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いけばなは、最先端の経営学に通じる━━華道家・山崎繭加の仕事は、ビジネスと日本の叡智をつなぐこと

山崎繭加
華道家/ハーバード・ビジネス・レビュー 特任編集委員 
1978年生まれ。19歳より古流松麗会家元梶川理仙に師事。2017年、華道家として独立 し、いけばなの叡智をビジネスや教育界につなげる活動「IKERU」を開始。いけばなの個人レッスン、企業や学校でのワークショップ、展覧会など、活動は多岐に渡る。マッキンゼー・アンド・カンパニー、東京大学先端科学技術研究センターを経て、ハーバード・ビジネス・スクール(HBS)日本リサーチ・センター勤務。東京大学経済学部、ジョージタウン大学国際関係大学院卒業。

華道家・山崎繭加が主宰するいけばなコミュニティ「IKERU」には、経営学や教育の専門家、ビジネスパーソンらが多く集う。生徒の3割は男性で、一番多いのは20代だという。

いけばなは戦後、女性のたしなみ、花嫁修行として広まった経緯があり、一般的ないけばな教室の生徒はほとんどが女性だ。また、多くのほかの伝統文化と同じく高齢化が進んでいる。そんななかにあってIKERUは極めて異色の存在といえるだろう。

実は、山崎が華道家として本格的に活動し始めたのはわずか3年前のことだ。マッキンゼー・アンド・カンパニー(以下、マッキンゼー)でキャリアをスタートし、東京大学・先端科学技術研究センターの助手を経て、米ジョージタウン大学の国際関係大学院を卒業。帰国後はハーバード・ビジネス・スクール(以下、HBS)の日本リサーチ・センターに勤めていた彼女にとって、いけばなは長らく趣味の一つでしかなかった。

だが、HBSで10年にわたって最先端の経営理論に触れるなかで、自分が感じていた「いけばなの叡智」と経営の世界で扱われていることとが徐々にシンクロし始めていることに気がついたのだという。そこから、いけばなをビジネスや人材育成につなげるという現在の活動が始まっている。

山崎の言う「いけばなの叡智」とはどんなもので、それが「経営に通じる」とはどういうことなのか。

いけばなと最先端の経営学のシンクロ

山崎は大学生だった19歳の時にいけばなと出会い、華道家として独立するまでの約20年間は趣味としてこれを続けてきた。

いけばなには500年以上の歴史があり、流派や担い手によって定義・考え方はさまざまだ。そのなかで山崎がもっとも共感し、大切にしてきたのは「花を生かす」という考え方だという。これは19歳から師事していた古流松麗会家元の花の向き合い方から受け継いだものだ。

「人が花を使って自分の思うように創作するのではなく、人は花を生かす。主体は人ではなく、あくまで花であるといういけばなの考え方、心構え、自然との向き合い方が、自分にはしっくりきていたんです」

いけばなは、流派だけでなく担い手によっても捉え方や考え方はさまざまだ。

一方で山崎は2006年から10年間、HBSに勤務。主に教材として使うための日本企業の事例を作る仕事や日本で行われるHBSの授業の設計に従事してきた。

そうやって一流の研究者たちに囲まれ、経営学が身近にある環境で過ごすなかで、経営学で大切だとされる考え方にある変化を感じるようになったという。

「非常にざっくりとした言い方ですが、経営学の世界では長らく、まずは外部環境をしっかりと理解し、その上で自社をどう差別化するかと考えるのが正しいとされてきました。ところが、その外部環境が劇的に変わり続ける昨今では、大切なのはその企業自身がどうありたいかであり、事業はその結果としてできてくるものという考え方が目立つようになりました」

そのシフトと並行するように、それまではアメリカ西海岸の「一部の進んだ人たち」がやるものだったマインドフルネスが、多くのビジネスパーソンに受け入れられるようにもなっていった。

HBSに象徴されるアメリカ東海岸は非常に保守的というのが山崎の認識。その彼らでさえ、自分のありのままを理解することの重要性を当たり前のように受け入れ始めた。こうした光景を目の当たりにしたことが、山崎を現在の活動へと突き動かしたのだという。

「いま経営学の世界で大切にされている考え方と、いけばなにおいて実現する心のあり方とが、すごく連動するものだと思うようになりました。自分がずっと大切にしてきたいけばなの精神が、世界から必要とされる時代が来たように思えたんです」

始まりは「エゴを捨てる」ことから

山崎が主宰するIKERUは大きく二つの活動からなる。

一つは、山崎が自宅で開催している個人向けのレッスン。ここでは一般的ないけばなのイメージ通り、参加者は一人ずつ自分の作品に向き合い、純粋に「花を生かす」ことに集中する。

