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楽園に近い場所とサンタクロースの話

病院に通っていて、最低でも月1くらいで通院している。

病院の待合室は驚くほどしずかで、やさしい空間でできている。というか、なんだろう。気持ちいいか悪いかわからない、ちょっと冷めたぬるま湯くらいの空間がそこにあり、独特の空気感だ。
ナースは優しく医者の場所へと我々を招く。さながら神の御使いのように。

そうしてしずかでちょっとぬくい空間から病院の外に出てびっくりする。真横でクレーン車2台が音を立ててひっきりなしに工事をしているからだ。ここは本当にさっきいた場所の隣なのだろうか…!?と自分が出てきた空間のドアを見返す。ドアの中には先程いた空間がある。どこでもドアだったんじゃ、とか色々考えて、でもきっと楽園って思ってないところの隣にあるんだろうな、と思った。そういえばそういう話も描いたことがあったな。


というかわたしの思想として、誰かが通り過ぎるけどそれをしあわせと思えるもの、路地裏から見える景色だとかゴミの中にあるガラス片をうつくしいと思えるとか、そういうのを「しあわせ」にできる人がいて、しあわせの欠片を沢山拾える人がいて、そういう人をうつくしいと思うな、というのがある。

でもそれはその人のそのときの心の流れや拾ったものによる。

どんな人だって普段うつくしいと思えるものをうつくしいと思えない日はあるだろうし、色んな人がうつくしくないと思うものが尊く大事でうつくしいと思う瞬間が今の人だっているのだ。

しあわせって難しい。幸せだったり仕合わせだったりするし、自分が先日話した言葉とはまだ違って、「見出すもの」なので生き物とも言い辛い。

でもそれはハーケンで杖で明かりのようなものに近いと思うので錯覚の話になる。しかしこいつらはランダム出現のハーケンなので、寄りかかりすぎると崩れてしまうかもしれないし、欲しいときに照らしには来ないことが多い。


そんなこんなで昼にこういう文章を綴っていたら夜にプレゼントが届いた。それはとある友人が知り合いのサンタクロースに頼まれて贈ってくれたものだ。

今わたしは実家で暮らしているのだが、ここ数週間でかなり大変なことが起こっている。大変なのはここ数週間ではなくずっとなのだが、特に荒波の日々があった。

信じられないことを沢山言われたし、信じられないことが起こる。少しは落ち着いたと思う。心は落ち着かない。なので実家を出るための活動をするため疲れた体に鞭を打ち、新しいことを始めることにした。それが5日前の夜のことだ。


ここは今楽園ではない、しかし、楽園は騒々しい場所のすぐ近くにあることがある。というか、楽園にできることはある。それはサンタクロースや、なにげないしあわせのおかげだったりするのだろう。

フォロワーとサンタクロースに感謝しつつ、しばらく貰ったものを眺めていた。


そういえば、サンタクロースが日本に来るときは冬が多いだろう、と思っていた。今は春であたたかくなっている。サンタクロースはこういう時期に来るのは珍しいのではないか、サンタクロースは花を見れただろうか。夜だから見れなかっただろうか。

でも何となく今回の件で思ったのだ。サンタクロースはもしかしたら、冬以外もちょくちょくこうやってわたしたちを見ていて、ちょくちょく美しい四季や花を愛でていて、何かを贈ろうとしているのがしれない、と。そうであってくれたら嬉しいなと何となく思う。

いつかサンタクロースに何かを返したい、と思う。でも今はたくさんのありがとうと、花の写真を添えることとする。

サンタクロースがどこかで花見をしているといいなあと思いながら、今日は夜を抱く。


こぶし
ほとけのざ
蝋梅


水仙

🌸🎅💐
すべてのサンタクロースに等しく春が来ますように。

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