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ダンドリマン

宴会が嫌い。
団体が嫌い。
小規模なグループでさえ苦手。
飲み会、旅行、仕事の集会や会議等々。

しかし、たぶん周囲は私がそういうものを苦手だとは思っていない。
よく誘われる。
「とりあえず出て」みたいな。
「とりあえずってなんだよ」と思いながら、毎回は断れない。
以前は介護とコロナが絶好の口実だったが、いまはそれらしいものがなかなか見つからない。

別にみんなに好かれているとうぬぼれているわけではない。
でも、たぶん私がいると便利なのだ。
私は段取りマンだから。

その担当を仰せつからなくても、細かい段取りが気になる。
誰かが不足を不満を言い出す前に、先回りしてそれを満たす。
そうしないと自分が気持ち悪いのだ。

誰かと一緒に行動すると、私はプランナーになりコンダクターになってしまう。
気づくと雑用係にもなっている。
いまやっていることではなく、それの次の次まで想定して動くから、体が忙しいだけでなく、頭の中も次の次の次のことでいっぱい。
だから、人が集まるイベントがすこしも楽しめない。

しかも、あまりに無計画や無頓着や無神経な人が、私の善意?にあぐらをかくようだと、心の中でキレる。
要領のよくない人を見てるのもストレスになる。
しかし、それはグッとこらえる。
ものすごく疲れる。
無礼講?
ふざけんな。
「俺って不器用だから」
高倉健かよ。

お酌は嫌いだからしないけれど、人の飲み物のグラスとか皿の空き具合、箸の進み具合が気になる。
一番いいタイミングで次の飲み物や料理に運ばれてほしい。

箸が進まないとか言葉数が少ないと「この人、体調が悪いのが言い出せなくて我慢しているんじゃないかしら」と思って、外に連れ出したりしてしまう。

マネジメント職にあったときは、部下がほかの上司に嫌味を言われて落ち込むと、よく飲みに誘った。
なんでわかったんですか?と言われるけれど、始終観察しているように思われても互いに居心地が悪い。
気づいているけどいないようにするそのバランスも難しい。

段取りの最たるものは、自分の結婚式。
夫もいろいろこだわる人だったので、音楽も演出もすべて自分たちで決めた。
私の中では細かいシナリオが作られ、このタイミングでこの曲という段取りがある。

キャンドルサービスで親のいるテーブルに到達したときと、義理で呼んだどうでもいい職場の上司との音楽の盛り上がりは違って当たり前なのである。
お色直ししての再登場とか、花束贈呈とか、メイン料理がサーブされているときと、デザートタイムになったときとか。

そもそも結婚式はやらなくていい(お金がもったいない)と思っていたが、親が泣いて反対したのでやむなくやった。
私としては一生に一度の大イベントだけれど、むしろ親のために段取りのとおりに進めたかった。

その日は、婚礼が立て込んでいて、スタッフの人たちはてんてこ舞いだった。
式の前、メイクや支度をする部屋には、私の次の花嫁さん、その次の花嫁さんの衣装やアクセサリーが並べられている。

花婿さんが胸につけるブートニアも一緒にあって、男性の身支度は女性ほど時間がかからないので、割と直前に届けるつもりなのだろう。
その順番が、違っていた。
本チャンとお色直し用が逆に置かれていた。
ブーケとブートニアは揃いの花にしてある。

髪をアップにしてもらっているあいだ、メイクをしてもらっているあいだ、私はそれが気になってしかたがなかった。
そうして、ついに我慢できず、スタッフさんに確認した。
そして「花嫁さんはそんなこと気にしなくていいんですよ」と笑われてしまった。
合わせるように顔は笑ったけど、心は全然笑えない。

式が終わったときにはグッタリだった。
精神的に疲れすぎて「感動」の「か」の字もなかった。
あったのは、「やれやれ」「やっと終わった」という気分だけ。

友人知人のとかテレビとかで見ていると、感極まって涙している人もいる。
え?
なんで?
どうして泣けるの?と思う。
どこにそんな余裕があるの?

入社1年目で社員旅行の幹事をさせられたときもヘトヘトだった。
参加者のみなさまに喜んでいただくために身も心も削ったつもり。
そこまでしなくていいよと言ってくれる人もいるけれど、しなくてはいられないのが私だ。

懲り懲りである。

なのに「楽しそうだったね」とか「手慣れているね」とか言われて「またお願いするよ」となる。
あはははは。
笑えない。



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