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私の仕事年表 成り上がりと失墜


就職氷河期

私は就職氷河期まっただ中に就職活動をしていた年代です。
正しく言うと一生ニートでいいやと思って就職活動はしませんでした。なぜなら当時アルバイトでも月収25万を超えていたからです。それから自分が月曜から金曜の朝9時から17時まで、きっちり働くことができる人間だとはどうしても思えませんでした。学生時代でさえ同じ時間のバスや電車に乗ることが苦痛でした。こんな人間はふわふわ生きていればよいと思っていて目標や上昇志向など一切持ち合わせていませんでした。

ところが就職することになってしまったのは全くの偶然であり本位ではありませんでした。それはこいうわけです。
当時私は学生時代から続けていたアルバイト先でパートナーと出会い一緒に暮らしていました。バイト先の仲間はみなそれを知っていたし一緒によくつるんでいました。ところがそのアルバイト先の店長が異動になり、新しくやってきた男性が同性愛者でした。そうとわかったのは私が突然首になったあとです。私のパートナーは新しい店長からしばしば個人的にお酒に誘われ体を触られるようになりました。やめてと言ってもやめない・仕事中にも触られる・怒って物を蹴りそのまま帰ってきてしまったこともありました。怖いと言って泣いたこともありました。
この話はまた別の話なので省略し、私は首になったので急ぎ職を探すことになります。前述の通り就職をする気はなかったのでアルバイトの募集に応募しすぐ受かりました。今でも覚えていますがクリスマスイブに首になり12月27日に面接を受け1月4日に合格の電話が来ました。「正社員として採用が決まりましたので○日に来てください。」と。
びっくりしました。アルバイトのつもりだったからです。
実は同じ日に採用された同僚から後から聞いたところ、同じ日に正社員の面接もしていたそうなのです。アルバイトか・正社員かの確認もせず面接をし採用と至ったようです。とても適当な会社だと思いました。後日郵送されてきた採用通知にはとても薄い筆跡のシャープペンで小さく月収125,000円、交通費別途支給とだけ書かれていました。びっくりしました。

まだ若かった私は企業に問い詰める考えも無く、呼ばれた日に出社しました。そんなわけで就職してしまったのです。

THE ブラック企業

その会社は社員数数百名の、地元では割と大きい会社でした。その本社の朝礼に出た初日、社員に向かって死ねと叫ぶ社長に驚いてしましました。こんなところで働きたくないと思いました。5日目の朝、辞表を出しに上司の下へ行きましたら、じゃあお昼を食べてから一緒に提出に行こうと言われました。午後、部長のところへ行きますと、私と一緒に採用した人の辞表を午前中に受け取ったばかりなので勘弁して欲しいと頭を下げられました。
大学生の息子が居る。首になるとオレは本当に首をつらなければならない。もう少し耐えて欲しいと、真剣にお願いされたのです。後から聞いたところ、私と同時に採用された7人のうち3人が、その日までに退職していました。

持病

7日目に別部署へ配置されました。そこは6人しかいない小さな事務所で、上司を含め全員がとても優しい人ばかりでした。末端の私が社長や部長と会う機会は無く、給料はアルバイト時代の半分だけどなんとか暮らしていました。生活を切り詰めていたせいか、あるいは幼少期からの我慢が続いたせいか、3年勤めたころから私の体調は悪くなることが増え、健康診断で要検査(至急)と書かれた紙を渡されました。そして手術をすることになりました。そこから今に至るまでその持病を抱え、およそ3年ごとに手術を繰り返すことになります。

突然の配置転換 営業へ

手術を控えたある日、別部署の先輩から電話で「営業になるの大変だね。えっ知らなかったの?」と言われました。この人は10年後の異動時にも同じ電話をくれたので、確信犯です。嫌な人です。
上司から、突然「営業 アス」と書かれた名刺を渡されました。3日後から別部署へ異動して営業なんだって、としょんぼり言われました。何の相談もなく唐突だったので1週間ほど辞令を無視していつもの職場へ通っていたら、異動先の上司から「人が足りなくて・・困っているんだ・・すぐ来て欲しい・・」と涙声で言われてやむを得ず異動しました。

異動先の人たちもとてもいい人たちでした。そして何よりも、猫がいました。地域猫で、近所の人がみんなでご飯をあげたり日によって泊まっていったりするのです。よく膝の上に猫をのせて仕事をしました。幸せでした。ただ、事務所が古すぎて雨が降ると壁がナイアガラの滝のようになったり、休憩室がないので雪の降る中を震えながら物置のなかで食事したり、女性トイレがないのでいちいち近所のスーパーへ走っていき借りたりしていました。
そして異動してすぐ手術となりました。

