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生成AIと過ごすこと

株式会社アトラエでソフトウェアエンジニアとして働いている青野です。

久しぶりの更新です。前回のブログ投稿 (たぶんこちら) から随分と世の中が変わってしまいました。すっかり生成AIブームですね。

そんなわけで、ChatGPTやGitHub Copilotを中心とした生成AIを普段使っていて、感じることを書きます。

まずとにかく便利

これは改めて言うまでもないですね。

プログラムを書くときのサジェストや質問への回答/壁打ち、長文要約や英文翻訳、思考の整理やアイデアの叩き台出し、簡単なデータ分析や正規表現を使った文章内からのキーワード抜き出し、画像生成など、100%しゃぶり尽くして活用できているとは言えない自分でも、非常に助かっています。活用本もたくさん出ていますし、使わないと間違いなく損です。

最近は↓の本を読んで「こういう使い方もあるのか、なるほど〜」とふむふむしています

プログラミングという行為から引き続き学びは得たい

自分はエンジニアなのでコードを書いている時間の割合が一定ありますが、その際の生産性は生成AIによっておそらく上がっていることでしょう。

一方で、ただ返ってきた答を無思考に受け入れるだけだと、なんというか非常につまらないなとは思います。(思考停止状態で受け入れられるようなシチュエーションは、そもそもそこまで多くないですが)
LLMが人間の自分より膨大な知識を有していることはどう頑張っても覆しようのない事実なのですが、そこから少しでも学びや自分で使える武器にできないと面白くないと考えてしまうんですよね。一応エンジニアというポジションで給与をもらったりしている以上、専門外の人と同じアウトプットしか出せない状態になってしまったらいよいよ存在価値ないな、と。

現段階だと、良い問いを投げかけられる / 具体的な指示をできる / 生成物への審美眼を持っているetc.、ベースの積み上げを持っている人ほどChatGPTなどから得られる恩恵がブーストされる、つまり、学習意欲の高い人ほどトータルで得をするということは以前と変わっていないです。なので、自分がつまらないと考えているのは悪いことではない、はずです。まあ、プログラミングという行為からちょっとした楽しみのようなものが無くなってしまうように感じることが、そもそも嫌なのかもしれないですね 笑。こういう考えも早晩古いと言われるようになるのかもしれないですが…

人のような存在

世にリリースされているものに関してはAGIレベルまでは到達していませんが、人間のように受け答えする (テキストだけではなく音声でも!!) 存在が生まれたことに違いはありません。この登場によって、そもそも人間とはどういう存在なのか?知能や習性はどうなっているのか?ということを、ある種客観的に捉える機会が今後どんどん増えていくと考えています。

例えば人は文脈やシチュエーション, これまでの体験の積み重ねによって物事の受け止め方や反応が変わったりします。こうやって文字にしてみると当たり前すぎることなのですが、自分はChatGPTを使うことでこれを改めて認識しました。映画などの作品も同じで、製作者のストーリーを知ることが味わい方を少し変える要素だったりします。(宮崎駿さんの “プロフェッショナル仕事の流儀” を先日見てすごく感じました。) 逆説的な捉え方ですが、今のChatGPTを軽く使うくらいだとそういったストーリーを表立って感じることはないので、 "創作" というよりは "生成" という表現が適切だなと。

…話が少し逸れましたが、人間の営みについて考えるきっかけが増えることは、”人の可能性を拡げる” 弊社のPeopleTechという思想とも繋がっていきそうです。ヒトやその集まりである組織についてかなり詳しい人が同僚には少なからずいますが、今もこの先も、プロダクトにこういった人間のような存在 = AIを生かしていく際にその強みがきっと活かせるのでは、と考えています。いくらすごいことができる技術が存在しても、人間のことを理解できていないと誰にも使われません (利用者 = 人間、の場合)。基盤技術を作るのではなく、基盤技術を活用して事業展開していくのであれば、そういった知見が必須だと思っています。

人は何をやるべきなのか (まだわからん)

自分がやっているような技術者の仕事は一定割合奪われるかもしれないし、奪われないかもしれません。(AI関係なく、全く同じことを10年20年と続けていたら奪われるのでしょう…) 生産性の面では正直叶わないですし変な意味で競っても仕方ないので、少なくとも共生していくことになるんだと思います。

あまり解像度が上がっているわけではないのですが、そうなってくると、将来的に人間がやるべきは生産性や効率の観点から離れた場所になってくるのかなと感じています。タイパことタイムパフォーマンスの重要性?が叫ばれる現代ですが、人が価値ややりがい/意味を見出す場所がどう変わっていくのか?それとも変わらないのか?というのは非常に興味深いところです。

おわり

会社としての思想というより、一人の個人として思っていることを書いてきました。

自身の生産性up/壁打ち/アイデア創発etc.の用途で、生成AIはもっと活用していきたいところです。プロダクトに良い形で載せられている世の事例はまだそこまで多くないので、エンジニアとしてはもちろんそちらも…

AIが幅広い範囲の話題をカバーできるようになり、少なくとも一定の難易度であれば解決できる時代が来て/近づいています。 “AIに聞けばなんでも教えてくれる” が過剰に進みすぎて、目の前の人や社会へのつながり・リスペクトが薄まっていかないといいなとぼんやり思っているのでした (内向的な自分もハマりそうな罠…)。終わります。


(※最後にいつものやつ)
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