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楽天大学学長・仲山進也に学ぶ、組織の境界にとらわれない「際者(キワモノ)」としての働き方

仲山進也
楽天株式会社楽天大学学長/仲山考材株式会社代表取締役 
1973年北海道生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒業後、シャープを経て、99年に社員約20名の楽天へ。初代ECコンサルタントであり、楽天市場の最古参スタッフ。2000年に楽天市場出店者が互いに学び合える場として、「楽天大学」を設立。Eコマースのみならず、チームづくりや理念づくりまで幅広く支援している。04年にヴィッセル神戸の経営に参画。07年に楽天で唯一のフェロー風正社員となり、08年には自らの会社である仲山考材を設立。16年より横浜F・マリノスでプロ契約スタッフ。

「名刺とはアイデアであり、名刺交換はアイデアの交換である」と、昨年取材した医学博士の石川善樹は言った。

名刺交換が発生するのは異なる組織と組織の間にある「際」であるから、新たなアイデアが欲しいと思ったら、組織の外へと赴き、際に立つ必要があるだろう。

楽天の正社員でありながら自身の会社も経営し、Jリーグの横浜F・マリノスともプロ契約している仲山進也は、際に立ち続けてきた人物である。出社の義務もなければ兼業の制限もない、自由な働き方を体現する仲山は、組織の中心を目指す人が多い中にあって、「ぼくは際者(キワモノ)でありたい」と言ってはばからない。ただし、事業のイノベーションに貢献するには、際に立つだけでは事足りない。

楽天大学の学長として、数多くの出店者とコミュニケーションをとり続けてきた彼から、ぼくらはビジネスネットワークについて何を学べるのだろうか。組織の境界線を曖昧にしてかき混ぜる。仲山独自の成長理論「加減乗除」で強みを浮き彫りにする。そして、組織から「浮く」ことを恐れないことが大事だという。

「プロ契約」をしている横浜F・マリノスのオフィスで取材を行った。

情報の波打ち際に立て

──際者を自称する仲山さんですが、どのようにしていまの「自由すぎる」ポジションを獲得したのでしょうか?

社会人になって最初に入った会社で配属されたのは、ある事業本部の本部長室だったので、際とは縁遠く、むしろ巨大な組織の中心に近いポジションだったんです。社外の人と接することはまったくなく、仕事はすべて、社内の人とのやりとりでした。

組織が大きすぎると、自分の見えている範囲で良かれと思ってやったことでも、知らないところで誰かの迷惑になったりする。全体像がわからないままモヤモヤしているよりは、小さくてもいいから全体を把握できた上で仕事ができる方がいいと思っていたところ、縁があって3年目に楽天に転職しました。

──当時の楽天はまだ20人くらいしかいなかったんですよね。

そうです。自分は日々、まさに際に立って出店者さんたちとコミュニケーションをとる仕事をしていたんですけど、一方で中心にいる三木谷とも、あいだにひとり挟むか挟まないかくらいの距離感で仕事ができました。

やがて組織が大きくなると、ミーティングや社内調整のような仕事の重要性が増していきましたが、そういったことにはあまり興味を持てず、相変わらず際に立ってお客さんとのやりとりを続けていました。そうしたら、いつのまにか窓際というか、さらにはみ出て「出島」のようなポジションに立っていた、という感じです。社内との接点より、お客さんとの接点がほとんど、という状況で。

仲山はノートに円を描いてキャリアを説明する。いちばん左の大きな円が、新卒で入社したシャープ。楽天に移ってからは、会社の規模が大きくなっても、ずっと企業の際である円の縁に居続けてきた。

さらに、2004年に三木谷がJリーグのヴィッセル神戸のオーナーになった時に、自分から手を挙げてお手伝いをすることになったのですが、1週間おきに東京と神戸を行ったり来たりする生活を続けていたら、「自分が会社にいなくても誰も困らない状態」が確立してしまいました。2007年から会社に行かなくてもいい立場になれたのも、そういう経緯があったことは大きいと思います。

会社の輪郭との関係性はこうやって少しずつ変わっていきました。けれども、どんな時にも自分の周りには必ず、出店者さんたちがいたことはずっと変わりません。

やがて、円の縁から離れていくきっかけになったのが、ヴィッセル神戸での仕事だったという。

──かなり自覚的に際に立つことを選んできたわけですか?