手術の後、劇的に体調が良くなりました。一日立ったり歩いたりしてもなんともないことに、感動しました。私はまだ20代ながら、年を取ったからこんなに体が重いのだと思っていたのですが、病気だからだったのだとそのときはっきりと自覚しました。体調がいいことが嬉しくて、にこにこと仕事をしていると、どんどん成績が伸びていきました。
ある月の成績が社内トップになりました。

私は調子に乗っていきました。その頃お客様アンケートなる物が始まり、私に対する名指しのお褒めの言葉をいただくことが増えました。すると数字とそれしか見ていない本社の人間がアスさんはすごいアスさんはすごいと総会や会議でもてはやすようになりました。
私はさらに調子に乗っていきました。様々な部門で表彰されることが増え、給料もどんどん増えていきました。そして新店舗のOPENとともに異動を任命されました。ぼろぼろの事務所で働いていたことを考えれば栄転でした。その店舗の店長もいい人で、私がより成績を伸ばせるようたくさん手助けをしてくれました。ただ、折に触れてこう言われました。「どうしてそんなに頑張るの?」「どうして全部自分でやろうとするの?」質問の意図が分かりませんでした。だれよりも一生懸命働くことが当然だと思うようになっていたからです。

中学校に行かず引きこもっていた私がしっかりした企業に就職し、まさかこんなふうに仕事に夢中になるなんて思ってもいませんでした。そうしていつか私も店長をやってみたいと考えることすらありました。その頃本社の上司Aにお酒の席で直接聞きました。「私もいつか店長になれますか?」すると彼は言いました。「女には無理だよ」
私はがっかりしましたが、それもそうだなと納得して心を切り替えました。持病があって体力の持たない私には店長は務まらない。ナンバー2として、店長を補佐すればいい。このお店の栄光が私の喜びだと思うようになりました。そのために足を引っ張るスタッフは許せなくなりました。成績を100%達成しようともせず定時に帰っていく人を許せない。その人の分も私がカバーしなければならない、店長のためにこの店舗のために。と思うようになりました。そして実際そうしました。店舗の成績はどんどん上がっていき、私個人の年計は、このまま行けばトップをとれそうでした。


突然の配置転換 店長へ

ある日、別店舗の店長Bが不祥事を起こし降格しました。そのため自分の店舗の店長がそちらへ異動することになり、私が明日から店長だと唐突に任命されました。私は、店長は無理だと言われ全力で個人目標を達成しようとしていたところだったので、悔しいと言う気持ちが先に立ちました。また、戦友のようであった上司が他店舗のスタッフの不祥事で異動になってしまうことも不服でした。さらにはその不祥事を起こしたBを私の部下としてつけるので、見張っていろと言う部長からの指示までありました。それは部長の仕事で私の仕事ではないのでは?と思いました。
持病があり定期的に入院が必要なので無理だと断りましたが、Bが補佐するから問題ない、やれの一点張りでした。

さらに、2名のスタッフが他店舗へ異動となり代わりに新人1名があてがわれました。それで前年比を超えろ、それが部長からの指示でした。すべてが勝手で狂っていると私は感じました。

コロナ

私が強制的に店長を任されると同時に新型感染ウイルスのニュースが聞こえるようになっていました。よって会議で集まることも無くなり完全にほかの店舗との情報交換が途絶えて行きました。
女に店長は無理だと言ったAがしょっしゅう店舗に現れるようになりました。Aはすでに嘱託勤務になっていました。一日中座って居眠りをしていました。そして部長や社長がくると「おれがアスを店長に育てますから安心してください!」と言うのでした。卑怯な人だと思いました。

スタッフが2名減った上に新人が1名補充され、今までのようには仕事が回らなくなりました。私は店長といいながら実際のところはそれまでと同じように営業業務をせざるを得なくなりました。休憩は取ることは難しくなりました。残業は増えていく一方でした。それを部長へ相談すると、60分の休憩を10分ずつとれば?それになんの問題があるの?あるいは、8時に出社して9時まで休憩してもいいんだよ?と言われました。
別の部署の長へ相談すると、契約社員を雇ってもらえることになりました。部長は、契約社員をとるんだから明日から残業はゼロになるんだよね?と言いました。私は、あまりに攻撃的な発言の多いこの部長を、少しおかしいのでは無いかと思い始めました。
こんな状況で店長を任されることの何が楽しいんだろうと思いました。元は店長をされていたBに、「今でも店長をやりたいですか?」と聞いたらハイと答えました。じゃあこの人にやらせたらいいのにと、心底思いました。

