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【カポエイラの王者パスチーニャ師匠】しかしその最期は盲目で貧困の底だった

(Direção: CAROLINA CANGUÇU, ETV Bahia, 2019)

カポエイラの王者とは

バイーアの教育系テレビ局TVE Bahiaに勤める知り合いのカポエイラ女子カロリーナが監督した「Mestre Pastinha - Rei da Capoeira パスチーニャ師匠〜カポエイラの王者」は2019年に公開された。しかし、残念ながらポルトガル語版しかない。

タイトルのごとく王者と呼ばれるにふさわしい、カポエイラを始めてその歴史を学び始めたらまず名前を聞く偉大な2人のメストレ Mestre(師匠)のうちの一人である。

一人はカポエイラ・ヘジョナウ Capoeira Regional の創始者メストレ・ビンバ Mestre Bimba (Manoel dos Reis Machado)。

もう一人がカポエイラ・アンゴーラという名前を掲げ道場を創設したメストレ・パスチーニャ Mestre Pastinha (Vicente Ferreira Pastinha)。

41年前の今日1981年11月13日の金曜日にパスチーニャ師匠は盲目で不遇のままにこの世を去ったと知られている。

カポエイラの国際化

パスチーニャが亡くなった後、主に1980年代以降海外へ進出して行った当時の師匠や先生たちの功績によって、カポエイラはブラジルから瞬く間に世界各地へと広がって行った。

それはそれで素晴らしいことであり、その恩恵を受けた典型的な外国人として私も2006年に英国でカポエイラに出会い、今もカポエイラやその師匠たちから教えられ続けているうちの一人である。

その後2015年に私は自分の師匠であるコブラマンサを頼りに、パスチーニャやビンバの二人をはじめ数多くの師匠たちを輩出しカポエイラの聖地と呼ばれるサルヴァドールへと移住した。

カポエイラと出会わなければ今はどこで何をしているのか見当もつかない。今亡きパスチーニャは、間違い無く一日本人である私の人生を変えてしまった人物のうちの一人である。

忘れ去られていた王者

亡くなった当時パスチーニャはその功績もほぼ忘れ去られ、貧困のうちに盲目で病床に臥してそのままひっそり世を去ったと言われている。

当時そばに寄り添っていたのはアカラジェー(バイーアの典型的なストリートフード)露天売りを細々とやっていた妻のみであったらしい。しかし翌日の新聞にはその訃報が記事となっている。(上記サイト参照)

ブラジルのカポエイラ界隈、特に私がやっているアンゴーラ系の人々の中ではその教訓を忘れぬようにと、パスチーニャの誕生日や命日にはイベントをやることが多い。(タイトル画像は2013年にロンドンで企画したパスチーニャの人生を振り返るイベント時のもの)

教訓とはつまり、師匠として数々の功績を残したあとは忘れ去られ、王者と再び呼ばれるようになったのは彼の死後ずっと経ってから。それを繰り返してはならないと。

生存中永眠する前年の1980年には病気で盲目で退院したという記事が新聞に報じられている(上記サイト参照)。しかし不遇な彼を振り向く余裕がある者は当時あまりいなかったのであろう。

去って行く師匠たちは待ってはくれない

去年2021年11月13日には生存中に一度だけ会う機会があったMestre Barba Branca バーバブランカ師匠が永眠した。彼もパスチーニャの生徒であったMestre João Pequeno ジョアン・ピケーノ師匠の生徒であった。

当時から体調がすぐれなかったバーバブランカ師匠とも、同じサルヴァドール市内に住んでいるのだし、また会えるだろうくらいに思っているうちに訃報が届いた。

そして一年後の今日、もともと細々と活動を続けていた彼のことを覚えているのは、彼の直接の生徒くらいになっているのではないだろうか。

これだけ情報過多の現在においてでも、パスチーニャの時代からあまり変わっていないのでは無いだろうか。去って行く師匠たちは我々を待ってはくれない。

しかしながら、そのような意識を持って活動しているカポエイリスタ(カポエイラプレイヤー)たちもサルヴァドールにはまだ多数いる。前述のパスチーニャの映像監督をしたカロリーナもそのうちの一人である。

師匠たちの思いを繋いで行く

そんなカポエイリスタたちを身近にしながら、自分にも何かを残しておく義務?があるのではと思いつき、僭越ながら去年バーバブランカ師匠の訃報のあと、その思い出を綴った。

日本にもカポエイラが広がって来ていることをうれしく思う反面、遠く離れた日本ではそもそもポルトガル語の壁も厚く、こちらで出回っている情報まではなかなか届かないのが実状だ。

インターネット上でさまざまな情報が溢れているにも関わらず、ブラジル現地でポルトガル語で取り沙汰されている話題まではさすがに少数にしか届いていない。

サルヴァドールに住むことができている日本人カポエイリスタの私には、パスチーニャをはじめ我々の前に道を作って来てくれた師匠たちの功績や教訓を少しでも日本語で伝えて行く義務もあるのではないかと、身が引き締まる思いもする11月13日。

しかし、まだまだカポエイラに、パスチーニャに、その他大勢の師匠たちに何も恩返しができていない。

Iê! Viva Pastinha!


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