選んでいると言えるのかは分からないですけど、振り返ってみれば、最初に入ったシャープには「情報の波打ち際に行け」というフレーズがあって、ひとつの行動規範のようになっていました。変化が起こったり何か新しいものが生まれるのは波打ち際だから、組織の中心にいたのでは何も分からない、という考え方に触れて、なるほどと思ったのがあって。

楽天に入ってしばらくして、創業副社長の本城慎之介に勧められて読んだトム・ピーターズの『ブランド人になれ!』という本に、「お客さんと生きろ」と書いてあって、「お客さんと生きよう」と意識しました。

組織が大きくなるにつれて、ぼく自身も一時は現場の仕事とマネジャー業を兼務しなければならないポジションになったのですが、そこでドロップアウトして、際に居続けることを選択したことはあります。

──真ん中に近づいていく機会はあったけれど、あえて際にいることを選んだ、と。

このままマネジャー業に時間を取られると、立ち上げた楽天大学の講座づくりができなくなって発展しなくなると感じた時に、マネジャー業に白旗を上げて。このことが「出島」的になる大きなきっかけになりました。

境界線を消しゴムで消すようにして、曖昧に

──楽天大学の学長として多くの出店者さんとやりとりをしてきた仲山さんから見て、際で価値ある情報交換が行われるのには、どのような条件が必要だと思いますか?

創業から2〜3年経って、成功・失敗事例が溜まってきたタイミングで、三木谷が「楽天版のMBAをつくりたい」と言い出して。それで立ち上げたのが楽天大学です。基本的には、オンラインではなくリアルな教室に集まって、みんなでアイデアや実践談を共有するような講座をメインにしていました。中には合宿形式のものもあるのですが、ぼくは18年でおそらくトータル1年間近くは出店者さんと寝食をともにして過ごしている気がします。コミュニケーション量は相当多いです。

そうすると、出店者さんって本来、楽天からすれば顧客にあたる存在なんですけど、次第にそうした関係性に質的変化が起こるんですよね。単なるサービス提供者と顧客の関係を超えて、「人と人」の関係性になる。これが大事な条件だと思います。

最近では、出店者さんが「プロジェクトのパートナー」になることも増えました。また、自治体さんも交えたチームとして活動することもあります。例えば、岐阜県庁さんと一緒にやっていたプロジェクトがあります。地元の出店者さんとぼくとで一緒に高校へ行って、1年間かけて、お店の商品を企画し、それを売るためのページの作り方から、実際に売る方法までを学んでもらう授業です。

たぶん、ぼくらが集まって喋っているところを第三者が見たら、「サービス提供者とその顧客と公務員」が混ざっているようには見えないだろうなっていう、そういうノリなんです。組織と組織がコラボする時には、際を曖昧にしてかき混ぜるようにしてやるとうまくいくというのが、ぼくの実感です。

──際を曖昧にしてかき混ぜるというのは、例えばどんなことですか?

まずは「誰とやるか」が大事です。特に「際者」同士だと、うまくいきやすい。

岐阜のプロジェクトはもともと、岐阜県と楽天が包括提携を結んで、県内のEコマース事業者向けの勉強会に、ぼくが講演で伺って、県庁の担当者さんと意気投合したところから始まっているんです。その方も「際者」で。

本音で話せる関係になれたので、「このままだとこの勉強会は続かなくなると思う」と言って提案をしました。その講演には100人くらいが集まったんですけど、終わったらみんなそのまま帰ってしまった。そのあと懇親会に行って、みんなでワイワイしながら話をすることで熱量が高まるというのが楽天での経験としてあったので、少なくとも懇親会まであるとわかるように告知をするとか。

あとは、20人くらいの固定メンバーで3か月ほどの継続性のあるプログラムをやることで、コミュニティのコアになるような人を増やすことが大事だと。継続的にやることでチームづくりがしやすいので、参加者のあいだには同期として仲間意識が芽生え、プログラムが終わってからも、自主的に集まったり、情報交換をしたりするようになります。さらに、そういう人たちは熱量が高いので、大人数の勉強会の場でその熱を広めていってくれるのです。

こちらが何かしなくても、みんなが自主的に考えて動けるようになることを、楽天では「自走」と呼んで、重視しています。そういうことをいままでやってきているので、岐阜でもできたら......と話したら、「ぜひやりましょう」と。

──「自走」ですか。

ネットショップって、一人でやっていると、頑張っているつもりなのに売上が上がらなかったり言葉のキツめな苦情を受けたりして、結構辛いんです。横のつながりができると、悩みを共有できたり、自分では頑張っているつもりでいたけど全然やれていなかったとわかったりして、頑張りやすくなるんです。しかも講座としてやると、みんなが共通のフレームワーク、共通の言語をもつことになるし、だいたい異業種の人ばかりなので同業者を意識することなく実践談を披露できるから、すごく盛り上がるんです。

