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それがダサいと言っている。こだわりの強いアラサー女子の服選び☆

私はおそらく、こだわりが強い。

それに気が付かなかったのは、私の母は、私以上にこたわりが強く、もはや発達障害を疑うレベルでこだわりが強かったからである。

特に色に対しては、特にすごかった。苦手な色は、見ているだけで気分が悪くなり、その色の服が並んでいる店の前を通るのも辛かったようだが、おそらく【視覚過敏】と言呼ばれるものだろう。

もはやそこまでいくと、こだわりと言っていいものか甚だ怪しいが、幼少期に培われた容姿へ抱く劣等感も伴い、美意識が他所のお母さんよりも、おそらく、飛び抜けて高かった。

美魔女などを想像すると、うちの母は全く違うが、コスメに多くの拘りはなく、スキンケアも敏感肌のため使えるものは限られているし、カジュアルでサバサバ、鬼のコミュ力を発揮しながらも、友達には「りなのお母さんめっちゃ綺麗」と言われ続けていた。

正直、「綺麗」という言葉が母にはピンと来ず、友達への返答は「そうなのか…???」と常に疑問形ではあったが、今なら「綺麗」と言われ続けていた理由もわかる気がする。

というのも、イメコンなど存在しないあの時代に、自分のコンプレックスを理解し、見事に克服していたのである。


こう見えたくない
自分のここが嫌
こうはなりたくない


とにかく試し、似合うものを見つけていき、似合うものを見つけた瞬間、イロチ購入するような徹底っぷりだった。


私自身、母ほど容姿にコンプレックスはないが、人並みにコンプくらいはある。

そんな中で、絶対的な自分ルールが、母と同じように、やはり存在するのだ。

自分ルールを挙げ出すとキリがないが、そんなわけで、服が欲しくともなかなか見つからないのである。

その時々でマイブームはあれど、理想的な色、丈感、素材感、自分のワードローブとちぐはぐにならないか、そんなことを考えていると、全く欲しい服が見当たらないのである。

無駄遣いしなくていいといえばそうかもしれないが、必要なときに見つからないのに苦労する。

母のイロチ購入にも納得である。


さて、本題に入るが(クソ長前置き)。

私の夫には、私のこだわりはあまり理解されていない。正しくは、理解されていないような気がする。夫は優しいので、理解しようとはしてくれるが、本当の意味では理解されていないのだ。

というのも、買い物の際に

形可愛いけど色が…
丈長すぎて微妙…
このサイズ感やと細く見えない…
なんかちゃうねんなぁ…

などと、私が小言をもらしているところ、

「そんなシルエットで着てる人いっぱいいるけどなぁ」
「その丈はその丈でありやで!」
「りなは細いから大丈夫!」
「僕はありやと思うけどなぁ…」

という返答がくるのである。


旦那よ。

違う、そうじゃない。



それがダサいから嫌だと言っているのだ!!!!!(クソデカボイス)


夫にしてみたら、どんな格好をしてても私は可愛くうつるのかもしれない。しかし残念ながら、人類全てが夫ではないし、まず私は夫の感覚を持ち合わせていない。

服を選ぶ際に決して自分に否定的になっているわけではなく、「もっと似合うものがあるはずなのに」「欲しいのはこれじゃない」ってだけなのに、なぜか励まされているような雰囲気になる、いや、これは私の被害妄想かもしれない。

実際、30年培われてきた自分自身へのベストは自分がよく知っているし、本当に自分が納得しているものを着ると化粧映えも余裕で変わる。


夫の私に対するフィルターはアプリ以上と言っても過言ではない。

いや、もはや服への興味も薄く、感覚が鈍い。

なんでも可愛いと言ってくれることは嬉しく、ありがたいことだが、いつか声を大にして言いたい。


「それが嫌やねん」

と。



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