見出し画像

創業440年 京都の料亭「山ばな平八茶屋」がずっと変わらないと言われるのは、常に変わり続けてきたから

園部晋吾
山ばな 平八茶屋 21代目
1970年京都生まれ。大学卒業後、大阪北浜にある"料亭 花外楼"での修行を経て家業を継ぎ、現在は経営者、料理人としてだけでなく、特定非営利活動法人日本料理アカデミー地域食育委員長、京都料理芽生会会長も務める。食育カリキュラム推進委員としても食育活動に従事。2007年 京都府青年優秀技能者奨励賞(明日の名工)を受賞。

文化的であることは一般的に良いこととされるが、その価値は見えにくい。ビジネスパーソンが伝統文化に触れることにはどんな意味があるのか。教養を身につけることで商談がうまくいく? インバウンド需要を見込んだ事業のアイデアにつながる? 確かにそういう話もあるかもしれないが、文化に触れることにはもっと本質的な価値があるはずだ。

園部晋吾は400年以上続く京都の老舗料亭・山ばな平八茶屋の21代目当主。伝統ある京料理に科学を取り入れるなどした改革者として知られる。今年1月には老舗料亭の若主人の集まりである「京都料理芽生会」の会長に就任し、「文化に触れる・文化をつなぐ」を所信として表明した。文化に触れることの価値を問うにはうってつけの人物と言える。

「文化とは、現状に満足せずにもっともっと、と工夫を積み重ねてきた人間の考えと営みの軌跡である」と定義し、それに触れることは次の新しいものを創出する力になると説く園部。伝統の京文化には意外なほど革新のヒントが詰まっている。

文化とは、人類が「もっと、もっと」を積み重ねてきた軌跡

文化に触れることにはどのような価値があるのか。この問いについて考えるのに、園部は自身の本分である「食べる」という行為を例にとる。食べることには二つの目的があると園部は言う。

「一つは、生きるために食べる、です。これは非常にわかりやすい。もし生きるためだけに食べるのであれば、なにも料理をする必要も、盛りつけをする必要もない。捕ってきた魚はそのまま頭から丸かじりすればいいんです。でも、われわれってそんなことをしないですよね。なぜかといえば、それはわれわれに文化というものがあるからです」

食べるという行為には生きるためともう一つ、文化に触れるという目的があると園部は言う。では、そもそも文化とは何か。園部は続ける。

「文化とは何か。もちろんいろいろな意見があるでしょうし、難しいことは私にはわかりません。それでも自分なりに考えるなら、文化というのは、人間がもっともっといまよりも良くならないのかなと考えていった、その軌跡のことではないかと思うんです。つまり、どんっと置いてあった大きな魚、このままだと食べにくいな、もっと食べやすくできないかなと思ったところから『切る』ということが生まれ、もっと柔らかく、食べやすくできないのかなというところから『煮る』や『焼く』が生まれる。そこからもっとおいしくできないのかなと考えて『調理して味つけをする』、もっとおいしそうに飾りつけられないのかなということで『盛りつけをする』。さらに派生して器にこだわるといったことが周辺に生まれる。このようにしてどんどんと積み重なっていったものが、食文化なのではないかということです」

京都の言葉を使う園部の口調はおだやかで、品がある。話すときも聞くときも背筋がのび、精悍さが印象的だった。

文化はわかりにくい、とっつきにくいとよく言われるが、それは最後に残った結果のみを見ているからにほかならない。文化の本質は結果ではなく、そこに至るまでの過程の方にこそある。「人間が何もないところから積み重ねてきた考えや営みこそが文化」と園部は言う。

「文化に触れることが大事だというのも、そこにあると思っているんです。現状に満足するのではなく、次の『もっと、もっと』を求めていくことによって、また新たな世界が創出されてくる。連綿と受け継がれてきた文化に触れることで、そういう未来につながっていく、ということはあると思いますね」

何を変え、何を守るのか

このような話を聞けば、園部が改革者であることにも合点がいく。園部の考えに照らせば、変わらないことより変わることの方が本質的に"文化的"だ。

だが、伝統にはそれを変えてしまっては別のものになってしまうという、普遍的に守らねばならない部分もあるはず。ここでは、何を変え、そしてなぜ変えるのかという問いが重要になる。この問いに対しても園部は明確な答えを持っていた。

「父親から引き継いだものの中で、私自身が納得できないものに関して変えているんです。なぜかというと、私が今後この店をやっていく中で、自分がやっていることに関してちゃんと説明ができて、説得力がないと、誰も納得してくれないからです。『昔からこうやっているので』では通用しない。そうじゃなくて、『こういう理由だからこれをしているんだ』ということをきちっと言えるようにならないといけない。だから、父親がやってきたことについて一つひとつ私が質問をして、納得いかない答えが返ってきた時には、それを変えていったんです。逆に、自分が納得して腑に落ちているものは変えていないんですよ」

