最近わたしの中で"偏見"というものが、 強くブロックをかけていることに気づく。 他人に対する偏見ではなく、 自分に対する偏見。 これはおそらく内観して自分を知っていったからこそ起こったこと。 得意なこともあるし苦手なこともある。 それはいいの。 自分の得意はとてもスペシャルなことで誇っていいし、 苦手でどうしようもないことは、 他の得意なひとに頼んじゃったっていいと思うの。 でもわたしはこれが苦手だから、 "こうはなれない"とか、 "あの人はすごい"とか。 これって
わたしのことを全て知ってるのは わたししかいない。 どんなに大切なひとでも近いひとでも 家族でもパートナーでも、 ひとりひとりがみんなたくさんの顔を持ってる。 他人のことをどんなに知ろうと、どんなに近くなろうと、 わたしが知れるのは その人の一部だけ。 わたしが知れるのは その人がわたしにみせる顔だけ。 そう思うと わたしが全てを知ってるのはわたしだけで、 わたしを全て知ってるのはわたしだけ。 わたしがわたしを信用しない理由がないし、 大切にする以外ない。 要はわた
昔から"人を笑顔にしたい"と思ってきたわたし。 小さなころから、服を選ぶことやおしゃれすること、作ることが大好きで、 私自身がそれで笑顔になれてきたから、 "人を笑顔にする服作り"が、 本格的に服作りを始めた学生の頃からのテーマだった。 そしていつからかその想いは、 "人の笑顔を守りたい"と思うようになった。 成長と共に、守るという立場になれてきた、 大人になったと私自身が認識してきた頃かなぁ。 とくに女性であることをとても大切に誇りに生きてきたわたしにとって、 女性
先日ふと手に取った本がとてもしっくりはまり、お金との向き合い方が変わって、未来が明るくなったはなし。 わたしの中で昔からお金に対する意識、不安というものが大きくて。 物質的な豊かさよりも心の豊かさが欲しいし、 人に与えていきたい! って思ってたし言ってきたけど、 それももちろん嘘じゃないけど、 それはやっぱり物質的な"お金"という存在に"悪"を思っていたから。 これは日本の社会や教育もあって、そう思ってしまうことはある意味必然なのかなとは思います。 お金のはなしをするな
ひさしぶりにがつんと体調を崩し。 普段、ありがたいことに風邪とか体調崩すことほとんどないのだけど、 しんどいよね、感染症って。 普段から、 「食べるものでからだは作られてる!」 と思っているので、食事は大切にしているけど。 日々のからだづくりももちろん、 免疫力をあげたり、よわっている部分にアプローチしたり、 食事やハーブたち植物は未病に働きかけることが得意。 それを日々に取り入れることは、まず、病気にならないために効果的だとわたしは感じています。 そうしたって病気に
いろんなこの先の人生を描いてて、 結婚についても考えててふと、 自分が『結婚』に対してポジティブなイメージを持っていないことに気づく。 人の結婚とかご夫婦みてて、いいなぁ♡って思うことはもちろんあるけど、 自分ごととして「結婚っていいなぁ」って そういえば思ったことないかもって! なんでかなーって問い詰めてみた。 もちろん経験の中で、 身近に親の離婚や、自分の1回目の結婚と離婚をみてきたっていうのはあるんだけど。 ひとつ気づいたこと。 わたしの女性性の高さ♡! わ
最近のわたしのテーマは 苦手なことはがんばらない。 昔から本当に人の目や反応を気にして生きてきたわたしにとっては、 「これはできて当たり前、 あれはやらなくちゃダメ」 みたいな縛りは知らぬ間に心の奥にずーっと持っていたもの。 とにかく苦手なこともがんばってやってみる。 できないことも無理してがんばる。 ところが最近のわたしは、 "等身大の自分を生きる" 本当の意味を腹に落とせまして。 「個性」 それは誰しもがもってるもので、 それこそがわたしだけの価値。 服を作る
わたしがわたしとしていられる好きなこと。 服を作ること。 ずっと続けていることで、 培ってきた知識や経験は、わたしのとても自信を持てる技術のひとつ。 そんな洋服たちや雑貨を販売したり、 最近は新しく学ばせていただいている、レイキのヒーリングをしたり、 いろんなことをさせていただいてるけど、 根本的にわたしがやっていきたいことは元を辿ればひとつで。 「女性とこどもが笑顔で生きている未来をつくること」 これはもうずっと昔から思い続けていることで。 今、この想いはもはや女
