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旅の記:2023年9月のツアー㉒高知の誕生地シリーズ(高知県高知市)

【旅の記:2023年9月のツアー㉒高知の誕生地シリーズ】 市街地を歩いて歴史探訪をしていると、さすが有名人を多く輩出した土佐です、多くの誕生地を発見することができます。僕が見つけたいくつかをご紹介。 河田小龍塾の近く。前回来た時も日が暮れてからだったな。龍馬ね、教科書から消されたり、なにかと言われますが、僕はやっぱり好きですよ。また、まんじゅう屋こと近藤長次郎邸も近くにありました。 自由民権運動で有名な退助。東アジア初の帝国議会を樹立し「国会を創った男」と言われ、伊藤博

    • 旅の記:2023年9月のツアー㉑高知城(高知県高知市)

      【旅の記:2023年9月のツアー㉑高知城】 現在の高知城(瓦や壁の色が鷹の羽の色に似ているとして鷹城とも)がある大高坂山には南北朝時代から城が築かれていたとされ、大高坂松王丸が居城とし、南朝方について後醍醐天皇第7子・満良親王を迎えたという。しかし北朝方と戦って敗れ興国2年(1341年)に落城、廃城となっていた。天正16年(1588年)そこへ戦国大名・長宗我部元親が岡豊城から本拠地を移した。しかし低湿地のために工事が難航、代わりに港に近い浦戸城を築いた、とも、朝鮮出兵のため

      • 旅の記:2023年9月のツアー⑳山内神社<山内一豊・山内容堂>(高知県高知市)

        【旅の記:2023年9月のツアー⑳山内神社】 山内神社は文化3年(1806年)に土佐藩10代藩主豊策によって創建された神社で、初代藩主一豊とその妻・見性院(千代)、そして2代藩主忠義をお祀りし、高知城内に造営されて、藤並神社と呼ばれていました。明治4(1871年)には土佐藩最後の藩主で16代目にあたる豊範が藤並神社の御旅所であった現在の地に山内神社を創建、3代から14代豊惇までの霊を祀る。昭和7年(1933年)山内神社に祀られた歴代藩主の霊を藤並神社に遷座して、15代豊信(

        • 旅の記:2023年9月のツアー⑲吉田東洋殉難の地(高知県高知市)

          【旅の記:2023年9月のツアー⑲吉田東洋受殉難の地】 文久2年(1862年)4月8日の夜更けに土佐藩参政であった吉田東洋が暗殺されました。下手人は土佐勤皇党の志士で那須慎吾・大石団蔵・安岡嘉助。この日東洋は藩主山内豊範に本能寺の変についての講義を終えて、酒肴に預かって午後10時頃に降りしきる雨の中帰途についた。追手門を出て、後藤象二郎らと分かれた東洋は帯屋町の自宅に向かう途中に暗殺された。那須らは東洋の首をふんどしに包み、思案橋で待っていた他の志士に首を渡したといい、鏡川

        旅の記:2023年9月のツアー㉒高知の誕生地シリーズ(高知県高知市)

          旅の記:2023年9月のツアー⑱河田小龍誕生地・墨雲洞跡(高知県高知市)

          【旅の記:2023年9月のツアー⑱河田小龍誕生地・墨雲洞跡】 高知に着いてからちらほら名前が挙がっています河田小龍。龍馬に世界情勢を教えた方として有名ですね。 文政7年(1824年)軽格の藩士の家に生まれた小龍は幼少のころから画を学び、16歳の頃に藩儒学者岡本寧浦の門下に入った。弘化元年(1844年)吉田東洋に従って京に遊学し、京狩野家9代目狩野永岳に師事した。嘉永元年(1848年)の二条城襖絵修復の際には師と共に従事したそうです。嘉永3年(1850年)に帰国すると、蓮池町

          旅の記:2023年9月のツアー⑱河田小龍誕生地・墨雲洞跡(高知県高知市)

          旅の記:2023年9月のツアー⑰ジョン万次郎船出の地(高知県土佐市)