園部は、それまで職人の肌感覚に頼っていた出汁の取り方に、「1リットルの水に対して鰹節は何グラム、昆布は何グラム」といった誰にでも理解できる客観的な基準を取り入れた。このように"科学"を持ち込んだのにも、もちろんそうしなければならなかった理由がある。

当時、他の老舗料理店の仲間に聞くと、どこの店にも客観的な基準があった。「職人さんが肌感覚でやっていたのはうちだけでした」と園部は言う。

「それまでは職人さんが自分の技でやってはったんですけど、時代的に、それでは次の世代への継承が難しくなってきたんです。なぜかというと、われわれくらいの世代から、姿勢がどんどん受け身に変わっていっている。自分なりになんとか技を盗もうという考え方から、それを修行という形ではなく、仕事として捉えていくようになってしまっている」

職人の肌感覚の伝承は、弟子の側に一つでも多くのことを盗み、学ぼうとする姿勢があったからこそ成り立っていたものだった。受け身の姿勢の人が増えれば、そのままのやり方では技術は受け継がれないことになる。このような現実を直視すれば、変わることは必然の選択だった。

ただし、大切な技術のすべてを数字で共有できるという考え方に園部は否定的だ。「料理にはやはり感性的なところがある。ベースにはアナログのコミュニケーションが不可欠」と園部は続ける。

「私はよくデジタルとアナログという言い方をするのですが、アナログっていうのは、言ってみれば口伝ですよね。一方、デジタルというのは、例えばスチームコンベクションがあったら、『何℃で何分やっといて』とさえ言ったら、入りたての子でも茶碗蒸しがきれいに蒸しあがるわけです。でも、きれいに蒸しあがるんですけども、そのきれいに蒸しあがった茶碗蒸しと、実際に職人さんが火加減をして作った茶碗蒸しとでは、やっぱり出来上がりが違うんです」

デジタルには0か1かしかないが、現実はその間に0.2も0.5も0.7もある。0と1で表現できることは限られているのだ、と園部は言う。だから、新しく便利なものが出てくればそれを取り入れ、デジタルで補って効率化してということはありつつも、「ベースとしてはアナログがないとダメなのでは」と考える。

「デジタルは非常に効率的。誰でもわかります。でも、1回言えば誰にでも伝わる、そのことによって、コミュニケーションがどんどん失われているということなんです。一方で火加減なんていうのは、何度やってみても違う、もうちょっと強く、もうちょっと弱く、これだけ蒸気が出てきたら......っていう、目視で、感覚でやっていくわけなんですね。言ってみたらそこに何度もコミュニケーションがある。それこそが大事なんじゃないかと思うんですよ」

変わらないためには変わらなければならない

デジタルを否定してはいない。園部は、時代に合わせ、取り入れるものと、いままでと同じやり方でやるべきものを見極めている。

「普遍的に変えてはならないもの」についての園部の話は続く。

「使うコメを変え、出汁の取り方を変え、庭師を入れて庭もすべて変えた。本当に変えていっているんですね。でも面白いのが、20年前に来られたお客さまが『ああ、ここは変わらんなあ』と言ってくださる。20年前のお客さまというのは、私の父親の時代のお客さまですよ。これだけ変えていってもなおそう言ってもらえる何かが、ここにはまだあるということですよね」

それが何かは自分でもわからない、と園部は言う。だが、そうやって手法や食材を変えていっても変わらない普遍的な何かは、やはり存在する。幼いころから調理場に出入りし、「将来はお前がこの店を継ぐんだ」と言われて育った。だからこそ、これだけは変えてはならないという感覚が自分には備わっているのではないか。そこだけは守れているからこそ「変わらない」と言ってもらえるのではないか。それはまさに、園部のいう「アナログ的な何か」なのかもしれなかった。

園部はさらにこうも言った。「変わらないと感じてもらうためには、変わらなければならない。変わるからこそ、変わらないと思ってもらえているのではないかと思うんです」。どういうことだろうか。

「世の中も人も全部、どんどん変わっていっているんです。それは人の思考であったり、時間的感覚であったり、興味を持つものであったりもそう。そんな中、もしわれわれだけがずっと変わらないものを提供し続けていたとすると、そこにはものすごく大きな乖離が出てきます。400年前の料理をもしここで再現したとしても、誰一人おいしいなんて言わないです。だから、変わっていくからこそ変わらないんですね」

山ばな平八茶屋の入り口。堂々とした歴史ある門は、来る人を和の世界へと誘うようだ。 (山ばな平八茶屋HPより抜粋)

