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「宮沢賢治の宇宙」(44) 「天気輪の柱」は自然現象なのか?

天気輪の柱

『銀河鉄道の夜』にはいろいろな謎があるが、その中でも“天気輪の柱”は最大級の謎とされる。問題はこの言葉の説明がほとんどないことだ。実際、『銀河鉄道の夜』に出てくる記述はわずか二つである(図1)。

図1 『銀河鉄道の夜』に出てくる「天気輪の柱」の説明。

説明不足のため、天気輪の柱については、賢治研究者はさまざまな説を提案してきている。個別に紹介するのは大変なので、ここでは主として次の三つの文献に準拠して行う。

1. 中地文「天気輪の柱」『國文學 解釈と教材の研究』“宮沢賢治『銀河鉄道の夜』と『春と修羅』”1994年4月号、學燈社、47頁
2. 垣井由紀子「天気輪の柱」『宮沢賢治「銀河鉄道の夜」を読む』西田良子 編著、創元社、2003年、178-179頁
3. 『定本 宮澤賢治語彙辞典』原子朗、筑摩書房、2013年、496-498頁

天気輪の柱の候補

天気輪の柱の候補として、実在するかどうかがポイントになる。

[1] 実在しない場合:天気輪の柱は賢治の想像上の産物である
[2] 実在する場合:何らかのモデルが存在する

また、実在してモデルがある場合、以下の三つの可能性がある。

[A] 宗教的構造物
[B] 科学的構造物
[C] 自然現象

可能性のある天気輪の柱の候補をまとめると図2のようになる。

図2 天気輪の柱の候補。

前回のnoteでは以下の項目について説明した。

[1] 実在しない場合
[2] 実在する場合
   [A] 宗教的構造物
   [B] 科学的構造物

今回は[C]自然現象について説明する。このあと、実在する天文現象説(天の川、太陽系、地球)、気象現象説、そして植物説をまとめていく。

天文現象説―天の川の天体

まず、実在する天文現象説である(表1)。

 

ここで挙げた項目は柱のような構造物ではない。賢治がこの表に挙げた項目を見て、天気輪の柱をイメージしたという解釈になる。そのため、候補としては弱い(補足説明参照)。実際、星や星座は肉眼で見ることはできるが、ブルカニロ博士を隠せない。また、6番目の星雲説では「こと座」の環状星雲M57が候補だが、この星雲は肉眼では見えない(約9等星)。

天文現象説―太陽系の天体

太陽系の円盤部(黄道面)には、太陽が生まれた元になった分子ガス雲に含まれていたダストがある。ダストは太陽の光を反射するので、その反射光を淡い光として見ることができる。この光は「黄道光(こうどうこう)」と「対日照(たいにちしょう)」と呼ばれる(表2、図3、図4)。

 
図3 黄道光と対日照。対日照を引き起こすダストは黄道光のダストに比べて太陽から遠い距離にあるので、対日照の方が淡い光として観測される。
図4  黄道光と対日照。図4は黄道面に沿った図だが、こちらの図は黄道面を真上から見た図。実際にはダストは黄道面全体に広がっていて、太陽に近いほど密度が高い。また、太陽光のダストによる反射を示す補助線はそれぞれ一本しか描いていないが、多数のダストによる反射光として黄道光や対日照が見える。

黄道光と対日照を賢治が実際に見た証拠がある。それは賢治の劇『ポランの広場』に出ている(『宮沢賢治と星』草下英明、學藝書林、1975年、「Xの字の天の川」134-142頁)。それは、山猫博士と葡萄園の農夫の会話に出てくる。

見たまへ。天の川はおれはよくは知らないが、何でも x といふ字の形になってしらじらとそらにかかってゐる。 (『【新】校本 宮澤賢治全集』第十二巻、筑摩書房、1995年、348頁)

これは黄道光と対日照が天の川と交差して見えるので、見かけ上「x」の文字に見えることを意味している(図5)。ただ、草下は黄道光・対日照を天気輪の柱の候補にはしていない(表3)。

図5 岩手山で撮影された黄道光・対日照と天の川。両者が交錯して「X」の文字のように見える。 (撮影:畑英利)
a 『天文学者が解説する『銀河鉄道の夜』と宇宙の旅』(谷口義明,光文社新書,2020年, 162-166頁).

