り販売して生計を立てることは不可能なんじゃないかと。

刺し子を作り販売するビジネスモデルを成立させる落とし所の一つが材料やキットの販売で、それを最大効率化させたのが私の家業だった飛騨さしこなんだろうと思います。それもインターネットが当たり前になる前の話で、今は「家族を養うだけ」の収入を確保することは、不可能に近いことだとは思うのですが。

刺し子で裕福になる人達

「刺し子で家族は養えない」と断言しているので矛盾に聞こえるかもしれませんが、刺し子で裕福になる人達が存在します。実際に目にしています。ただ、残念ながら、それは日本人ではありません。日本国内にいる人ではありません。日本語で刺し子を学んできた人ではありません。もしかしたら、「刺し子」ですらないのかもしれません。あるいは、「SASHIKOで裕福になる人達」と書き換える必要があるのかもしれません。

刺し子がSASHIKOとして流行になる中で、日本では刺し子で家族を養えない刺し子が、世界では裕福になる(会社を大きくする)手段として使われています。(彼らからの)直接の言葉を使えば、「そんなに儲けているわけじゃない。日々の生活の上で日本に年に数回(海外旅行として)行ける程度の利益」…なのですが、最初の文節の時点で生活費は賄えているわけで(笑)

なぜか?何が起こっているのか?

とてもシンプルな話で、「日本語以外で勝負をしているから」です。商売における大原則ですが、「お客様がいるところで商売をする」ことが大切です。では、誰がお客様になってくれるのかを考える時、マーケティング等の様々な手法はありますが具体的な戦略ができるまでは、母数が多い場所に行くことが最重要になります。そりゃそうだ。岐阜の山奥でお店を出すのと、浅草の仲店通りでお店を出すのは、宣伝とか、どうやって売るかとかと言う戦略を考えなくても、「売っているもの」が良ければ、必然的に浅草のお店の方がお客様になってくれる人は多いので。

同じ論理で、英語で商売をすると、全世界の1/4がお客様になってくれる可能性があります。とんでもない数です。後は、「欲しいものを届けられるようにする」ことができれば、商売は成功します。

「(お客様が)欲しいもの」とは何かを考える時には、地域の文化や求められているものを理解し、「売るもの」に少し変化をつける必要があります。同じ仲店通りにあるお店でも、売上が違ってくるのはこれが理由です。仲店通りに来られるの主なお客様は観光客か地域の方々だと思うので、そこで建築用資材(木材とかコンクリートとか)を売る店を作っても、なかなか売上は立たないはずです。その建築用資材がどれだけ良いものでも…です。(もちろん、売り方によって売れることもあるでしょうけれど)。

今の英語圏での刺し子において、一番求められているものは「簡単に辿り着ける正解」です。これを英語で提案している会社やデザイナー、作家さんなんかは大儲けしているのだろうと思います。逆に、「日本の刺し子」にこだわってしまうと、ある程度の売り上げはたっても、家族を養うほどにはならないでしょう。

そして私はこれまで、「家族を養う必要がないから好き勝手できる」としてきたのです。とてもとても身勝手ですが、妻をここまで追い込んだ自分に怒りを持ちながら、同時に「刺し子を知らずに利益を貪る都合がいい人々」にも怒りを感じています。自分の責任で選択を重ねて今があるので、この怒りは身勝手で不条理です。でも、やっぱりムカつきます。そもそも、この英語圏での刺し子の流行がなければ、家業は傾いていなかったかもしれない…なんて思い出すと、もう体が震えるほどに怒りを感じます。「自分の仕事でご飯が食べられなくなって辛い」…その元凶が目の前で笑顔で笑っている感じなのかもしれません。

ここ最近の私の投稿や配信での、「卑怯」だの、「馬鹿にするな」などと言葉が強いのは、これが理由です。

で、刺し子でどうすんの?稼ぐの?

いつものように、長い文章をここまでお読み下さりありがとうございます。ここまで読んで下さった方の一番の疑問は、「で?どうするの?刺し子で稼ぐようにするの?」と言うものだと思います。

正直、悩んでいます。たぶん…これまでの知識を使えば、家族を養うくらいのレベルまでは収入を上げることは可能だと思うのです。でもそれは、「建設用資材屋さんから饅頭屋」に職替えをするほどに根本的な変化になってしまうかもしれません。「刺し子」であることは間違いないのですが、同時に今まで「私はそういう刺し子はしない」と全面に出してきた言葉と矛盾する形になるかもしれないのです。

どうしましょうかね。
休職中、笑顔を見せるようになった妻と話をしながら、彼女がこれからもずっと大黒柱であり続けたいと言ってくれた言葉に安堵の気持ちを抱きながら、同時に、これまでと同じような負担はかけたくないしかけちゃいけないと思っています。

幼少期&学生期の経験からの特技で、「(私は)どれだけでも生活レベルを落とせる」というものがありますが、娘にはお金の苦労はさせたくないと言うのが本音です。また、私の立ち位置が変わったからと言って、私から発注するお仕事を減らしたり単価を交渉したりするのは絶対にやりません。私の収入がどれだけ減っても払うものだけは絶対に減らしてはいけません。少し滞ることがあったとて、減らしては絶対に駄目です。どれだけお腹が空いていても、自分の手足を食べてしまってはいけないのと一緒です。仕事で関わってくださる方々は私の仕事の未来を作ってくれているわけで。

なので、今をある程度継続させる為に、今以上に「稼ぐ」必要はあります。課題は「どうやって」?

具体的な戦略を立てる段階にもいません。今月から始まった変化なので。また「どうやって稼ぐか」が具体的になったら、ここでご紹介してみようと思っています。今はとりあえず怒りと不安に身を任せようと。今まで妻のお陰で、ある意味では「客観的に」見れていたんですよね。激流に飲まれている自分も、どこかで「最悪、妻に電話すればヘリコプターで助けに来てくれる」と一線引いたところで激流に参加していたんだろうと。今から考えると理想郷であり、あるいは曲芸です。でも、そんな立ち位置だからご縁を頂けたものも本当に沢山あるのです。それは変えたくない。

変えたくないと思うのと同時に、もっと感情的になることも次の一手には必要なのかなと。そして、これが日本でご縁を頂いた方々から頂いた、「日本の刺し子は大丈夫なんかじゃないよ」という言葉につながるのかもしれません。

変わらずに、変わります。(大切な核は)変わらずに、(大切な人を守れるように)変わります。


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