ただし、その変わっていく速度が世の中の変化の速度を追い越してしまうと、「あの店、変わったな」ということになってしまう。だから、世の中と歩調を合わせていくことが何より重要になる。ということは必然的に、世の中を敏感に感じ取っていなければならない。どうすれば世の中を知ることができるだろうか。

「世の中を知るには、いろんなことをやってみるべきですね。試してみるべきですし、例えば新しいもの、技術、何でもかんでも携わってみるんです。京都ってそういう意味では、古さと新しさが共存した町だと私は思っています。古いものを残しつつ、新しい物好きなんですよ、みんな。いろんな新しいことに手をつけていくんですね。そうやって手をつけたものの中から、20年後、50年後、残るべきものが残っていく。一方で捨てられるべきものは捨てられてしまうんですね。そういうものの積み重ねっていうのが時代の流れであり、歴史でありということなのかなと思うんですよ」

だからまずはやってみることが大事。やる前から良し悪しを判断する必要はない。出汁を変えたり、コメを変えたりすることで「ここは変わったな」と言われたら、その時は元に戻せばいいだけの話だ。そうやっていろいろな人の評価を得て進んでいくことが大事ではないか、と園部は言う。

「例えばイベントの共催もそうです。料理屋がでしゃばりすぎちゃうかとか、賛否両論は必ずあります。でも、そんなことをいちいち気にしていたら何もできない。だからとりあえずやってみる。やってみてダメやったら変えればいい。そういう発想なんですね、私は。コラボをする相手にしたってそう。『どうですか、お願いできませんか』とまずは声をかけます。『いや、うちはやらないよ』と言われたら、『そうですか』と言って、すぐに次のところに行くっていうだけの話なんですよ」

伝統文化に脈々と流れる「つなぐ意志」

園部はふとしたときの所作も丁寧だ。繊細な和食の味を守り続けているその手にも、男性なりの美しさが感じられた。

平八茶屋がこれだけ長く続けてこられているのはなぜか、何か秘訣があるのかとよく聞かれるという。けれども何か家訓があるわけでもない。そんな時は決まって「たまたまです」と答えることにしている。だが、その「たまたま」には二つの大きな要素が含まれている、と園部は続ける。

「一つは、その時その時の当主に、絶対に次へつなぐ、受け取ったバトンを次へ渡すという強い意志があったということなんです。私以前には20人の当主がおりましたけども、誰一人として途中で『やーめた』と言わなかった。当たり前ですが、それがまず一つ大きいです。そしてもう一つは、それをつないでいくための環境があったということ。自分一人がつないでいくと言っても、お客さまが来てくださらなかったらつなげないわけですし、他にも従業員がいて、業者の方がいて、そういった方々がいて初めて、つないでいくための"インフラ"が整備されるわけなんです」

その二つにたまたま恵まれていた、だからこそ平八茶屋は今日までつないでくることができた。そのように考えるから、園部は自分もまた、駅伝ランナーだと思っている。受け取ったバトンを次へつなぐことを最大の使命と思っている。「文化に触れる・文化をつなぐ」という所信表明には、その姿勢がはっきりと表れている。

「自分の区間をむちゃくちゃに走ってしまって、途中で倒れてしまったらダメなんですね。次に渡すことが最大のテーマ。それがどうしてもしんどかったら歩けばいいですし、止まって休憩してもいいですし。だから自分の時代に、例えば投資をする、なんてことがあったとします。その時には必ず、この投資が子や孫にとってプラスなのかマイナスなのかということを考えます。プラスなんやったらつぎ込むべきや、と。でもそうじゃなかったら、これはただの自己満足にすぎないから、やるべきじゃないな、と。そういうふうに思ってます」

取材の後、取材スタッフに丁寧に挨拶をし、凛とした姿で去っていく園部から、文化の担い手としての強い信念と、老舗料理店の歴史の重みが感じられた。

彼らは生まれながらに長い歴史を背負っている。おそらくはそのことが、自身のリレーランナーとしての役割を自覚させるのだろう。思考や想像力、志の射程距離。一般的なビジネスパーソンと彼ら伝統文化の担い手との一番大きな違いは、やはりここにあるのかもしれない。

「われわれにはたった一人になってもこのバトンを次に渡すという強い意志がある。だから自分の代で財をなすとか、逆に無難にやり過ごすという発想にはならない。そのことは確かに、一般的なビジネスパーソンと少し違うかもしれません。でも、文化に触れることで、そこに脈々と流れる意志を体感することは誰でもできます。わからなくてもいいんです。そこに触れることで感じるものがあるということが大事。文化に触れることには、そこにこそ価値があるのではないかと私は思っています」


歴史や意味を伝え、文化にもっと触れたくなるきっかけをつくる

KYOTO365特別版「春の京文化の世界へ」は、京都料理芽生会に所属する老舗料理店の料理人たちが、旬の食材を使って1日限定の特別な懐石を提供。食事の前後には芸妓・舞妓による舞の披露や茶道家による呈茶、着物の着付け講座も催され、普段伝統文化に触れる機会の少ない外国人や若い世代が、京文化の基本を体感した。

