見出し画像

「ふりをするな。ただ自分であれ」マイムアーティストJIDAIさんに学ぶ、心と身体のつなぎ方

パントマイムと聞いてあなたはどんなものを思い浮かべるだろうか。見えない壁をつたう人、大げさにロープを引っ張る動き……いずれにしても、コミカルなジェスチャーのようなものをイメージする人が大半ではないだろうか。

ポーランドを発祥とするアートマイムは同じ「マイム」を冠するものでありながら、これらとは一線を画するエモーショナルな身体表現であるという。エモーショナル。つまり何らかの感情を伴ったものであるということだ。

都内を拠点に活動する日本人マイムアーティストJIDAIさんは、このポーリッシュアートマイムの使い手であり、日本で唯一の指導者でもある。

その身体の使い方をめぐる研究・実践は、マイムの枠にとどまらない。心と身体を一致させ、表現力を豊かにする独自のメソッド『エモーショナル・ボディワーク』を確立し、アスリートから音楽家まで幅広いクライアントの指導にあたっているという。

古代ローマの詩人ユウェナリスは「健全な精神は健全な肉体に宿る」と言った。また東洋には古くから「心身一如」と呼ばれる身体運用の基本原理がある。どちらも心と身体を一つのものとして捉える考え方であり、現代のヨガやピラティスにも通じるものだが、実際にこれを体感するのはなかなかに難しい。

そこで今回は、身体と感情とを有機的につなぐためのポイントや、普通の人にとってそれが何を意味するかなど、「心と身体のつなぎ方」をテーマにJIDAIさんに話を聞いた。

アートマイムは「今まさに起きている変化」をそのまま表現する

本題に入る前に、まずは「アートマイムとは何か」をある程度正確に知っておく必要があるだろう。JIDAIさんによればアートマイムとは、「自分の内面に今まさに起きている変化を、顕微鏡で見るように拡大して、身体で表現するもの」であるという。

内面(心)と身体は本来つながった一つのものである。そうした前提に立つと、内面に変化が起これば身体にも変化が生じるはずだし、逆に身体に変化があるということは内面にも変化が起きているはずである。しかし、私たちは普段そうした変化を意識することがない。

例えばカップに入った紅茶を飲む場合でも、私たちは普段それと意識することなく自然とカップを口に運んでいる。だが実際には、「まず目に映ったものが何であるかを判断し、飲もうと思い、手を伸ばし、カップに触れ、カップに負けないだけの力を注いで、ようやくカップを持つに至るのだ」とJIDAIさんは言う。

「一般的なパントマイムは身体を使って何かを『説明』するようなものです。そこでは身体は言葉の代わりでしかない。これに対してアートマイムは、こうした『今まさに起きている変化』をそのまま表現するものなのです」

内面の微細な変化に注目するというのは、まさにマインドフルネスと通じる話である。もっとも、こうした変化を言葉通り「そのまま」表現したのでは、お金を取れるアートにはならない。そのため「顕微鏡で見るように拡大」して表現するのがアートマイムということになる。

「内面に目を向ける」と言った時に陥りやすい落とし穴

こうした説明を聞くと、アートマイムと一般的なパントマイムの違いは「内面を重視しているかどうか」にあるように思える。だが、「内面重視」という表現に対してJIDAIさんは慎重な姿勢を見せる。

「私の知り合いにも演劇畑で内面を重視してお芝居をしている方が何人もいますが、そうした人が共通して陥る落とし穴があります。『気持ち、気持ち』と内面を意識しすぎたあまり、最終的に身体の動かし方が分からなくなって動けなくなってしまうのです」

内面と身体は表裏一体の関係にあるのだから、本来これはおかしいはずだとJIDAIさんは言う。一般的なパントマイムが内面を伴わないものであるのと同様、こうした自称「内面重視」の芝居もまた、本来一つのものであるはずの内面と身体を別々に扱ってしまっているということだ。

これは、内面に直接アプローチすることがいかに難しいかを物語っている。他ならぬJIDAIさんも、30歳を前にして初めてポーリッシュマイムの世界に足を踏み入れたころ、同じような「罠」に陥ったのだという。

「楽しい場面や怖い場面を演じる練習をする際、どうしても『楽しんでいる人』や『怖がっている人』というキャラクターを頭の中に先に作ってしまっていたんです。頭だけで考えて演じようとすると、どうしても嘘くさくなってしまう。マイムの師匠からはよく『(何かをしている)ふりをするな。ただ自分であれ』と言われていました」

感情表現をうたうポーリッシュアートマイムではあるが、トレーニングで課されたのは内面に目を向けることではなく、むしろさまざまな動きに合わせて丹田(ピラティスで言うところのコア)のあたりに力を入れる方法を習得することだった。JIDAIさんはマイムの修行の一環として日本舞踊も学んできたが、その師匠がよく口にしていたのも「芝居でごまかすな。腹で踊れ」という言葉だったという。

内面を意識しようとすると、どうしても頭で描いたイメージに頼ってしまいがちだ。だが、その方法では、たどり着きたい内面にはなかなかたどり着くことができない。だからこそJIDAIさんは、安易に「内面重視」と言うことに警鐘を鳴らすのだ。

悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しいのだ

心に直接アプローチするのは難しい。ではどうすれば良いのか。エモーショナル・ボディワークでは直接感情を使う代わりに、身体と呼吸の使い方、空間に対する意識の持ち方を組み合わせることで、間接的に感情にスイッチを入れるのだという。

より具体的には、JIDAIさんが自身のサイトで「喜びを表現する場合にも頭でイメージして喜ぶのではなく、圧縮されたエネルギーが下から上へと解放されていくようにし、目は大きく、あるいは奥から押し出されるようにし、目の奥をキラキラッ!とさせてみる。おおむねこのように身体を変化させると、なんだか喜んでいるような気がしてくる。それが感情のスイッチ」と説明している。

つまり、「心→身体」の順ではなく、「身体→心」のアプローチをとっているということだ。この点は、呼吸や筋肉、骨の微細な感覚に目を向けることで、結果としてマインドフルな状態を目指すピラティスのそれと似ている。

心理学者のウィリアム・ジェームズとカール・ランゲは、「悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しいのだ」という心理学史上に残る名言を残した。このジェームズ=ランゲ説は「生理学的な反応の方が情動体験よりも先に起こる」ことを端的に言い表したものだ。

こうした観点から見ても、「身体や呼吸がまずあって、それが心を通って自分の感情として認識している」という考えに基づくJIDAIさんのメソッドは、人間のあり方に則したものであることが分かるだろう。

その微細な感覚は全力で動いている時にも感じられるか?

JIDAIさんのエモーショナル・ボディワークとヨガやピラティスとの間には共通点が多い。だが一方で、JIDAIさんは一般的なボディワークの抱える問題点にも言及する。

「一般的にヨガやピラティスのようなボディワークの世界は、身体の細部に意識を向ける、いわば『ミニマム』なトレーニングに特化しすぎているように映ります。他方、スポーツの世界では、身体の限界に挑戦する『マックス』なトレーニングに終始している。私の考えではその両方が揃ってこそ、本来の力を発揮できる。現状はどちらも不十分と言えるのではないでしょうか」

確かに、スタジオで集中している時にいくら微細な感覚が得られたとしても、せわしなく動いている日常生活、あるいはそれ以上に激しい運動をした時にはそれがさっぱり消し飛んでしまうというのでは、十分に意味があるとは言えないだろう。本来は「限界まで身体を動かしている時にも微細な感覚があり、逆に静かな状態でも大きく身体を動かしているのと同じ感覚がある」というのが理想のはずだ。

そのためJIDAIさんのワークでは、身体の細部に意識を向けることもすれば、逆に思い切り走ったり飛んだりといったトレーニングもする。感情表現についても同じで、思い切り泣くこともあれば、表には出さずに内側で感情を動かすトレーニングもするという。

「そしてもう一つ重要なのは、自分の意識を完全に自分の身体の中に閉じてしまうのは良くないということです。内側に目を向ける一方で、外に向けても開かれていないと、それは独りよがりの妄想になってしまう」

自分の内側に意識を集中するには、当然目を閉じて外からの情報をシャットアウトした方がやりやすい。だが、実際には外と内の両方に同時に意識を向けられるのでなければ、日常生活は成り立たない。だからJIDAIさんの教室では、どんなワークをするのにも必ず目を開けて、見えているものを認識させながら行うことを徹底しているという。

目的は唯一の正解を知ることではない。自分の状態を正確に知ることだ

JIDAIさんの教室にはアーティストやアスリートだけでなく、一般の人も身体の使い方を学びに来るという。最後に、こうしたトレーニングを一般の人が行うことの意義を聞いてみた。

「一般の人向けに身体の扱い方を教えるクラスの目的は、自分の身体を正しく認識し、自分で調整する能力を身につけてもらうことです。マッサージだなんだと外から身体に働きかける方法論はたくさんありますが、そうしたものはすべて応急処置でしかない。そうではなく、自分で自分の身体をいかに快適に保てるかがとても重要だと考えています」

多くの人は自分の快適さを勘違いしている、とJIDAIさんは言う。ジャンクフードを食べて美味しいと感じる人は、それこそが自分の幸せだと思っているかもしれないが、その裏側では確実に健康が蝕まれている。つまり、自分の身体の状態を正しく認識できていないということだ。

「だからまずは、正しく認識できるようになることが何より大切です。その上でジャンクフードをたまに味わうというのであれば、それはそれでいいでしょう」

そして当然だが、こうしたことは知識として知っているだけでは意味がない。「身体が体感として分かっていることが重要なのだ」とJIDAIさんは続ける。

「『正しい歩き方とはこうである』という知識に意味があるのではありません。疲れてきたら歩き方が変わるのは当然です。でも変わりすぎるとさらに疲れるかもしれない。大切なのは、いかに自分の身体と向き合えるかなのです」

※インタビューは2016年9月に実施。筆者執筆記事を元サイトの閉鎖に伴い転載しました


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?