山崎によれば、いけばなはまず花の「ありのまま」を理解することから始まる。個々の花ごとに「こうしたら一番美しくなる」という角度や挿し方がある。まずはそれを見極めるということだ。

だが、花を生ける人間の側に「こう生けたい」という思いが強いと、それが歪みとして花に伝わってしまう。それでは「ありのまま」は見極められないのだという。「エゴを捨て、透き通った透明な心になって初めて、花の声は聞こえてくるんです」と山崎。

花には「一番可愛く見えるところ」がある。それは、まず自分の欲を捨て、透明な心で向き合うことでわかるようになる、と山崎は言う。

エグゼクティブが日本の叡智にビジネスのヒントを求めるという意味で、山崎のIKERUは京都・妙心寺の春光院に似ている。

「マインドフルネスの寺」として知られる春光院の川上全龍はかつてBNLの取材に「たまには木を見て、たまには森を見る。その両方ができる柔軟性を持つには自分のバイアスをどれだけ外せるか」だと語った。

花の「ありのまま」を理解するためにまず「エゴを捨て、透き通った透明な心にならなければならない」という山崎の話は、これと通じるように思える。

「私自身、華道家としてある程度のキャリアを積んだいまでも『こんなふうに生けたい』という欲が生じてしまうことがあります。そうするとどこか流れが滞ったようになって、ダメな作品ができてしまうんです。そんな時は、目的は自分を良く見せることではないはずと言い聞かせて、もう一度花と向き合います。するとまた、だんだんとすべてがつながっていく感覚が得られます」

「●●道」と名のつくほかの日本文化同様、こうした修練に即効性はない。花と向き合い、ある種強制的に無心になるプロセスは、繰り返し行うことによって初めて日常的にも「使える」ものになる。山崎はそう考えている。

『ティール組織』の著者、フレデリック・ラルー氏を招いた会議でいけばなを担当。 写真:坂上彰啓
湯島聖堂でのIKERU展覧会の作品。 写真:玉利康延

花を生かし、人も生かすことでたどり着ける世界

最初に無心になるプロセスを踏むという意味でいけばなは瞑想と似ている。逆にいけばなが瞑想と異なるのは、無心になった先にクリエイティブなパートがあることだと山崎は言う。

これは、同じ創作活動でも主に自分を表現する絵を描く行為などとも異なる。

「花を生かしながらも、その人にしか作れない空気と世界観を作っていく。心をまっさらにした上で、さらに創造という行為を行う。その両方があるのがいけばなの特性ではないかと思います」

この点で興味深いのが、IKERUのもう一つの活動の柱である企業向けのワークショップだ。

通常、いけばなは一人で一つの作品を作り上げるが、このワークショップでは3〜5人1組のチームで一つの作品を作る。一人は枝、一人はメインの花、一人はサブの花というように必ず一人一花を担当する。

その際にはいくつかの決めごとがある。まず、どういうものを作るのか、あらかじめチーム内で話し合うことはしない。また、ほかの人が生けている時に残りの人が介入することもない。枝を担当する人は枝を、花を担当する人は花を生かし切ることに集中する。

「そうすると一人で生けるのとはまた違ったものができます。多くの場合、一人で生けた場合よりも圧倒的にいい作品ができる。ほぼいけばなが初めての人たちで作る作品の出来栄えには私自身も毎回感動させられるんです」

IKERUワークショップの風景。 写真:玉利康延

このやり方が一人で一つの作品を作る場合と大きく異なるのは、自分が担当する花を生かすだけでなく、前の人が生けた花、前の人が作った流れも生かす必要が生じることだ。

たとえ前の人の生け方に納得がいかなくても、一度受け入れないことには先に進めない。だからしぶしぶでも受け入れることになる。そうやって一度受け入れて前に進んでみると、結果として自分だけで作ったのでは見えなかった世界、思いもよらなかった素晴らしい作品が出来上がる。

この点でもまた、ビジネスの世界で言われることとのシンクロを見ることができる。

「あらかじめ決まったアジェンダをタスク分解して割り振るトップダウンのアプローチでは、どうしても届かない世界がある。一人ひとりの持つ感性で世界を見てそれぞれが判断した先に企業の道があるというのは、最近の組織論などでよく言われることでもあります」

AI時代に必要な「身体性の回復」

マッキンゼー、東大、ハーバードと、山崎がこれまで歩んできたキャリアは華々しい。だが、そんな彼女にも挫折はあった。

「ジョージタウン大学院で国際関係学を学んだ後、自分としてはそのまま国際問題の研究者の道を歩むつもりでいたんです。けれども思うようにはいかなくて。それなりのお金と時間を割いて進もうとした道が閉ざされてしまい、それまでの自分の人生はなんだったのかという気持ちになりました。自分がなにをしたいのかもわからなくなって、しばらくは無職の時間を過ごしました」