食文化に関して民間企業と文化庁が組んでイベントを行うのは、一昨年の法改正により文化芸術に食文化が加えられて以降、初めてのことだ。

本事業の主催者である文化庁長官 宮田亮平は、「和食は高級なものもあるけれど、例えば仕事を頑張ったり、ライフスタイルの中で良いことがあったりと、自分が生きていく上でのいろいろな確信を立証してくれる価値のあるもの。和食を食べに行くことは、より素晴らしい新たな自分をつくる、大事なひとつの場面になる」などと挨拶をした。

文化庁長官 宮田亮平は、「日本の若い世代の人や、海外からの留学生の皆さんが京料理や日本文化に興味を持ってくれていることがうれしい。こうして生まれた興味や関心を積極的に発信していただきたいです。私たちは2020年を契機として、文化の魅力を国内外に広く発信すべく、政府一丸となり進めている「日本博」を中心に日本を盛り上げていきますので、今後の展開に期待してください」と言った。(写真提供:ぐるなび)
イベント前には、文化庁長官 宮田亮平、京都料理芽生会会長 山ばな平八茶屋 園部晋吾、京都料理芽生会直前会長 京料理萬重 田村圭吾、ぐるなび社長 久保 征一郎による座談会が開催された。(写真提供:ぐるなび)

参加者に振る舞われたこの日限定の懐石料理も、ただ食べるだけでなく、その料理の由来や時代における変化などの解説を聞く。京都料理を深く知ることで、さらなる興味が生まれる。この繰り返しが、京都料理芽生会が目指す文化継承につながるという。

老舗料理店から合計10人の料理人が力を合わせ、献立を担当した。
ご飯は鯖姿寿司の老舗「いづう」が担当した鯖姿寿司とちらし寿司。「いづう」の創業者いづみや卯兵衛の「卯」の字にちなんで、鯖姿寿司は横から見るとうさぎに見えるように作られているのだという。

文化庁の担当者は、食文化を舞や呈茶など、さまざまな伝統文化と併せて総合的に発信することの意義について「例えば、能楽の上に歌舞伎があり、その上に現代劇が乗り......というように、多重的な積み重ねの中からさまざまなものが生まれてきたのが日本文化の歴史。新旧さまざまなものが混ざったところから新しいものが生まれるということはきっとある」と話し、今後もこうした取り組みを行っていきたいと語る。

「例えば最初は食だけにしか興味がなかった人も、それはただ、他の文化に触れた経験が少ないだけかもしれない。食と同時に体験することで興味の幅が広がるかもしれない。だからこそ総合的に文化を発信する意味があるのです」

芸妓と舞妓が三味線と歌に合わせて舞を披露。参加者の席に回り、着物や飾りについて、そしてライフスタイルについても会話を楽しんだ。
会場では着付けのデモストレーションも行われた。講師(写真左)が着ている着物のテーマは薄い緑、白、桃色の三色使った花見団子。花見団子は三色に意味があり、桃色が桜の蕾、白が開花した花、緑は花が散った後の若葉。三色を連ねることで、時の流れを表現しているという。
会場に展示されていた振り袖(手前)と普段着の小紋(奥)。上の写真で着付けのモデルが着ていたのは訪問着。小紋は縫い目で柄がずれているのに対し、振り袖や訪問着は全ての縫い目で柄がつながる絵羽模様でつくられる。
春らしい音楽が流れていた華やかな食事会場から少し離れた別室では茶人による呈茶が行われていた。参加者たちはお茶席の心地よい緊張感を味わい、茶器や作法の解説に真剣に耳を傾けていた。

芸妓や舞妓と触れ合い、着物の違いを知り、本格的なお茶席を楽しむ。京都を訪ねても、こんな風に伝統文化を1日で体験し、その奥にある意味を知ることができる機会はめったにない。

日本の文化の担い手たちが起こしてきた革新と、その奥にある並々ならぬ思い。そこには文化だけでなく、「働くこと」にも通じる普遍的な価値があった。ビジネスパーソンにとって一見、遠い存在に感じられる日本の文化を、身近に感じ、知り、経験すること。園部が語ったように、わからなければ、ただ感じるだけでもいい。それはきっと、心を豊かにし、考え方のヒントとなり、自身の進化のきっかけをつくってくれるはずだ。

TEXT BY ATSUO SUZUKI
INTERVIEW PHOTOS BY KUNIHIRO FUKUMORI
※この記事は、Sansan株式会社のオウンドメディア「BNL」に2019年3月29日に掲載された筆者執筆記事をサイト閉鎖に伴い転載したものです

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?