          【旅の記:2023年9月のツアー⑰ジョン万次郎船出の地】 坂本龍馬、中岡慎太郎、武市半平太、長宗我部氏、山内氏、、英雄・有名人を多く輩出する土佐ですが、この人を忘れてはいけません! ジョン万次郎こと中浜万次郎。文政10年(1827年)土佐国幡多郡中ノ浜村(現在の高知県土佐清水市)の貧しい半農半漁の漁師の家に生まれる。9歳で父が亡くなり、10歳のころから下働きに出るが、あまりの重労働から脱走して、母の計らいで宇佐で漁師として働くことになる。天保12年(1841年)1月27日、

          旅の記:2023年9月のツアー⑰ジョン万次郎船出の地(高知県土佐市)

          旅の記:2023年9月のツアー⑯秦神社(高知県高知市)

          【旅の記:2023年9月のツアー⑯秦神社】 雪渓寺の奥には長宗我部元親公をお祀りする秦神社があります。廃仏毀釈で一時廃寺となった雪渓寺の本堂跡に、元親の弟の子孫らが高知藩庁に請願にして、明治4年(1871年)建立された。長宗我部氏が中国清王朝の始皇帝の子孫とされる秦河勝の後裔を称したことから「秦」神社となった。 当社の長宗我部元親画像は国の重要文化財で、高知県立歴史民俗資料館に委託保存されいる。ご神体である木像長宗我部元親坐像は雪渓寺から譲り受けたもの。 長宗我部盛親は長

          旅の記:2023年9月のツアー⑯秦神社(高知県高知市)

          旅の記:2023年9月のツアー⑮雪渓寺<長宗我部信親墓>(高知県高知市)

          【旅の記:2023年9月のツアー⑮雪渓寺】 雪渓寺は、山号を高福山、幸福院とする臨済宗妙心寺派の寺院で、四国八十八箇所第三十三番札所です。寺伝では空海の開基で創建当初は真言宗に属し少林山高福寺と称したそうです。また嘉禄元年(1225年)に高福寺として創建されたという記述もあり、天正16年(1588年)の記録では慶雲寺となっているそうです。 天正年間(1573‐1593年)寺は荒廃していたが月峰和尚が住職となり、長宗我部元親の後援を得て、臨済宗の寺として復興した。慶長4年(1

          旅の記:2023年9月のツアー⑮雪渓寺<長宗我部信親墓>(高知県高知市)

          旅の記:2023年9月のツアー⑭長宗我部元親墓(高知県高知市)

          【旅の記:2023年9月のツアー⑭長宗我部元親墓】 天文8年(1539年)長宗我部国親の嫡男として元親は土佐国岡豊城で生まれた。幼少の頃はおとなしく、ぼんやりしているところがあり「姫若子」と揶揄されるほどで、国親は跡継ぎとして悩んでいた。永禄3年(1560年)元親は数え年23歳と遅い初陣となった豪族・本山氏との戦い(長浜の戦い)で自ら槍を持って突撃するという猛勇さを見せ、この一戦で武勇を高め「鬼若子」と呼ばれた。続く潮江城の戦いでも戦火を上げ、同年に国親が急死すると家督を相

          旅の記:2023年9月のツアー⑭長宗我部元親墓(高知県高知市)

          旅の記:2023年9月のツアー⑬若宮八幡宮(高知県高知市)

          【旅の記:2023年9月のツアー⑬若宮八幡宮】 戦国時代、四国を統一した長宗我部元親が永禄3年(1560年)の初陣の際に、ここ若宮八幡神宮馬場先に陣を構えたところ、みごと勝利を収めた。それ以来、合戦の度に当社で戦勝祈願を行ったという。 当社の起源は鎌倉時代までさかのぼる。文治元年(1185年)に源頼朝が京都六条にあった祖父・為義の館跡に石清水八幡宮より勧請し、六條若宮八幡宮を創建した際に、土佐国吾川郡一円を神領としたことで、当地にも若宮八幡宮を分祀したという。

          旅の記:2023年9月のツアー⑬若宮八幡宮(高知県高知市)

          旅の記:2023年9月のツアー⑫桂浜・浦戸城跡(高知県高知市)

          【旅の記:2023年9月のツアー⑫桂浜・浦戸城跡】 やってきました、桂浜!そして龍馬像!本当に久しぶりです。司馬遼太郎「龍馬がゆく」を読んで歴史に興味を持って、高知~長崎~山口萩と旅したのが、もう20年以上前なんですね。。 司馬さんは歴史家ではなく、歴史小説家ですから脚色も多いですし、武田鉄矢原作・小山ゆう「おーい!龍馬」なんて、もうやりすぎってくらい話が盛られていますが、どちらもとても面白くて、歴史ファンになるには十分な作品でした。とかく最近では龍馬は実はたいしたことはし