天文現象説―地球

地球そのものに関連する説として、北極軸を説も提案されている(表4)。天気輪の柱のある丘が、北の夜空に見える「おおぐま座」の下にあることを考慮した説である。北極軸は具体的に見えるわけではないので、候補としては弱い。

 

気象現象説

気象現象説は大気の発光現象と反射現象がある。これらも丘の上に輝く構造になる。競う現象としては、オーロラ、赤気、スプライト、スティーヴ、そして夜光の五種類を挙げておく(表5、図6)。また、太陽光の反射現象として太陽柱があるが、これもこの項目の最後に入れておいた。

a 『天文学者が解説する『銀河鉄道の夜』と宇宙の旅』(谷口義明,光文社新書,2020年).天気輪の候補というよりは,夜に見える発光現象をまとめたもの. b 表1に与えた文献1,2, 3いずれにもある. 提唱者は根本順吉.
図6 (左上)オーロラ、(右上)赤気、(左中央)スプライト、(右中央)スティーヴ、(下)赤い夜光と緑のオーロラの共演。 オーロラ https://ja.wikipedia.org/wiki/オーロラ#/media/File:Red_and_green_auror.JPG 赤気 撮影:畑英利 スプライト https://ja.wikipedia.org/wiki/超高層雷放電#/media/File:Upperatmoslight1.jpg スティーヴ https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Optical_Steve.jpg 赤い夜光と緑のオーロラの共演 撮影:畑英利

オーロラは北極や南極に近い場所でしかみることができないが、そのほかの現象は日本のような緯度の低い地方でも観測することはできる。赤気は低緯度オーロラだが、賢治の生きていた時代では、1909年9月25日から26 日にかけて、日本でこの赤気が見えたとの記録が残っている。

スプライト(sprite)は妖精という意味である。まさに上空100kmの高度で舞う、赤い妖精のように見える。ただし、見えている時間はわずか0.1秒間程度でしかないので、見ることは難しい。その存在は18世紀から気づかれていたが、放電現象ではないかと推察されたのは1925年。不思議なことに賢治の生きていた時代のことだった。

また、スティーヴという発光現象が初めて観測されたのは2015年である。したがって、賢治はこの現象を知らない。

夜光(大気光)は地球の大気に含まれる分子、原子、およびイオンが発光するする現象である(図6)。非常に淡い光なので、街の灯りの影響が少ない場所でないと見ることはできない。岩手県の種山ケ原では今でも見ることができる。夜の山歩きが好きだった賢治は当然夜光をみていただろう。ただし、柱のような構造を見ることはできない。

大気の発光現象の他に、太陽の反射光として観測される太陽柱がある。根本順吉は天気輪の柱の候補として「太陽柱」説を提案した。この説はよく言及されてきている。太陽柱は大気中の水分が氷となり、夜明けと日没のときに太陽の光が反射して見える現象である(図7)。しかし、天気輪の柱との関連性は薄い。なぜなら、『銀河鉄道の夜』はケンタウル祭という夏祭りの時期の物語である。真冬の寒い時期に見える太陽柱は候補としては相応しくない(『「銀河鉄道の夜」探検ブック』畑山博、文藝春秋、1992年、47頁;ちなみに畑山は後生車説を推している)。

図7 太陽柱の例。 https://ja.wikipedia.org/wiki/太陽柱#/media/ファイル:SunPillar-Osaka-20080706.jpg

植物説

天気輪の柱の候補として、植物を挙げた文献をひとつ見つけた。山下聖美の『宮沢賢治を読む』(D文学研究会、星雲社、1998年、110-115頁)である。山下は広い意味での樹を表すと解釈している。この解釈はcosmic pillar、宇宙柱(宇宙樹)を意識している。また、樹は母にも繋がるとしている。

私がふと思いついた丘の上の一本松ではない。単なる巨木をイメージしたからである。

また、イギリスの童話『ジャックと豆の木』も天に向かう豆の木が天気輪の柱と主旨が重なるように思える。1890年の出版なので、賢治も知っていた可能性はある。

以上のことを配慮し、植物説もありとした。天気輪の柱とは何なのか?

天気輪の柱とは何なのか?

