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Noir et Blanc〜闇と光を見て思うこと

先日、地元でフランス語の通訳のお手伝いをおおせつかりました。
終わってから思えばかなり無謀なこと&先方に失礼もあったかもしれません…
そもそも打診があったのが本番の10日前、正式な依頼に至っては5日前だったかな、打ち合わせもほとんどできないような状況が目に見えていました。
でもitalkiでフランス語レッスンを受け始めて約2ヶ月、ちょっとずつフランス語の感覚が戻ってきていたところで、これも何かのチャンス、と引き受けました。

その裏には、私はここにいて自分を活かすことができるんだろうか、とか、自己価値の低さや自己卑下の感情が渦巻いていました。私にも何かできるんだ、というのを自分のために証明する必要があったのかもしれません。
でも、そんなエゴさえも手放さなくては、通訳なんてできないっていうことも学びました。

なんにせよ「行動する」ということで何かを感じ、学び、また次の行動につなげることができるのだろうな。機会があるならば、また、今度は自分からもっと積極的に、経験してみたい分野でもある。

外国語を理解するという能力以上に、それを使っている人々の生きる背景みたいなものがとても大切なんだと改めて思った今回の出来事、自分なりに調べたこと感じたことを書き残しておきたい。


セネガルにおける環境問題の現状

今回お手伝いさせてもらったのは「第9回 グリーンイメージ国際環境映像祭」という、いわゆる環境問題をテーマにした映像作品を集めた映画祭。
フランス語の通訳、と言っても、映像はセネガルの作品であり登場する民族が話すのはウォロフ語だし、聞きなれないセネガル訛りのフランス語を果たして通訳できるのだろうか?と、作品を事前視聴しながら不安が募ります。。
ちなみに私の役割とは、会場に来ているセネガル関係者からのコメントを日本語に通訳する、というものだったのですが、それにしても背景をもっとわかっておいた方がよさそうだ、、と思い、Youtubeで関連しそうな映像を見まくりました。
ただ知るだけでは心苦しくもなるけれど、自分の闇に浸ってばかりいられないなぁと、陰極まっていた気持ちが陽の方に向かってきました。

テレビのニュースは気持ちが暗くなるものばっかりで避けているけど、知る必要があるものは選んで情報を得るということ。ネットは少なくともまだそれができる。
狭くなっていた視野を広げることも大切だし、情報全てを鵜呑みにするのでなく、フラットな目で見ながら自分の考え方を自分で変えていく意識で。

映像祭で見た作品は、ママドゥ・クマ・ゲイ『Waiting for God』。
近年の温暖化による海面上昇により土地を侵食され住む場所を追われているSaint-Louis近郊の人々の姿を映した短編ドキュメンタリー。
フランス政府の支援などもあり数千人が内陸部の仮設住宅地域に移住したが、漁で得ていた生計や職を失ったり十分な広さの住まいでなかったり、問題は簡単には解決できていないよう。そんな中、ウォロフ語で「神を待つ」という名前がついた海辺の土地に戻って暮らすことを選ぶ人たちも。
かつては村や家々があった、今は荒涼とした砂漠のような土地と、鮮やかな色の服を身につけた女性たちの姿が対照的で、詩的な映像美なども評価される作品。

こんな日本の田舎でもそういった世界の現状を知ることができるその一方で、この人たちに本当に救いはないんだろうか、と胸が痛くなる。
けどそこで終わらせてはいけない。わたしたちはもっと知る必要がある。


2020年のフランスのドキュメンタリー。
後を絶たない無謀で危険な航海。それは伝統産業である漁のためではなく、国を脱出するため…海の恩恵にあずかってきた人々の生活は機器的な状況にあって、それでもその人たちは海に一縷の望みを託そうとしている。
アフリカの大地はそんなにも人間に厳しいんだろうか?

セネガルからアフリカ東岸までを結ぶサハラ砂漠の南のサヘル地帯では、ヨーロッパなどの支援を得て「muraille verte 緑の壁」プロジェクトを進めている。だけど人手や植物の生育状況など計画通りには進まないようで、追加の資金問題、気候変動も追い討ちをかけてなかなか困難な模様…
わずかながらでも募金などで支援できるかもしれないけど、それが届くまでにどんな手続きが踏まれてどれだけ還元されるのかを考えると、少しでも環境に負荷をかけない生活をする努力をした方が効果があるのかもしれないと思う。

こちらはフランスの漁師がサンルイの漁師の元にホームステイする、2015年のドキュメンタリー番組。

アフリカの民族衣装のように色鮮やかなボートで行う「伝統的な漁」と言えば聞こえはいいし、機械に任せている現代の漁師にはないチームワークで恐るべき力を発揮するセネガルの漁。でも、常に危険と隣り合わせな賭けみたいなもの。
ボートにモーターこそついているものの、獲った魚を冷蔵保存することはおろか、岸についてからも地面に放り投げ、選別もしないし値段を決めて売ることもしない…売るのは女たちの仕事だけど、旦那たちが命懸けで獲ってきた魚が安く買い叩かれている模様に、フランス人漁師はご立腹。そもそもその魚の扱いが雑だし、せっかく獲ってきたものをちゃんと売る仕組みを作るべきだ、と筋道の通った理屈を並べ説得を試みたところで、ずっとそのようにやってきた人たちにとって全てが「?」だし、否定からは何も生まれないのかもしれない。
所詮は2週間のホームステイ。問題に取り組むには短すぎる。
だけどその短い間にもフランス人ぽい好奇心を発揮して、セネガルの文化や環境をいろんな角度から映し出している秀作です。
ここに映っていた家族たちは今どうしているんだろうなぁ…


セネガルの美しい側面。
フランス滞在時にも時々見ていた旅番組は2021年放送のもの。
カザマンスという、南部の川沿いの地域を旅していきます。
同じ国の中でもこんなにも差がある。
それぞれの文化を尊重しながらも、もっと助け合えないんだろうか。

角度を変えてみたらさまざまな環境の課題が見えてきて、
日本にだって似たような問題も美しい面も山ほどあって。

私は何をどう選択していきたいのだろうか。
そんなことをちょっと集中して考え決めていきたいと思う2022の春分です。

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