なんとも長いもやもや期を過ごしまして、 しんどかったけど 苦しかったけど たくさんの学びと発見を経て、 やっと闇から抜けました。 そんなわたしの闇抜け術。 ネガティブなときとか悩んだとき、 「ないものを見るんじゃなくて、あるものに目を向ける!」 って、落ちてるときもずっと思い続けてたけど。 今苦しくて、 あれもこれもないし わたしが何者で 何がしたくて 何ができるのか 何もわからない… の状態のときにね。 思考を切り替えて… でも! こうやって食べることができて
「風の時代」 2020年からスタートした新たな時代の流れ。 長く続いた「土の時代」は物質主義の時代。 所有していることに価値があって、 地位と名誉の時代。 根性もって我慢して、結果出していくことがかっこいい、 まさに昭和から平成の時代を象徴してるよね。 「風の時代」は目に見えないものへの価値が高まる時代。 社会の固定概念や常識を抜けて、内面の豊かさや個性といった、自由で開放的な価値観が大切にされていく時代。 今まで、社会で活躍して結果を出すことが正義と言われていた時
さて、わたしも最近初めて聞いた言葉。 ソバーキュリアスとは? 新しい言葉ってどんどん生まれていく…! こんなワードが生まれるのも、健康志向が高まってる証拠なのかなって思ったり。 わたしは昔からお酒が好きだし、どちらかというと強いタイプ。 お酒の場も好きだし、禁酒!なんて考えたこともなかった。 そんなわたしがお酒を控えることをはじめたのは1年以上前、食生活と向き合いはじめたときのこと。 食べることとしっかり向き合いはじめると、 "今なにをからだが欲してるのか" "これ
本来の自分で生きていくとか、 やりたいことをやるとか、 すごくまっすぐに聞こえるそんな言葉たちが、 正直苦しくなるときもある。 それって受け取り方によっては、 自分という"何者か"であれ っていうふうにも受け取れてしまって。 わたしは今、 どうしてもそこから抜け出せずにいるところ。 わたしは何者なのか。 そういう社会でずっと生きてきた以上、 ここが土台になっているのは必然であり、 そういう思考になっていくのは当たり前のこと。 そうやってできた土台である何者かであるわ
わたしがずっと目指している、 『女性たちとこどもたちが笑顔で生きていける未来』 その中のひとつとして、 "性との向き合いかた"って 本当に大切だと思っていて、ずっと発信していきたいと思っていること。 性教育に対して、とてもとても後進国だといわれている日本。 そもそも義務教育での「性教育」の授業ってとても少ないし、 知識はなくて当たり前ではあって。 大切な自分のからだのことなのに、 自分から知ろうとしない限り、 自分のからだがどうなっているのか、 わからない人が多いし、
人生2度目のファスティング。 前回やったとき、けっこう空腹しんどかった記憶で、 もうやらなーい!って思ったんだけど、 「からだのクリアリング!毒素排出!浄化!」 ってイメージ出ちゃったから、素直に流れにのって決行。 暴食も続いてたし、エネルギーももやもやしてたしね。 わたしの場合、前回空腹で眠るのがいちばんつらかったから、 今回は夕食断食からスタート。 数年ぶりの断食。 記憶よりも空腹全然きつくなくて。 わたし元々冷たい飲み物をあまり好まないから、 ずーっと白湯を
わたし実は昔から友達をつくるのが苦手だった。 友達多く見られてたし、実際自分でもそう思ってたけど、 今思えば心を開けるひとって実は昔から少なかったかも…? 幼少期は親の離婚や再婚もあり、引っ越しが多く、ちいさな頃からずっとの友達ってそもそもいない。 その場その場で仲良いコはおそらくいたし、ひとりぼっちだったことはあまりなかったけど、正直ほとんど覚えてないレベル。 勉強は好きではなかったけど、人目気にしガールのわたしは、親の意のまま、流れで中学から私立へ。 中学高校と6年間
最近気づいたことなんだけど、 わたしって境界線がない。 スピリチュアルな思想も好き。 現実的な思考も好き。 矛盾してるようでわたしの中では全部正解で。 感性を優先に自分を生きていくのは、 とても心地がいいし解放される。 直感人間だからそのまんまの自分ってかんじ♡ けど思考することが邪魔なんてことはなくて、 思考することって人間だからこそできる素晴らしい才能と思ってて♡ 思考優先になってるときだって、わたしはわたし。 だからわたしはすごくスピリチュアルにもすごく現実主