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刺し子とSASHIKO。

刺し子家業に生まれて40年。刺し子と真剣に向き合って10年。まだ「刺し子とは何か」という問いへの答えは出せていません。答えなんて出さなくても良いんだろうと心の隅では理解しつつ、それでも言語化するのが趣味みたいなものなので、なんとか「何か」を残していけたらと思っています。

答えは出ていませんが、一つだけ確定している事実があります。それは「刺し子は日本で培われた針仕事だ」ということです。刺し子がSASHIKOとして世界中で人気になっています。とても喜ばしいことだと思う反面、SASHIKOという言葉は既に一人歩きし、SASHIKOが定義する答えが存在し、それは日本に存在している&いただろう刺し子とは全く違うものになりつつあります。その過程で刺し子のことをJAPANESE SASHIKO(日本の刺し子)と、日本的な刺し子であることを強調しなければいけない現実は、本当に息が苦しくなります。

海外でのSASHIKOと刺し子の橋渡しが私の役目だと覚悟を決めている為、これまでは「日本国外で紹介されているSASHIKOには問題が多いけれど、日本国内の刺し子は、まぁ心配ないでしょ」という立ち位置を貫いてきました。また刺し子配信等を通して、私の正直な思いとして言葉にもしてきました。今でも立ち位置はあまり変わっていないのですが、今年からはそう思ったとしても言葉に出さないことにしました。それは、日本的な「刺し子」を大切にしてくれている人がいらっしゃって、日本で刺し子をしていて真剣に刺し子と向き合っている方の応援ができればと思ったからです。直接的な応援にならなくて、私の「心配ないでしょ」という言葉で、日本の刺し子に覚悟を持つ方々の邪魔になってはいけないと気がついたのです。


では、「日本の刺し子」って何?

ここで一度だけ「日本の刺し子」の定義をしておいた方が良いかなと思っています。大きな意味合いでは、「日本人、あるいは日本人の心を理解する人が行う刺し子」です。日本の刺し子は心配ないと断言していた理由はここにあります。日本国内で、日本語で、日本人とされる人々が楽しんでいる刺し子であれば、それはもう「日本の刺し子」でしょう…と。それがどんなに昔ながらの刺し子と違っていても、日本の当たり前が共通理解として、あるいは暗黙の了解として成り立つならば、もうそれは「日本の」という定義も必要ないだろうと。

西洋との比較で「日本の刺し子」を説明するならば、それはどこに「重きを置くか」だろうと思います。これは現代日本が西洋化するにつれて、日本国内でも「何に重きを置くか」は変わってきている為、現代と昔の刺し子を比較する際にも同様の違いは出てくるかもしれません。私達の刺し子は「過程」を重要視します。厳密には、「重要視」…というか、針仕事が楽しいところに完結します。図案も柄も出来上がりも勿論大切なのですが、その針を動かしている時間にハマっての刺し子が存在します。西洋での刺し子は「見た目」が何よりも重要視されます。綺麗か、可愛いか。図案を針目で表現するアートとしての刺し子が西洋での刺し子(つまりはSASHIKO)の最大要素です。

私の願いは、「日本の刺し子を残すこと」。西洋のSASHIKOや現代の刺し子を否定しているわけではありません。営みを続けている以上、覚悟の多寡はあるでしょうが、それは文化の正常な変化です。変化しなかったら文化じゃないですし。ただ、変化の中で「過去を無かったものにする」ような流れは決して認めてはいけないと思っています。

私にできることとしての「運針会」。

最終的な願いは「日本の刺し子を残すこと」。今年の抱負は「昔ながらの刺し子を大切にしようとしている人達を応援すること」。

今年に入って2ヶ月、何をどうすべきかずーっと考えてきています。何ができるんだろうって。○○警察のようにSNSを徘徊して、「それは刺し子じゃない!」とか「それは昔の刺し子を無視している」と細かく指摘をしていくことが私の願い達成の一部になるのか?残念ながら、本心では「日本の刺し子は大丈夫さぁ」と思ってしまっているので、パトロールすることそのものに説得力も意味もなくなってしまいます。商標や特許等の知的財産を主張して、刺し子をガチガチに固めることが、日本の刺し子を残すことなのか?とも考えましたが、「智慧」の結晶である刺し子に知的財産とか言ってる段階で、もう何もわかっていない証拠になってしまうので、それもダメです。

結果辿り着いたことが、「刺し子についての思いを発信し続けること」と「私たちが好きな刺し子をできるようになってもらうこと」です。

伝統的な刺し子(幾何学模様だったり藍と白の組み合わせだったり)と括られてしまう刺し子になかなか手が出せないのは、その大きさや針目の大きさが指定されていない等の「難しさ」が障壁になっているのかもしれません。これらは「刺し子の運針」ができるようになると、布の大きさも、針目の正確さも、何もかもが二の次になります。運針に慣れた後は「柄の準備の方法・図案の写し方」を学んで頂ければ、誰でも風呂敷が刺せるようになります。

そんな魔法のような運針会を積極的に行うことこそが、夢を叶える方法の一番いい方法だと気がついたのです。そして、その運針会を知って頂いて、参加して頂く為に「刺し子について知ってもらえるような話を沢山する」という一年になればいいなと思っています。

私がアメリカ在住の為、運針会は原則ZOOMで行います。詳細は以下の「運針会について」というブログを一読頂ければ幸いです。
https://sashico.com/?p=4865

「運針」は難しそう。敷居が高そう

運針なんて敷居が高くて気後れしちゃうという方もいらっしゃるかもしれません。それが現代の刺し子の一つの変化の先ではあるのですが、刺し子の本質は「日常」です。誰もができたこと。母親から娘へ教えられた針仕事が刺し子の本質です。何一つ怖いことはありませんし、私が厳しいことを言うことも絶対にありません。日常には目指すべきものはあっても間違いは存在しませんから。

「日常」で「当たり前のこと」ですが、残念ながら「失われてしまった日常」です。その為、少し学んで頂く必要があります。料理をしたことがない方に包丁の持ち方とまな板の使い方をお教えるする感覚で運針会を開催しています。それほどにシンプルで難しくないものなのです。

一度の運針会で一生モノの技術や考え方を身につけて頂けると自負しています。昔は「何を教えてるんだ?」と不安に思った時期もあるのですが、100人以上の日本の方に運針をお教えしてきて、今も沢山の方と継続的なご縁を頂きつつ、またその中の多くの方が素晴らしい刺し子作家さんになっていることもあり、「教えること」に自信を持てるまでになりました。

是非、ご参加頂けると嬉しいです!刺し子とSASHIKOの違いをご説明するだけじゃなく、SASHIKOには存在しない「刺し子の一番美味しいところ」をご案内できればと思っています!

(開催日程は上記のリンクよりご確認下さい!)


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