そんな時に自分を救ってくれたのが、趣味として続けていたいけばなだった。マッキンゼー時代にはあまりの忙しさに一度離れたこともあったが、「あらためて素直な心で向き合ったら、再び花の声が聞こえてきて......」

山崎の経歴は、他人が聞けば華々しい。しかし本人は「だんだんと、思うようにいかなくなり、辛い時間があった」と振り返る。

「思えば、それまでの自分は頭だけで生きてきた」と山崎は振り返る。頭で考えてすべての意思決定をしようとしていたし、そのこと自体に気づけてもいなかった。その結果、心と体が頭についていかなかったのが、この時の挫折だったのだろう、と。

「現代社会は頭偏重の社会。そうした社会のあり方に高く順応してきたのが、それまでの私の歩みでした。けれども、頭で考えているだけではうまくいかない。それだけでは人は弱ってしまう。人は頭でできている生き物ではないのだと、この時に深く学んだんです」

頭だけならAIの方が勝るとするのなら、頭だけで生きてきた人間はこの先どう生きればいいのか。望むと望まないとにかかわらず、ぼくらはいま、そのことを突きつけられている。

「私自身の軌跡に照らすなら、花のありのままを理解し、自分の手を使って創造するいけばなは、身体性の回復という側面も持っています。自分で行動し、経験するというのは人間にしかできないこと。頭は一旦置いておいて、もう一度体を通じて経験するということに立ち返る必要があるのではないかと思うのです」

世界が日本の叡智に注目している

山崎がやっていることは、いけばなという「日本の叡智」を現代に合った形でアップデートする試みとも表現できる。

いけばなに限らず、日本にはもともとさまざまな叡智があった。それは思想としてではなく、「行動として日常に溶け込んだものだった」と山崎は言う。

「例えば、着物を着ているだけで気が整うというのもそう。日本はかつて日常が『気が満ちる動作』で溢れていた国だったと思うんです。けれども、これだけ体を動かすことが少なくなり、社会全体が頭型へとシフトしたことで、こうした叡智は、もはや誰もが知るものではなくなりつつあります」

いけばなも然り。戦後に「女性ならやらなくてはならないもの」として義務化された結果、ピークは3000万人ともいわれるほどいけばなをやる人が増えた一方で、いけばなは楽しいから、好きだからやる、という部分が薄れていってしまったのではないか。それが、若い世代がいけばなからどんどん遠ざかり、いけばな人口も減少している原因の一つだと山崎は考えている。

しなやかに動く山崎の手を見ていると、かつては当たり前だった「気が満ちる動作」の美しさを感じ、それがいま、失われつつあることに改めて気づかされる。

時代が移ろうものである以上、伝統文化もまた、時代に合った形へとアップデートし、叡智を抽出して伝えることが必要になる。そして、こうした「日本の叡智」こそが、海外の人たちがいままさに日本に求めているものではないか、と山崎は言う。

山崎はHBS時代、教材として日本企業の事例を紹介する役割を担っていた。だが、いくつかある魅力的な企業を紹介すると、すぐにネタが尽きてしまう。HBSの教授を連れて日本の大企業を訪れても、一向に面白い話が出てこない。「日本はいい国だが、もはや経営の先端とは言えないのではないか」と思い始めていた。

そんなある時、HBSの教授十数名が来日した際にいけばなのワークショップをやらせてもらう機会があった。すると、こちらが驚くくらいに受けが良かった。

「頭が良くて、なんでも知っているような先生たちが、すごく反応してくれて。これはいけるかもと思ったことが、その後、華道家として活動を始める大きなきっかけにもなりました。かつては最先端の経営ノウハウが求められた時代もあったでしょう。でも、いま世界が日本に求めているのはそこではない。精神性や歴史、カルチャーにこそ注目が集まっていると感じます」

戦後日本のいけばなは「女性のため」「花嫁修行のため」にあるものだった。山崎が再定義したいけばなは「ビジネスのため」「リーダーが自分を、組織を、社会を豊かにしてくため」のものとしてある。両者をつなぐ役割を担ういま、山崎は人生で初めて自分の略歴が役立っていると感じているという。

「私の略歴や経験を踏まえていけばなを紹介すると、企業の人もビジネスにつながるものとして『じゃあやります』と言ってくれる。自分にしかできない橋渡しの役が、きっとあるのではないかと思っているんです」

TEXT BY ATSUO SUZUKI
INTERVIEW PHOTOS BY KAORI NISHIDA 
EDIT BY MIZUYO TANI(BNL)
※この記事は、Sansan株式会社のオウンドメディア「BNL」に2020年3月10日に掲載された筆者執筆記事をサイト閉鎖に伴い転載したものです


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