ぼくがやっているのは、このようにして、ハッキリした枠があるものを消しゴムで消して曖昧にして、重ならないかな? 混ざらないかな? とやってみるようなことです。だから、参加した人から「大人になってこんなに何でも話せる友だちができるとは思わなかった」とか「2店舗でコラボ企画をやることにした」とか言ってもらえると、「ああ、自分の仕事はうまくいっているな」という感じがします。

「加減乗除」で強みを浮き彫りに

組織と組織がコラボする上でもうひとつ大事な視点は、それぞれの強みを生かしてチームをつくるということです。

先ほどの岐阜県の例で言えば、あるとき担当職員さんがこう言いました。「行政の強みは、県内の中小企業に一斉に告知できる告知力や、その際の信用力、1回やると決めたら3年は続けられる継続力、あとは会場のハコがあることですね。講座の企画をつくって運営するというのは、仲山さんの強み」と。

なのに、行政がそういう講座をやろうとすると、企画を決めて、それをできる講師を呼んで運営して、というところまですべて自分たちでやろうとしてしまいがちです。それでは各自が強みを生かしていることにはなりません。

岐阜県のプロジェクトがうまくいっているのは、県庁と楽天と出店者さんとがそれぞれの強みを持ち寄って、掛け合わせることができているから。そうやって強みをうまく組み合わせるようにしてチームができると、やっている全員が楽しい。

しかも強みというのは、自分にとっては頑張らないでもできることで役に立てている状態なので、無理がなく、長続きもしやすいんです。

──となると、際に立つ以前に、各自が自分の強みを確立していること、何が自分の強みなのかを認識できていることが重要になりますね。

その通りですね。ぼくは仕事には「加減乗除」の4つのステージがあると思っていて。

──「加減乗除」とは?

最初は「加」のステージだから、とにかくできることを増やす。選り好みをせず、キャパオーバーになるまでやる。もちろん効率化のために工夫するのはいいけれど、それで空いたスペースにはどんどん新しいことを詰め込む。そうやってできることを増やしていくと、キャパオーバーになった頃に、ようやく自分にとって何が得意で、何が苦手なのかというのが分かる状態になります。

そうなったら「減」のステージです。苦手なことは人にお任せしながら、自分の強みに寄せていく。「加」が十分でない最初の段階で選り好みしていると、その段階での強みなんて大した強みではない可能性が高い。色々やってみて、石膏のベースを十分に大きくしてから、強みという名の彫刻を削り出していくイメージです。

そうやって強みを磨いていくと、今度は「あなたの強みがうちのプロジェクトに必要だから」といって声がかかるようになります。そうして、さまざまな人が強みを持ち寄り、強みと強みが掛け合わさって、新たな価値をつくる。これが「乗」のステージということになります。

──先ほどの岐阜県の話は、掛け算のステージというわけですね。最後の「除」のステージというのは?

そうやって10個、20個といくつものプロジェクトに首を突っ込むようになると、全部が中途半端に終わってしまうということになりがちです。そうならないために必要なのが、自分の強みが生きるプロジェクト以外はやらないという「除」の考え方なんです。例えば、ぼくはいま、横浜F・マリノスで、育成コーチやスクールコーチ向けにチームビルディング講座をやっていますけど、これは相手が違うだけであって、やっていることは楽天でやってきたのと同じことです。

それを割り算と呼ぶのは、仮にぼくの強みが「3」だとしたら、関わるプロジェクトは3の倍数だけにするということです。マリノスでやっているのは「9」というプロジェクト。楽天でやっているのは「15」のプロジェクトというように。自分の強みという共通の因数を見つけて、それ以外には首を突っ込まない。そうすると、すべての仕事はどこかで繋がっていて、同時に進む状態になるんです。こういう働き方をしているとよく、「楽天の仕事が何割で、他の仕事が何割なんですか?」という質問をされることがありますが、ぼくの中ではすべてが同時進行だから、そういう割合のような概念はないんです。

もちろん、スポーツの世界だからこその発見とか、ここがビジネスの世界とはちょっと違ったというようなことはありますけど、それをビジネスの世界に持ち帰ると喜んでもらえます。「除」の考え方で仕事に取り組むと、そうした相乗効果も多分ありますよね。

──いまのお話はとても重要だと感じました。というのも、最近は副業が大事だという話をよく耳にするのですが、リスク分散のためにまったく別の仕事を複数やるというのには違和感があって。そうではなくて、いまの仲山さんのお話のように、自分の強みをさまざまな形で生かすというところに、副業の本来の意義があるのでは、と。つまり、そうした話には「除」の考え方が抜け落ちている気がするのです。

