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特別な思い出が夫婦の絆を強くし、そして、その絆が「恋」を「愛」へと変えてくれるのかもしれない。

風に吹かれる笹の音と、微かな雨の音が聞こえてくる。

ぼくと妻は、報国寺の縁側に座り、ただただ、目の前の竹林に見惚れながら、淹れたてのお茶を飲んでいた。

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季節は梅雨から夏へと変わろうとしていた。

出会って二ヶ月のぼくらは、二人の初めての旅行で鎌倉を訪れていた。

雨がパラついたかと思えば、急に日差しが強くなったりと、天候は完璧とは言えなかったけれど、ぼくらはお互いを恋慕う気持ちではちきれんばかりだった。

あれから11年が経つけれど、ぼくは今でもあの縁側に行くことができる。

耳を澄ませば、風に吹かれる笹の音と、静かな雨音が聞こえてくる。

そして、隣に座り、ぼくの肩に頭を預けた妻の体温を、今でも確かに感じることができる。

ぼくらはたまに言い合いをするけれど、それ以上に「あの鎌倉旅行」の話をする。

思い出話をするたびに、ぼくらの心は出会ったばかりのあの頃に舞い戻り、あの頃の気持ちをまた感じるのだ。

そのたびに、ぼくは、ぼくらの絆が確実に強くなるのを感じる。

二人にとっての特別な思い出、その思い出を二人で思い返すことで、夫婦というものは、絆を強くすることができるのだと、ぼくは思う。

結婚10周年をもうすぐ控えて、改めてそう思う。

今日は、「夫婦二人の共通の思い出が、二人の絆を強くする」ことについて、当時の旅行を振り返りながら、書いてみたいと思います。

当時の記憶が当時の「感情」を呼び戻してくれる

ぼくと妻が初めて鎌倉を旅行したのは、今から11年前。子どもはおろか、まだ結婚すらしてませんでした。

その後、何度か鎌倉を訪れているし、他のいくつもの観光地も行ったことがあるし、もっとサービスのいいホテルに泊まったこともあるし、もっと美味しいものを食べたこともある。

だけど、朝食サービスもなく、部屋風呂もなかった築80年のホテル(ホテル ニューカマクラ)に泊まり、鎌倉の街をあちこち歩き回ったあの旅に勝るものはないと自信を持って言えるし、あの旅のすべてが記憶に焼き付いているんです。

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(ホテル ニューカマクラの玄関)

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(ホテル ニューカマクラのロビー。椅子は二脚しかない)

当時の妻と出会って二ヶ月しか経っていないぼくは完全に浮かれていて、内容はほとんど同じなのに「るるぶ」と「じゃらん」の両方を買ってウキウキしていた。

待ち合わせの改札で、その二冊を大事そうに抱きしめているぼくを見て、妻は「なんで同じものを二冊も買っているんだろう」と、不思議に思ったそうです。

うだるような暑さの中、汗をぬぐいながら長谷寺の坂を延々と登り、坂の上からついに見えた海岸線。

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まんまるい窓から見える庭がきれいで、二人でいつまでも外を眺めていた明月院。

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(庭に見惚れる妻)

なんにもない素朴さが素敵だった極楽寺駅。なにもない駅の周りを二人であてもなく歩いてまわったっけ。

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そして、夜がふけるまで、いつまでもいつまでも話し続けた1976年創業の老舗カフェ「ミルクホール」。

ぼくらはどれだけ話しても話したらなくて、相手のことをもっと知りたくて知りたくて、いつまでも話し続けていたんです。

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あの頃を思い出して、ぼくらが話すことは、長谷寺の坂がとっても暑かったことや、坂の上から見えた海岸がとってもきれいだったこと

妻が銭洗弁天で、硬貨だけでなく千円札まで洗っていたことや、報国寺の苔蒸した階段の鮮やかな緑や、笹の音が鳴る中で雨に打たれる竹を見つめながらお茶を飲んだこと

そして、坂の多い鎌倉の街をあちこち歩き回りながら、いつまでもいつまでも会話をし続けたこと

お互いのことをもっと知りたいと願い、相手のすべてが欲しいと望み、相手のためならなんでもできると信じていたあの頃。

報国寺の雨に打たれる竹や、長谷寺のうだるような暑さを思い出すときに、ぼくらはそういった感情も同時に思い出すんです。

あの頃と同じように妻を大切に扱っているのか?

あの頃、確かに存在した、お互いに対する慈しむような、そして激しい感情を思い出し、そういった感情がまたそっと、心の中に蘇ってくるんです。

当時とまったく同じ感情は戻ってはこないけれど、そのいくつものカケラはぼくの心の中に残っていて、記憶を思い返すたびに、会話をするたびに、そのカケラたちはぼくの心の中で動き出す。

そして、そのカケラたちは、ぼくに向かってこう問いかけるんです。

『おまえは、あの頃と同じように妻を大切にしているのか?』

ぼくらにとって特別な記憶を思い出すとき、ぼくは当時を懐かしむと同時に、今のぼくが妻をどう捉えているのかを考えさせられるんです。

そして、子育てに、仕事に、忙しい毎日で忘れかけていた妻への思いをまた取り戻し、こう思うんです。

『妻をもっと大切にしよう』って。

あの頃の熱病におかされたような”恋心”は、きっともう味わうことはないんだと思います。

でも、そこにかつて確実に存在した自分の感情を思い返し、今のぼくらの関係を見つめ直すとき、妻に対する親密な感情が、ぼくの中に確かにあることを感じるんです。

それは「恋」ではないのかもしれない。

お互いを激しく求め合う感情は薄れてはいるけれど、妻を心から大切にしたいという、静かで堅牢なこの感情が、ぼくの心の中には確かに存在するんです。

それこそが、もしかしたら、「愛」と呼ばれるものなのかもしれないなと、思うんです。

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