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売る本

本を読み終わったときではなく、読み終わって本棚に本をしまうそのとき、「本が自分のものになった」という気持ちになって好きだ。
内容の理解を本が自分のものになる、というのならまだまだ先かもしれないし、体験を通し後から内容を理解する気持ちになることはたくさんあるだろうから本を読み終わった後本が自分の血肉にすぐなるか、と言われたら違うのだけれど、(というか違うとわたしが定義している)
それは神社の二礼二拍手一礼のような、通過儀礼が終わった気持ちよさでもあるのかもしれない。本をしまうことで初めてわたしは読了するのだ。

わたしが読む本は偏っている。わたしが選んでいるのだから。
そんなわたしがわたしが選んだ以外の本を読む機会が

①フォロワーさんが呟いている本を買って読む
②フォロワーさん/または誰かに送ってもらった本を読む
③家族が売る予定の本を読む

の大きく分けて3つになる。
①は言葉の通り、②は一部のフォロワーさんと10冊本を選んで交換する機会がたまにあったり、フォロワーさんが好きそうと思う本をわたしが勝手に送ったり送られたり、それによるものが大きい。
③の話をしようと思う。


わたしの所属している家では1年に1回ほど本を売る。スペースは有限だからだ。本当はどんな本だって置いておいてほしいし売らないほうがいいが、それでも本を売る。
それで、家族各々、というか父母わたしは本を売る日のために売る本を選ぶ。
そうして、わたしはその売る本が大量に入った箱の中の本を、片端から読んでいくのだ。
母の本が多い。母は本を置くことに拘らず、読んだ本はよっぽどでは無い限りもういい、という派閥らしかった。父のはビジネス本が多い。
そして、読んだ本に気に入った文章が一節でもあればわたしが拝借する。そんなシステムだ。

それを先日ようやく全部読み終わった。
普段読まない本が沢山読めて面白かった。エッセイや恋愛もの、レシピ本、〇〇賞を受賞など話題の本。最後2連続で「救いが結婚にあることを提出される話」を引いてわあ、となってはしまったがなんとか乗り切れた。
読まない本にも愛すべき一節はあり、それらは本来出会えないのだ。だからこういう機会は大事にしたい、と思う。知らないことを知ることは大好きだ。巡り会えてありがとうと抱きしめている。

本を売ることで後悔したことが何度もある。前述したように体験することで後から内容を理解する気持ちになることも、いきなりすとん、と落ちることも。後からやってくる。本がハマる瞬間は読んだその時限りではないのだ。だから結局、本は売らないほうがいいみたいだ。


あと、このシステムでは常にわたしの部屋に本が増えていくだけだ、と気付いた。わたしが売る本は少なく、引き取る本はそこそこあり、そして何なら本を売りに行ったら待ち時間にその古本屋で本を購入してしまうからだ。
わたしがいつ、「わたしが物を置けるスペース」がいっぱいになり、そこから追い出されるか、楽しみにしていて欲しい。


この文章を組むにあたり、本棚の写真でも貼るか、とも一瞬思ったが、いや、わたしの本棚の細部までの写真は有料コンテンツだな、と思ったのでやめておこうと思う。Twitterでたまにちらちらと上げるのでまあ……逆に言えばわたしはお金を払っても人の本棚が見たいのは確かです。かなり皆が無防備に上げてくれるので助かっている。

でもこれだけでは味気ないので引き取った本の写真を上げます。

売る予定の本箱から読んでサルベージしたもの

『砂の女』は破壊力が高くて良い。やるせない気分になれるのでおすすめだ。
『みかんとひよどり』はお気に入り、構造をやりつつ優しい物語だったので大事な本になった。
『錦繍』は首と胸を果物ナイフでつかれた男と、なぜ男を刺したのか最後まで明かされない首を掻っ切った女の存在が良かった。
『仏さま研究室』は朝ドラっぽい。夏休みに読みたい感じがある。受け取りやすさがある。また、仏様の知識、祈るもの、祈られる対象、それについて考える人たちが書かれていて良かった。
『さがしもの』本にまつわる短編集なんだけど反復して「読むときによって内容が変わる」をやっていることが好き。なので今回のサムネにしました。


自分には合わないなあというところがある本もあったけれどそれでも美しい一節や表現があり、本棚に招いた。これだから、本を読むのはやめられないのだよな。そしてわたしには合わない本も誰かを救うことがあるはずで、そのわたしでは感じれない世界があることが少し羨ましかったりする。わたしでは感じれない言葉の世界、素晴らしさの世界。楽しい世界、苦しい世界、それらは世界中にあって、あらゆる本棚に眠っているらしい。


おまけ


読んで売ってしまったけど売らなきゃ良かったよな、と思った本。

母の売本だったが世界中の色々な肉を食べた人間のエッセイだった。カンガルーもアルマジロも食べる機会がないのだから、資料として取っておけば良かったと思い返して深く深く反省するのであった。

読んだのは文庫版だったんだけど、「小さいナイフで薄い皮膚を切って恋人に食べさせてあげる男」の存在を忘れられないので、取っておいたほうがよかったかもしれない。

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