そうかもしれないですね。これは企業のCSRみたいなのにも似ていると思うんですけど。本来、いまやっている本業が本当に世の中に役立つことなのであれば、わざわざ自社の強みと関係ない社会貢献活動をする必要などないはずですし、副業にしても「本業は単にお金を稼ぐためで、副業のNPOでやりがいのあることをする」みたいな必要はないわけですよね。

先ほど、組織と組織がコラボするためには、際を曖昧にして混ざり合うのがいいと言ったけれども、これは個人についても言えると思うんです。本業と副業だって、本来は際が曖昧になって、互いに重なり合い、混ざり合っている方が意味があるはずです。

組織から「浮く」ことを恐れない

楽天もそうだったんですけど、最初は誰のお客さんかなんて関係ない、電話に出られる奴が出ろという風に、全員ですべての仕事をするような感じで。でも組織の成長が進んで、それ以上に業務量が増えすぎると、役割を分けて、ひとつのことに専念した方が効率がいい。そうやって組織は分業化を経験していきますよね。

高度経済成長のときも、業務量が増えて、それをこなすために分業化が進んで境界線がはっきりしていったと思います。それで上手くいって大きくなっていった時期もあったけれど、前提となる事業環境が変わることで、境界線がくっきりしているがゆえに、各自が自分の担当範囲だけではどうにもできないといった状況が生じてくる。それが、調子のよくない大企業の一因ではないかとぼくは思っています。

ぼくが企業向けのチームビルディング講座でやっているのは、まさにそのようにして境界線がボールペンでくっきり書かれた中でも、プロジェクトチームのようにしてどうにかごちゃごちゃしたチームがつくれないか、というようなことなんです。そのためには役割のない、フラットなところから始まって、ああだこうだ意見を交わしながら、強みに応じて徐々に役割が決まるようにチームをつくっていくのがいいだろう、と。そこでやっていることは、異なる組織間のコラボレーションの場合と何も変わりません。

ただ、やはり大きな会社の中で、くっきりと分かれた部署の垣根を曖昧にするというのは簡単ではないと思います。何か新しいことをやろうと思っても、10個くらいの部署に話を通さないと「聞いてないよ」ってことになりがちです。

──そのうちのいくつかは反対するかもしれないですし。まさに、仲山さん自身がキャリアのスタートで感じていた壁ですね。

なのでいまは、新しいことをやるときに最初は組織の外側で立ち上げてみて、軌道に乗って、中の人から「それ、中でやろうよ」みたいに興味を持ってもらえるようになった段階で組み込むというやり方の方が、うまくいきやすいです。

──そう考えると、もちろん組織の中にいて、いまある仕組みを回す人も必要だけれども、イノベーションが足りないと言われる現在を見れば、仲山さんのように自由に振る舞える際者が、もっといてもいいのかもしれないですね。

結構いろんな組織に「際者」感のある人はいて、そういう人は大抵、社内では「変人」と呼ばれて浮いてるんですよね。ぼくがキワモノという言葉を使うのには、そういう「変人」という意味も込められている。あと最近思うのは、まさに「浮く」ことこそが大事なんじゃないかってことです。

楽天市場がここまで大きくなれたのは、多くの店長の方々が知恵を絞ってくれたお陰だという。店長同士が学び合える大学をつくった仲山は、「水面に浮いていた」からこそ実現できたともいえるだろう。

──どういうことでしょうか?

みんな時流には乗りたいと思っているじゃないですか。でも、時流というものが川の流れのようなものだとするならば、水面に浮いていなければ、流れに乗ることなんてできないですよね。なのに多くの人は、口では時流に乗りたいと言いながら、柵(しがらみ)とか杭にしがみついて、流れないように必死になっているように見える。浮いてれば流れに乗っていけるんです。

しかも、仮に価値観の合う人、面白い人が各組織にいたとしても、いままでのように水中に沈んでいると、出会いにくかった。でも、組織から浮いてもOKということになれば、お互い水面から顔がポコッと出て「こんにちは」と出会いやすいはずです。つまり、自分が際者として振る舞えば、自然と別の際者とつながっていけるということです。SNSのおかげで、特に出会いやすくなっています。

だからぼくの周りには、そういう人が結構たくさんいて。そこからまた、新たなプロジェクトが始まったりもする。そういう境界線にとらわれないプレースタイルの仲間がもっと増えたらいいと思いますし、ボールペンで書かれた枠内で過ごさなくても生きていけるということに、もっと多くの人に気づいてもらえたらいいなと思っています。

文/鈴木陸夫
撮影/小野田陽一
※この記事は、Sansan株式会社のオウンドメディア「BNL」に2017年6月27日に掲載された筆者執筆記事をサイト閉鎖に伴い転載したものです

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