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バングラデシュは貧しいだけの国ではない:義務教育5年の罠

義務教育5年の国

日本国憲法は、その第26条に「すべて国民は,法律の定めるところにより,その能力に応じて,ひとしく教育を受ける権利を有する。 すべて国民は,法律の定めるところにより,その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。 義務教育は,これを無償とする」と定めている。また、世界人権宣言も、その26条においても、「すべての人は、教育を受ける権利を有する。 教育は、少なくとも初等の及び基礎的の段階においては、無償でなければならない。 初等教育は、義務的でなければならない。(後略)」としており、義務教育の必要性は、広く共有されているものと考えることができる。
しかしながら、その実施のやり方は、千差万別である。たとえば、期間一つとっても、文科省のまとめによれば、5年から12年までの様々である。

世界の義務教育

文部科学省によるまとめ
https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/gijiroku/04052101/009/005.htm

それは児童労働ではないのか?

義務教育、最短5年の国の一つ、バングラデシュ。最貧国の代名詞のイメージが強いが、義務教育への純就学率が97%に達しているという。子供たちに、コメの配給があるのだ。外で働かせるより学校へ行かせた方が、確実に家計の足しになる。となれば、親は、子供を学校に行かせる。ところが、問題は、卒業後である。
11歳で義務教育が終わってしまうと、子供たちは、親に、それ以上の教育を受けさせる経済的な余裕と教育の必要性の十分な認識がなければ、その年齢で社会に出ることになる。
義務教育の配給が止まってしまえば、これから食べ盛りという子供たちが家で3食食べるようになる。家庭の負担は一気に増えるわけで、当然の流れとして外に出て働けということになる。貧富の差が露呈してしまうのはこの段階だ。6年目以降は、任意になるため、コメの配給に子供の食い扶持を充てる必要のない余裕のある家庭の子供たちは、中学、高校、大学へと進学することができる。しかしながら、コメの配給に依存している家庭の場合、その分をどこからか充当しなければならない。手っ取り早いのは、ダッカの富裕層に働き口を見つけ、子供たちを働きに出すことだ。10歳や11歳の子供を働かせれば、児童労働として問題になるところだが、彼らは、すでに義務教育を終えている。

ILO(国際労働機関)の定義によれば、児童労働とは「義務教育を妨げる15歳未満の子どもの労働と、18歳未満の危険で有害な労働のこと」であるが、同時に「 教育機会を失うことなく、適正な対価が支払われる労働や子どもの成長の助けになるような労働は、児童労働には該当しません」ともされる。
つまり、義務教育を終えたバングラデシュの15歳以下の労働は、適正な対価が支払われるのであれば、児童労働には当たらないという解釈が可能だ。

 「結婚したら一生養ってもらえる」

最近は数が減ってきているとはいえ、多くの子供たちが、義務教育を続けられなくなったとたんに働き出すことになる。たとえば、Aさん。ダッカの南ほぼ100キロに位置する田舎町で義務教育を終えると、ダッカに出てきて富裕層の家庭でハウスメイドとして働くことになったという。

彼女が働くことになった家に生まれ、お金に苦労したことのないBさん。彼女は、大学にまで進学して、カナダへの留学を考えていて、帰国後は、英語の教師になりたいと将来を設計し、希望も持って大学に通っているという。

親に教育に費やすお金があるかないかで、将来が大きく変わってしまうというのが、現状なのだ。ハウスメイドのAさんは、雇われ先で寝食の面倒まで見てもらっている。学校に通いたいなら通ってもよいと雇い主は言うようだが、Aさんにその気はない。わずかながらもらえる給料を楽しみに仕事にやりがいを感じているからだ。

その彼女は現在、親が結婚相手を探してきてくれるのを待っているという。経済力を見込める年上の男性ということになる。結婚さえできれば、そのあとは一生養ってもらえるというのが、バングラデシュの一般的な考え方のようだ。親たちは、自分たちさえも将来養ってもらえるような経済力のある相手を娘にあてがおうとするらしい。

子供が自分の交際範囲の中から、好きな人と結婚するという、いわゆる恋愛結婚はむしろ例外的だとも聞く。結婚は自分が決めることなのではなく、親が決めること。本人にとってというより、親にとって好ましい相手と結婚することになる。親が、相手の家族の資産に目をつけて、娘を結婚させたものの、娘には好きな人がいたため、結構生活はうまくいかず、夫婦は別居。旦那は海外に働きに出て結婚を継続する意図はないというが、娘の親が世間体と先方の資金力への未練があって、離婚を認めたがらない社会通念もあって、離婚できないままでいるという。10代前半で結婚相手が決まることが社会的な了解事項となっていて、結婚に妻及びその家族も含めて養ってもらうことが期待されている状態では、致し方のないことなのかもしれない。