          旅の記:2023年9月のツアー⑫桂浜・浦戸城跡(高知県高知市)

          旅の記:2023年9月のツアー⑪武市半平太旧宅及び墓(高知県高知市)

          【旅の記:2023年9月のツアー⑪武市半平太旧宅及び墓】 幕末、黒船来航によって高まる尊王攘夷のムーブメントの中、文久元年(1861年)江戸留学中であった土佐藩士によって土佐勤皇党が結成された。 盟主となった武市半平太は、文政12年(1829年)土佐郷士の家に生まれる。武市家はもともと豪農であったが、半平太より五代前に郷士に取り立てられて、白札(上士)格に昇格した。 天保12年(1841年)一刀流・千頭伝四郎に入門し剣術を学び、嘉永3年(1850年)に高地城下に転居、小野派

          旅の記:2023年9月のツアー⑪武市半平太旧宅及び墓(高知県高知市)

          旅の記:2023年9月のツアー⑩土佐神社<土佐国一宮>(高知県高知市)

          【旅の記:2023年9月のツアー⑩土佐神社】 四国3県目は高知県。20年ぶり?!もっとかな。まずは土佐国一宮である土佐神社にご挨拶です。ご祭神は阿遅鉏高日子根神(あじすきたかひこねのかみ)と一言主神(ひとことぬしかみ)です。阿遅鉏高日子根神(あじすきたかひこねのかみ)はオオクニヌシとタギリヒメの間の子で、土佐国造の祖神。一言主神は、古事記においては葛城山で鹿狩りをしていた第21代雄略天皇と出会い、獲物を争ったために天皇の怒りに触れて、土佐国に流された。天平宝字8年(764年

          旅の記:2023年9月のツアー⑩土佐神社<土佐国一宮>(高知県高知市)

          旅の記:2023年9月のツアー⑨弘憲寺<生駒家菩提寺>(香川県高松市)

          【旅の記:2023年9月のツアー⑨弘憲寺】 弘憲寺は讃岐生駒家の菩提寺で、山号を利剣山、本尊を不動明王とする高野山真言宗の寺院です。寺伝によると、今から1300年前の天平時代に現・香川県飯山町に建立された法勲寺が高松に移されたとのことです。「吾妻鏡」にも記述があるそうです。その後、廃寺となり、本尊・霊宝は近くにある島田寺に移されていた。 天正15年(1587年)生駒正親が讃岐に入封すると、正親はこの地が空海の誕生地であるとして密教に帰依し、法勲寺を再建、島田寺の良純に寺務を

          旅の記:2023年9月のツアー⑨弘憲寺<生駒家菩提寺>(香川県高松市)

          旅の記:2023年9月のツアー⑧高松城(香川県高松市)

          【旅の記:2023年9月のツアー⑧高松城】 三大海城の一つ高松城へ。他の二つも今治城と宇和島城ということで全部四国にあるんですね。 豊臣秀吉による四国制圧が成った後、天正15年(1587年)に生駒親正が讃岐国12万6千石に封ぜられると、最初は引田城、そして聖通寺城に入るが、どちらも手狭だったため天正16年(1588年)玉藻浦に築城をはじめ、天正18年(1590年)に完成した。この時に「野原」という地名を「高松」に改めた。 生駒氏は4代・高俊の時にお家騒動(生駒騒動)により1

          旅の記:2023年9月のツアー⑧高松城(香川県高松市)

          旅の記:2023年9月のツアー⑦田村神社<讃岐国一宮>(香川県高松市)

          【旅の記:2023年9月のツアー⑦田村神社】 香川県に入りまして、まずは讃岐国の一宮・田村神社へ。田村、と聞くと坂上田村麻呂関連かと思ってしまいますが、当社は関係なく、ご祭神は倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)、五十狭芹彦命(いさせりひこのみこと)、猿田彦大神(さるたひこおおかみ)、天香山命(あめのかぐやまのみこと)、天村雲命(あめのむらくものみこと)の5柱で、総称して田村大神と総称される。 名前長めですが倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)は

          旅の記:2023年9月のツアー⑦田村神社<讃岐国一宮>(香川県高松市)