そんな折、店舗定休日の夜に着信がありました。私は毎晩一人で残業をしていて、くたくたでした。9時に出社、23時に退社、休憩ゼロ、なにもせず寝ている嘱託A、そもそもこいつの不祥事のためにこうなっていると思ってみてしまうB、営業として入社してきたのに営業をしたくないんですと泣く入社4年目の女、メモを取らず同じことを何度も聞いてくる新人・・何をどうしたらいいのか分からず、月4日の定休日だけが休める日だったのです。着信は部長からで、新人のスタッフがコロナ発症者であることが分かったのですぐ店へ来るようにとのことでした。
当時はまだワクチンができておらず、どう影響が出るかも分からなかったので、店舗の消毒が必要でした。店舗の鍵を開けて保健所の方にすべての設備に消毒をしてもらいました。そして全スタッフの陰性が確認できるまで休業となりました。「すばやい検査で経済を回そう!!」とかなんとか書いてあるチラシを配っている施設で全員が検査を受けました。そのチラシを見たとき、社会が終わっているなと感じました。

限界

休業が決まった日も予約が30件ほど入っていました。その方々へ謝罪するのは私一人の仕事でした。また、店舗へ問い合わせの電話が来るたびに私の携帯へ転送され、一日中自分の部屋で、申し訳ありませんと繰り返していました。その日のうちにグーグルマップに「臨時休業」と赤い字が示され、それを見たお客様から「私に感染していたらどうしてくれるのですか」と問い詰められました。

総務部長から、その日は休業なので給料は出ないよと言う連絡が入りました。保健所から、感染者と他スタッフの過去1週間の接触行為をまとめて提出するようにとの要請がありました。産業廃棄物回収業者から、貴社で感染者が出たことがわかったため、ゴミの回収を控えさせていただきますと連絡がありました。すべてのゴミにアルコールをかけ、二重に袋へ封じた上で1週間後に回収するとのことでした。
どこで感染したかも分からないのに、なんならプライベートで感染した可能性がもあるのに、業務内での管理を怠った店長の私にすべて責任が在るかのように錯覚していきました。実際にそのように口にする他店舗のスタッフも居ました。感染したスタッフの彼女はキャバクラで働いていて、闇営業しているんですよと告げ口してくるスタッフも居ました。

すばやい検査で経済を回そう!!

何が検査だ。何がコロナだ。私は気が狂いそうでした。

防火管理講習

管理責任者を務めた経験がある人やそうでなくても大きめの店舗で働いた人なら受講する機会が多いかもしれません。自分ももれなくそれを受講する必要があったのですが、コロナのために受講人数枠が減らされていて、店長になってだいぶ経ってからやっと受講枠をとることができました。それを受講してから、私は完全に、責任という言葉の重圧にやられていきました。望まない昇進、部長のパワハラ、寝てばかりのA、行動の怪しいB、コロナによる戦犯扱い、休憩は取れない、一人で23時まで残業、休みの日でも容赦なくかかってくる電話で心が安まることがなく、おかしくなっていたと思います。

万一火事が起こったら切腹しなければならないと、怖くて怖くて、社員の煙草の火の始末やコンセントの埃が気になって帰るのが怖くなっていきました。そんなに怯える理由として、じつは数年前に、他店舗が実際に火事を起こしていました。そのころ私は労働組合の副執行委員長として経営陣と毎月顔を合わせており、収益をみせてもらえる立場でした。あるときあまりにも前年比の差が大きいことがあったので理由を確認したところ、それは火災保険がおりたためだと知らされました。企業が火事を起こすとこんなに多額のお金が動くのだと知って驚きました。
もし私が居るこの場所で火事が起こったらと、想像するとだんだん私は食事を受け付けなくなっていきました。毎日胃が痛くて頭が痛くて、布団に横になると気絶するように落ちるようになりました。
ところでこの火事が起こったとき、当時現役だった嘱託Aは現場に居て、燃える建物をただ見ていたよ、と笑って話していました。

女を管理職に

店長就任中にとある資格試験を受け、合格しました。社内で3名しか取得していない資格でした。最後に上層部と面談が在りました。滅多にないことでした。何か聞きたいことやご意見はありますかと聞かれました。

その少し前に、管理職が集うトップの講話に出席していました。そこでトップが、「これからはたとえ成績が悪くても、ある程度の年数を経た女性社員を管理職へ引き上げていかなければならない(国の目標数字をさしての言葉)」と話されていました。このことをあげて以下のように伝えました。