11歳と18歳の間

児童期がいつまでなのかは、児童であることが終わったとき、すなわち義務教育が終わった時でない。もちろん個人差はあるが、それは心の発達にかかわる区分なのであって、政府や制度に決められることではない。発達心理学の知見によれば、乳児期、幼児期初期、遊戯期を経て、人間は学齢期に入る。学齢期では、重要な関係を結ぶ範囲が、基礎家族から「近隣」や学校へと広がる。機械仕掛け(テクノロジー)に関心を持ち、誰かと一緒に物を作り、完成させる気持を味わえるようになり、勤勉にできる友達を見てそれができない自分に劣等感を感じる時期でもある。つまり、隣近所の行動範囲の中で身近な人々と道具を使って何かを達成することが喜べる時期ともいえそうだ。そして、真面目にやりなさいという命令が効いたり、反発を受けたりという時期でもある。

学齢期の次は青年期である。そこでは、重要な関係を結ぶ範囲が劇的に拡大する。同年代の集団および他者の集団。それらの間でもまれることによってリーダーシップについて学ぶ機会も出てくる。社会を動かすものも機械仕掛けからイデオロギーに移行していく。理想と理念の共有へ目がむくようになるのだ。それまでは誰かと一緒にモノと作ることで満足していた自分が、自分自身に対して関心を持つようになる。つまりアイデンティティの獲得、あるいは拒絶、さらには拡散。青年期を過ぎてもなおアイデンティティの問題に絡まっていると、中2病を揶揄されてしまうかもしれないが、アイデンティティの確立は、心の発達の上で避けては通れない一大イベントなのだ。青年期を過ぎると、若い成人、成人期、成熟期と進んでいく。

発達心理学に言う8段階をもしも2つに分けるとしたのなら、心理社会的にも、重要な関係を結ぶ範囲においても、あるいは社会的秩序に関係する要素においても、学齢期と青年期の間に線を引かざるを得ない。家族的な狭くて閉じた心理状態から、社会的な広くて開いた心理状態へのパラダイムチェンジが見て取れるからだ。11歳義務教育終了では自分自身というアイデンティティが育つべき場所に内向きで閉鎖的な家族の価値観が居座り、家族のために生きることに疑問も葛藤も生じない。どのような形にせよ自分とは何かを開かれた社会的関係の中で見出そうとする18歳とは、大きな違いがあると言わざるを得ない。

ただ貧しいだけの国ではなく…

バングラデシュの5年間の義務教育は、11歳で終わる。Aさんがハウスメイドとして住み込みで働き、親が経済力のある結婚相手を連れてきてくれるのを待ち、結婚し、出産し、旦那と子供の面倒を見て、精神的には、実家とのつながりをむしろ強化しつつ、経済的には100%旦那に依存して、養ってもらいながら生涯を終える。それがバングラデシュ人の女性の幸せなのかもしれない。こうした女性の生き方は、ハディース(預言者ムハンマドの言行についての伝承。正伝とされる信憑性の高いものは、イスラーム法の絶対的法源の一つに数えられる)に伝えられている羊の群れの責任論によっても肯定されているように見える。

『汝らは誰もが羊飼いで、その群れに対して責任を負っている。民の長は人々を指揮するもので、彼らの責任があり、男はその家族を養うもので彼らの責任があり、妻は夫と子供を世話する者で彼らの責任があり、また奴隷はその主人の財産を預かるものでそれに対して責任がある。このように、汝らは誰でも羊飼いで、その群れに対して責任があるのだ』

(アブー・フライラの伝えるハディース)

このハディースによれば、女性が妻として家にいて、夫と子供の世話をするのは義務であるかのようにさえ読める。家族の世話と一口に言っても大家族になればなるほど、それを単独でこなすことは難しくなる。そうなれば、ハウスメイドを雇うしかない。義務教育を終えたばかりで、社会的には右も左もわからない11歳、12歳を雇う。アイデンティティ形成が始まる前の段階であるため、おそらく18歳とは異なり、いうことを聞かせるのも楽なはずだ。こうして、個としての生き方やらアイデンティティが何とかとかやらに気づく前に、家の中に取り込んでしまう。それが可能になるのは、11・12歳の飼いならしやすい労働力を必要とする家庭が少なからず存在し、あたかもそのニーズを満たすかの形で、家族の奴隷的状況にあってもそのことに気づくことすらできない幼すぎる労働者を生み出す仕組みを5年間というバングラデシュの義務教育制度が提供しているからだ。家族愛の美名のもとに、子供たちがその成長の期間を奪われ、奴隷状態からの解放のチャンスも潰していく。奴隷の解放それ自体が聖典クルアーンの至上命令としていることに気づいているバングラデシュ人はいないということであろうか。ムスリムが大多数を占める国が奴隷の再生産を温存させてほしくない。
明日2024年1月7日はバングラデシュの総選挙の投票日である。野党が投票のボイコットを決め、候補者も擁立しない状況下で、選挙の公正さの疑念が付きまとうが、与党の勝利が確実視されている。
この国が「貧しいだけの国」にとどまらず、むしろ「貧しいだけの人々を増やし続ける国」にならないよう祈るばかりである。アッラーフ・アアラム。

 参考文献

エリク H. エリクソン『アイデンティティとライフサイクル』(西平直、中島由恵訳)みすず書房、2011年

E.H.エリクソン/J.M.エリクソン『ライフサイクル、その完結』〈増補版〉(村瀬孝雄、近藤邦夫訳)みすず書房、2001年。

小野寺敦子『手に取るように発達心理学がわかる本』かんき出版、2009年。

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