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【フラクタル】一部と全体は同じ。世界はマトリョーシカだ!



今朝のできごと。

手のひらにのせたサプリの粒をうっかり落としてしまい
キッチンの隅へ転がっていったきり行方不明になってしまった。
あーあ、と思っていたら
なんと、思いがけないところからコロコロ出てきたのだ。


あ、これは!
まるで、人生みたいじゃないか。

「答えは、意外なところからやってくる」ということ。

フラクタルとは


自然界や人間界のあらゆる現象は
自己相似形、つまり「フラクタル」になっている。

物質の形状から経済・現象に至るまで
「部分と全体は似ている」ということだ。

例えば、リアス海岸の形。
どれだけ拡大しても、同じような複雑に入り組んだ形状が現れる。

他にも、風や雲の動き、生物の血管の分岐構造や腸の内壁も
フラクタル構造となっている。

そもそも、人間の体の構造そのものがフラクタルなのである。


シダの葉
ロマネスコ

物理的な形としてのフラクタルは
私たちの周りの至るところで見ることができる。

しかしながら驚くべきことに、この世界では物や形だけではなく
あらゆるものが、なんとフラクタルでできていたのだ。

では、どんなものをフラクタルと考えるのか?



 1.空間的フラクタル

 
電子が原子核の周りを回るように、地球も太陽の周りを回っている。
そして、この太陽系も天の銀河の中を回っている。

人体が汗をかいて体温調節するのと同様に
地球も太陽光によって海水を蒸発させ温度調節している。

人間の動脈と静脈同様に、地球にも大きな潮の流れが2つある。


私は時々、こんなことを思う。

私たちがいるこの宇宙は
実は、どこかの誰かの体を構成している素粒子の中に存在しており
それと同様に、私の小さな素粒子にも
また別の宇宙があるのかもしれない……壮大なロマン!


2.時間のフラクタル


時間的フラクタル性を持つものとして
「1/f ゆらぎ」という規則があげられる。

長期スパンのゆらぎと短期スパンのゆらぎ
それぞれの変動現象には、全く同じ数学的性質が見られる。

ゆらぎの例を挙げると

風・波の音・電流・雲の形・星の瞬き・キャンドルの炎・シマウマの模様
心地よい音楽や人の話し方・脳波 (α波)・人間の心拍……

なんと、株価の変動グラフにも揺らぎが観察できるそうだ。


3.発生のフラクタル


生物が4億年をかけた系統発生。
(地球上に最初に誕生した単純な生物から多種多様な形が生まれてきた
変化の過程のこと)

ところが、人間の胎児の個体発生においては
その4億年かかった系統発生が、わずか8日間で行われるという。

もう、不思議を通り越して驚異としか言いようがない。


4.人体のフラクタル


足裏・手のひら・耳のツボには
人間の身体のあらゆる箇所の情報が集約されている。

また、カイロプラクティックでは
背骨に人体の情報すべてが現れていると考えられている。

これらを発見した先人たちを心から尊敬する。

 

5.共時性(シンクロニシティ)のフラクタル


人間の意識と実際の物理現象は自己相似になっており
この宇宙において、人間の精神と物質世界のフラクタルな構造が
「共時性」として現れる。

誰かのことを思っていたら、その相手から連絡が来て驚いたり
「虫の知らせ」といったりもする。

少々オカルティックだが、
思考が現実化するという、いわゆる「引き寄せ」や占い
それから正夢なども、共時性による現象なのだろう。


6.人生のフラクタル


心理学的な分野の話になるが
子供が生まれた瞬間に、もしも母親との分離があった場合
その後、その子供は親との間に愛情形成ができなくなるそうだ。

すると、親との間に様々な葛藤が生じる。
1つのトラウマが次のトラウマとなり
つまり、親によってトラウマが形成されると
それはやがて恋人や伴侶との葛藤になり
さらには自分の子供との葛藤になるということだ。

このトラウマの連鎖によって、凝縮された体験が再体験されることとなる。


ひとつの人生の中のいろいろな時代における体験が
ひとつの共通点を持って呼び起こされることは、人生の基本的な構造であり
すなわち、あらゆる人のあらゆる人生が
フラクタルになっているということをあらわしている。


物理的なフラクタルも不思議で面白いのだが
このような、人生においてのフラクタルが
私には大変興味深く感じられる。


例えば、私は、車の運転は人生そのものだと思う。
スムーズに進むときもあれば、渋滞にはまることもある。
迷って目的地にたどり着けない
近道するつもりが遠回りになってしまったり
事故を起こしたり、運悪く巻き込まれてしまったり……


こんなふうに日常の行動が人生全体をあらわしている例は多く、
「人生の縮図」と表現されたりする。

また、私たちの周囲でおきる小さな出来事が
社会で起きる事件の縮小版としてあらわれることもある。

痛ましいニュースが絶えないのは、この世知辛い世の中で
人々の心が荒んでしまっているからなのかもしれない。

ならば、自分が変われば世界が変わるとは考えられないだろうか?
部分を変えて全体を変える。

今という瞬間に過去も未来もすべてが凝縮されているのであれば
この一瞬を変えることで、永遠を変えることができる。

過去の偉人達はそれを知っていたからこそ
今を永遠のように考え生きることが大切だと説いてきたのであろう。


このように、身の回りの小さな変化に対して
その時点での最良の方法を瞬間瞬間に選択することで
個人も社会も良い方向へと変えることができるのではないか?


普段の生活で、こういったことを意識するのとしないのとでは
それぞれの人生に、とてつもなく大きな違いが出るように思う。



私たちはフラクタルな世界で生きている。
だから「いま」を大切にしよう。

いま、何をするのか?
いま、何を思うのか?

私たちの未来は
いまの私たちでできているのだから。




明日も佳き日〜

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