見出し画像

自分の事は

私の運命学への造詣の中心は占星術だった。

初めて占星術を知ったのは、子供の頃に読んだ門馬寛明の著書だった。

仕事の出張先から東京に戻った事で、二十三歳から占星家巡りが始まり、
私は、故 銭天牛、辛島宣夫、ジョージ土門に続き、門馬寛明と接触した。

渋谷区だった。

彼は、厚紙で作った手製の丸い装置のような物をクルクル回していた。
ホロスコープよりハーフサムを重んじている様で、その為の物らしい。

結論から言うと、その鑑定は的中しなかった。

私は貿易商にもホテル業にも縁がなく、宝石商にもならなかった。
外国人、或は女性を主に相手とするような職業に就く事もなかった。

今となれば、何を言いたいのかは解る。
何故そのような読み方をしたのかも判る。

"事例"が外れているだけなのである。

占星術を使えるなら、自分の事は自分が一番正確に読める。
他人はこちらの事実を知らないまま解釈を絞らざるを得ない。

出生図は "本人という事実" と平行してしか意味を成さない。

「予言は難しいが、起きた事は全て占星術で説明できる」

と、門馬寛明は言っていた。

彼の結論と言っていい。

本人という事実なしに、運命は存在しない。
運命とは本人の事であり、その実際の姿の事である。

その姿をよく知っていれば、そのまま出てるのが判る。
解釈が絞れるから 言える事も出て来るし、的中もする。

私は、自分を知りたければ 自分で読めるようになるしかない、と思った。

だが、別の問題もある。

主観が強いと、出ていても判らない。
主観認識と違う事は受け容れられない。

先入観や期待や信仰等の固定観念ではなく、事実に触れている必要がある。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?