「トップが成績が悪くてもと発言してしまうことで、それが下にどんどん伝わり、聞いた女性は気分は良くない。たとえ成績が良くての昇進でも、どうせ方針だからなんだと感じてしまう。本当に女性管理職を増やしたいなら発言に気をつけて欲しいと思った」

試験は合格でした。しかし部長からこの発言について言及されました。
「試験の結果で合格にせざるを得なかったが、トップに対して意見することは今後控えるように」

ばかみたいだなとおもいました。

卑怯ですよね

私は体調が悪く、手術が必要でした。しかし、休んでいられないので伸ばし伸ばしにしていました。そのうち体調が悪すぎて、深夜に救急車で運ばれるようになりました。朝、家へ戻ってそのまま出社することもありました。そのたびに担当医にはあきれた顔をされました。手術するほかに施しようがないからです。頓服が効かず、癌の疼痛と書かれた薬を処方されました。飲んでもすぐ吐いて失神するようになりました。

生きることが辛いと思いました。いっそ死にたかった。

そんなときに、営業として入社したのに営業をしたくないんですと泣いていた入社4年目の女の頭を、会社に眠りに来ている嘱託Aがなでなでしているのを見ました。お客さんと話したくないと泣いていました。甘やかすからつけあがるんだと思うけど、と思いました。彼女がいやがってしない営業の仕事を私がしていたので、これ以上は勘弁してくれと思いました。
その数日後、部長と入社4年目の女とで面談をするからと個室に呼ばれました。

「嘱託Aから事情を聞いてこの面談が必要だと思い、集まってもらった。営業をしたいのにアス店長がこわいせいでできないと、彼女は言っている。どう思っているか」とのことでした。びっくりしました。「そんな風に思っていることを気がつけなくてごめんなさい」と謝りました。彼女は「アス店長は自分が店長をやりたいからって、私にわざと仕事を教えようとしない。アス店長を異動させて欲しい。私は絶対異動したくない。異動するなら辞める」と泣きました。「私は店長をやりたいと思っていないです」と答えました。部長へ向けて「私はいつでも異動していいです。店長をやりたいと言っているBにやらせてあげてください」と言いました。そんなわけには行かないと、部長はおろおろしました。「最初から伝えていましたが私は持病があって定期的に入院しなければならないです。そろそろ限界です。Bが補佐すると言われていましたが何もしてくれていません。店長を降りるのが許されないなら会社を辞めます。」と言ってその話し合いを終わらせました。

入社4年目の女は泣いてすっきりした笑顔で「体調が悪いならなんでそう言わなかったんですかあ」といいました。死ねばいいのにと思いました。口が悪くてごめんなさい。

面談室から出てすぐ、嘱託Aがやってきて、店長は辞めさせないぞと言いました。女には店長は無理だと言ったこと。なのに店長をやれと手のひらを返したこと。オレが育てると偉そうに言いながら実際は寝てばかりいたこと。入社4年目の女を甘やかして、実際はこちらの足をひっぱっていたこと。そもそも本当に育てるつもりなら、部長へ話す前にひとことあってもよかったのではないですか。全部のみこんで「ひきょうですよね」これだけを大声でいいました。Bは目を大きくして黙りました。二度と店舗に来なくなりました。

燃え尽きても消えない怒り

私が辞めると言ったので慌てて常務が来ました。それから社長も来ました。入社4年目の女は左遷されました。面談で私が謝ったのに4年目の女が謝らなかったことに対し、「そんな女は異動させて辞めるというなら辞めさせろ」と社長が指示してくれたとのことでした。実際その後すぐ彼女は自ら辞めていきました。営業がやりたいのにやらせてくれないから、だそうです。
社長はちょうどそのとき定年退職を迎える間際でした。アスさんが辞める必要はないから。いろいろわるかったねごめんねと謝ってくれました。私は泣いてしまいました。すると何故か常務も顔を真っ赤にして泣きました。びっくりしました。嘱託Aからはずっと、何も問題ないオレが手伝っているからと聞いていたとのことでした。毎日座ってyahoo!ニュースを見るか寝ていて定時に帰るだけでしたよと話しました。常務は、数店舗を回るように言ってあったのにずっとこの店舗に居たのか?と驚いていました。こいつら何の管理もできてないのに経営者なんだな楽でいいなと思いました。
君は、適当に仕事をしているつもりでも人よりしっかりやるはずだから、そのままでいいんだから、やれることだけをやりなさいと言いました。常務もそのすぐあと、他県へ異動されていきました。

