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がんと共に生きる⑦がん=不幸ではない

病気になったこと、がんになったことを「よかった」とか「幸せ」と思う日は永遠に来ないであろう。しかし、病気になったこと、がんになったことを「不幸」とも思わない。そう思えるようになったのには、いくつか理由がある。

がんになったことで得られたものがあるからだ。
友達、お客さんなど、関係性の深さや、出会ってからの年月も関係なく、たくさんのメッセージや励まし、贈り物、心から私の回復を願う想いを感じられたこと。そして私が今まで周りの方へどういう接し方をしてきたかを、それぞれがフィードバックをくださる。こんなことは病気、がんにならなかったら得られなかったことだ。病気にでもならなければ、「愛してる」「好きだ」と言葉にして伝えてもらう機会もそうそうないだろう。これは私が今、感じられる一番の幸せだ。

それからこうやって発信することによって、毎日、自分と向き合うことができている。向き合うことで気づくことはたくさんある。最初に宣告されたときは、呆然としたけれど、そんな毎日の中でも笑うこともできる、楽しむこともできる、絶望の中にいても、「今、生きている」ということを味わえるということを感じられたのは、これからのカウンセラーとしての人生の支えになるであろう。苦しみの中にいるクライアントさんの中に可能性や光も感じられるであろう。

何よりも、今、1日1日が尊くて愛おしい。こんなに濃い毎日を体験することは、今まではなかったかも知れない。ものすごいスピードで流れていく毎日と、走り続ける日々であった。それが好きでもあったけれど。毎日を感謝で始まり、感謝で終われる、そんな毎日はとても幸せなのだ。

できれば病気になんてなりたくない。ましてや「がん」なんてなりたくない。ならない方がいい。でも、なってしまったのだ。だとしたら、この日常を味わうしかない。自分がこれから生きていくためにも。もし、死んでしまうとしたらなおさらだ。毎日が貴重な1日になるのだから。

誰でもいつかは死ぬ。そんなことはわかっているけれど、それでも毎日を丁寧に生きる余裕がないくらい、世の中のスピードは早い。改めて、「今、ここ」にある幸せや日常を味わい、丁寧に暮らすことの大切さが今は身に沁みている。それでもきっと、根治したら、私は働くであろう。まちのために、社会のために。だって、それが私の日常であり、生きがいであり、命を全うするということだから。

改めて、自分にとって大切なこと、自分がどう生きたいのかが生老病死と向き合うことで見えてくる。わたしにとって、まわりの人たちとのつながりが一番の心の支えであり、そのまわりの人たちのための幸せのために生きるのが私のやりたいことだ。カウンセラーという仕事、話を聴き、心に寄り添うということがわたしの仕事だ。

写真は北九州の友達、同志がお参りしてくれた宗像にある鎮国寺。身代わりになってくれるかえるがいるとのことで、お守りとお水を贈ってくれました。こうやって人に支えられて生きています。


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