前回のnoteと合わせて、天気輪の柱の候補となるものを、以下の場合について列挙した。

[1] 実在しない場合
[2] 実在する場合
   [A] 宗教的構造物
   [B] 科学的構造物
   [C]自然現象

また、候補を考えるガイドラインは前回のnoteで示した(図8)。さて、どう考えたらよいのか? 候補の多さを考えると、議論百出となるだろう。次回のnoteで考えてみることにしよう。

図8 天気輪の柱の候補の判定を行う方法。『銀河鉄道の夜』で説明されている天気輪の柱の特徴(図1)を満たす候補は青、満たさない場合は橙色で示した。実在しない場合でも、あるいは実在しても条件(図1)を満たさない場合でも、賢治の心象スケッチで天気輪の柱に置き換えられることがある。その場合は黄色で示した。

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天の川の天体(表1)に関する補足説明
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紫微宮説:「りゅう座」、「きりん座」、「ケフェウス座」中の3星を結んで紫微宮(しびきゅう)とし、「天の麒麟の輪」と解釈する。

星説と北極星説: 星そのものを候補とするアイデア。このアイデアは『銀河鉄道の夜』の第六節、“銀河ステーション”の書き出しの部分に影響を受けたものである。

そしてジョバンニはすぐうしろの天気輪の柱がいつかぼんやりした三角標の形になって、しばらく蛍のように、ぺかぺか消えたりともったりしているのを見ました。それはだんだんはっきりして、とうとうりんとうごかないようになり、濃い鋼青のそらの野原にたちました。いま新らしく灼いたばかりの青い鋼の板のような、そらの野原に、まっすぐにすきっと立ったのです。  (『【新】校本 宮澤賢治全集』第十一巻、筑摩書房、1996年、134-135頁)

天気輪の柱は三角標へと姿を変える。『銀河鉄道の夜』では三角標は星を意味するので、天気輪の柱を星と見なす説である。垣井由紀子はジョバンニが向かった天気輪の柱のある丘は北の方向にあったので、北の空に見える代表的な星として北極星を選んだ。

星説: 星を候補とするアイデア。

twinkle (トウインクル)説:星が瞬くことを、英語では twinkle (トウインクル)と言う。この言葉は『銀河鉄道の夜』第九節「ジョバンニの切符」で、青年と船に乗り込んできた女の子の言葉として出てくる。

「ええ、けれど、ごらんなさい、そら、どうです、あの立派な川、ね、あすこはあの夏中、ツインクル、ツインクル、リトル、スター をうたってやすむとき、いつも窓からぼんやり白く見えていたでしょう。あすこですよ。ね、きれいでしょう、あんなに光っています。」(『【新】校本 宮澤賢治全集』第十一巻、筑摩書房、1996年、152頁)

これにヒントを得て、竹内 薫と原田章大は星の瞬きを意味する動名詞 twinkling をテンキリンに置き換えた。

星雲説:斎藤文一は「光る雲の円錐体」という言葉に拘っているので、必ずしも星雲である必要はない。しかし、斎藤文一はこの説を説明する前振りとして、「こと座」の環状星雲について触れている(『宮沢賢治 — 四次元論の展開』国文社、1991年、71頁)。『銀河鉄道の夜』の第五節には、以下の面白い一文がある。

そしてジョバンニは青い琴の星が、三つにも四つにもなって、ちらちら瞬き、脚が何べんも出たり引っ込んだりして、たうとう蕈(きのこ)のように長く延びるのを見ました。 (『【新】校本 宮澤賢治全集』第十一巻、筑摩書房、1996年、134頁)

「こと座」にはベガ(α星)の他にも、その南東側(図では左下方向)に四つの目立つ星β星、γ星、δ星、そしてζ星があり、平行四辺形の形で並んでいる。つまり、三つにも四つにもなってという表現は、これら四つの星のことを意味していると考えられる。また、次の奇妙な表現がある。

たうとう蕈(きのこ)のように長く延びるのを見ました。

これは、β星とγ星の間に見える惑星状星雲 M57(図9)のことを意味していると考えてよい。しかし、肉眼では見えないので、天気輪の柱の候補にはそぐわない。

図9 「こと座」の方向に見える環状星雲 M57。距離は約2300光年。約9等星なので、肉眼では見えない。 https://ja.wikipedia.org/wiki/こと座#/media/ファイル:Lyra_IAU.svg http://hubblesite.org/newscenter/archive/releases/1999/01/image/a/


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