私は入院しました。
大きな手術になりました。
一度も使ったことのない有給休暇を使い切り、傷病手当も使わせてもらいました。

その間、ポッドキャストを聞いたり星を見たりしました。動けるようになると、花を見に行ったり景色を見に行ったりしました。心が空洞でした。

休職している間に、店長になったBと部長が、私の古くからの顧客を怒らせ、弁護士を呼ぶまでに大きなトラブルを起こしていました。休んでいる間その連絡を受け、復帰したその日から数ヶ月、その対応におわれました。Bは、ことの次第を教えてくれませんでした。部長が話すなと言うので・・と言うことでした。部長に聞くと、いやちがう、ちゃんと話せと言ったのになあと教えてくれませんでした。一緒に謝りたいというと、いやそれは困るといいました。訳が分からないので自分で謝りに行きました。お客様によれば、Bが、約束を違えた。そしてそれを私のせいにしたことが、事の発端でした。Bがアスさんがアスさんがというので、長年知っているアスさんがそんなことをするわけが無いし、入院している人のせいにするのはおかしいと思ったので上司を呼ぶように言ったら、部長が出てきたけどこの人もいっていることがおかしい。ずっとこのお店とお付き合いしてきたのに、こんなことになるのは納得がいかない、謝るべきはBと部長だとカンカンでした。
さらにそこからお客様は、心が病んでいき、数ヶ月の間えんえんとその話を繰り返されるようになりました。お客様はこのことが原因で精神科とカウンセラーに通うようになったと話していました。私は休業開けにその対応に追われ、怒りと憎しみが倍増していくような感覚に陥りました。そもそもが不祥事を起こしたBのせいと思っているのに加え、私が店長に戻してやったのに感謝の言葉もないなどど感じるようになりました。部長に関しては、さんざんのパワハラ発言と、事前の確認もせずにいきなり3者面談をしたこと、Bを見張っておけと言った部下を侮辱する発言や、今回もBのせいにして自分は逃れようとしていたことなどが、どこまでも卑怯で弱いやつだと感じるようになりました。

さらに、私が休業している間に、私にノルマがついていたことに気がつきました。Bに、休んでいる間にどうやってこれを達成すれば良かったんですかと聞きました。言われるまで気がつきませんでしたと謝られました。部長にも同じことを聞きました。えっ、そうだったんだノルマついてたんだといわれました。頭にきて、「自分の部下がやっていること全く見ていないんですね!それで部長なんですもんね、りっぱですよね!」と大声で言いました。そばに10人ほどスタッフが居ました。その後、部長も他県に異動していきました。

Bは、不祥事を起こして降格した時と同じことを先日またやりました。しかし、降格しません。なぜなのでしょう。

最近コロナが落ちついて、他店舗のスタッフと顔を合わせることが増えました。私は、うつ病になって店長を降ろされ休んでいたということになっているようです。なぜなのでしょう。

打ち明けることで共感してもらえる

あんなにニートでいいやと思っていた私が、褒められることに貪欲になっていき、いい気になって成り上がり,失墜したお話です。

ディズニー映画に、悲しみを打ち明けることで、周りに共感者が集まるんだというストーリーがあります。ディズニー映画にはそういった描写がたくさんあります。ディズニーに関わらず、打ち明けて、それで前を向くストーリーはたくさんあります。どうしてなんだろう、うちあけることに何の意味があるんだろうと、ずっと思っていました。でも最近、怒りが憎しみが悲しみが、いつまでも癒えないことが苦しいです。もしかしたら、人に共感してもらうことで、癒えることもあるのだろうかと思い至りました。あまりにも、みんながそうしているからです。本当にそうなのかは、わかりません。推測です。

なんどもこういうふうに、打ち明けたいと思いながら、かっこわるいから、打ち明けるには辛いから、できませんでした。でも、なんだか今日はできそうな気がしました。それは何故かと言えば、ふざけたり、表現したり、笑ったりすることで、格好悪いところや弱いところをみせる勇気がわいたからだという気がするのです。というよりも、格好悪かったんだ、オレ。格好悪いんだ、私。というように、弱みをみせる人をすてきだなと思うことが増えたからです。だってそれは、勇気がある行為だと思うからです。

読んでくださり本当にありがとうございました。もし気分を害された方がいらしたらごめんなさい。私の一方的な考えであり、あなたを攻撃したい気持ちはありません。

お気軽にコメントをくださると嬉しいです。質問などあればまた続きを書くとおもいます。

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